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2018/11/12 火曜 サンシャイン水族館
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 本日,思い立ってカミさんと一緒に池袋のサンシャイン水族館に出かけた.

 最初に水族館訪問をしてゆくことを考えたとき,まず頭に浮かんだのはサンシャイン水族館だった.しかしこの水族館は私の住所からだと比較的簡単に行ける.だから時間の余裕がないときに訪問する先と考え,当面は行かないでおいたのである.
 学生時代,正確には学部の学生時代に,私は東池袋のアパートに住んでいた.サンシャインの近くだったのである.といってもその頃はサンシャインのビルはまだない.私が住んでいるときはサンシャインの辺りの地下の工事をしていた時である.地下の工事が長かった.私はその後,田端のアパートに引っ越した.その引っ越しの頃にサンシャインのビルがどんどん上に伸びて行ったのである.
 引っ越した田端は下町,ないし場末と呼ぶべき場所だった.が,私が住んでいた頃の東池袋辺りも場末だった.そもそも池袋自体がその頃までは場末だった.今でも覚えているが,当時,その辺りにはスーパーなどはなかった.コンビニなどという便利なものも存在しなかった.覚えている商業施設は,田舎の乾物屋のような八百屋,店の中で酒を飲ませる酒屋,大きな通りの角にあった肉屋,通りに面していた餃子屋,アパートのすぐそばのパン屋,くらいである.正月に郷里に帰らずアパートにいると,1月7日頃まで店が閉まっていて,買い物に苦労したものである.まあ,そういう世の中だった.
 Google map で私が住んでいた辺りを見ると,見覚えのある店や施設は見当たらない.確か通りに面してタクシーの会社があったと思ったが,それも見当たらない.

 本日は久しぶりにJR池袋駅で下りた.池袋の駅の地下道は,少なくともその骨格は,私が東池袋にいた頃の半世紀近く前とほとんど変わらないような気がする.昔も通ったであろう地下の店の合間を縫って外に出て,サンシャインのビルを目指して歩いた.

 カミさんはサンシャインの水族館に来たことがあるらしい.私は一度もない.サンシャインの水族館については変なことを思い出す.かつて『少年ジャンプ』に連載された『ろくでなしブルース』というコミックで,池袋の番町の葛西は主人公の前田大尊をボコってしまうのであるが,実は葛西は大尊のアッパーを顎に受けており,葛西の顎の骨にはひびが入っている.葛西はその痛みをこらえながらサンシャイン水族館の水槽の周りを歩く,という場面がある.
 本日行ってみて,それらしい水槽は見当たらなかった.カミさんによれば,リニューアルがあり,中は変わったという.
 ざっと見ると,やや面積は小さいが,抑えるべき箇所はちゃんと抑えてある感じがした.品川のアクアパークやすみだ水族館よりも正攻法の水族館であると思う.
 観ていて感じたのは,通常はアシカなどのショーをする場所は劇場のようにしてかなりの観客を収容できるようにするのであるが,この水族館ではそれほどの観客を想定しないスペースであることである.このサンシャインでいろいろアトラクションがある中の1つとして水族館がある,というコンセプトなのだ.だから,例えば茨城県大洗の水族館のように,水族館しかない所とは,そもそもの水族館としての在り方が違う.
 水族館に関しては,やはり田舎を目指すべきなのだろう.むろん,サンシャイン水族館も良い施設である.

by larghetto7 | 2018-11-12 22:18 | 日記風 | Comments(0)
2018/11/11 日曜 シェイクスピア 『アテネのタイモン』
 BBCによるシェイクスピア戯曲シリーズDVDでまだ観ていない『アテネのタイモン』を観た.分類上は悲劇である.『コリオレーナス』同様,このような題名の作品がシェイクスピアにあるとは,私は事前には知らなかった.
 これは面白い.主人公タイモンを演じるJonathan Pryce の独り舞台のような感がある.DVDの時間が2時間ちょっとで,同シリーズの中では最も短い部類だろう.
 ストーリーは単純で寓話のようだ.アテネにタイモンという貴族がいる.タイモンは自分の財産を他の人たちに惜しみなく施す.だから人が寄って来る.タイモンは常々,「貧乏になりたい.そうすれば皆さんの友情が確かめられる」という.実は忠実な執事フレヴィアスは破産が避けられないことをタイモンに何度も忠告しようとし,哲学者アペマンタスはお人好しにもほどがあるといって何度も箴言する.しかしタイモンは聞き入れないのである.
 そのタイモンはじきに破産する.そこで友人(と思っていた人)に金を借りようとするのであるが,誰からも断られてしまう.そのことに失望して怒り狂い,人間不信に陥り,アテネ城外の海岸近くの穴ぐらで暮らし始め,人を呪いながら死んでしまう,という筋である.
 たとえていうなら,嵐の中で人を呪うリア王がそのまま死んでしまうような筋である.だからストーリーはやや短い.
 芝居としての見どころは,人に施している時点では人々の善意を信じ,気前よく分け与えているのに,友人が誰も助けてくれないと知ると極端な人間不信に陥る,その急転換ぶりだろう.借金を断った不義理の者たちを集めて侮辱する趣向が笑える.タイモンの人間不信の台詞の数々が面白い.辛辣な道化が発するような言葉がどこまでも続く.だから物語は形式上「悲劇」なのであるが,「喜劇」のように見えてしまう.
 実は,タイモンがいた穴ぐらの近くで金貨が沢山出て来る.その金貨を元手にすれば,タイモンは身上を持ち直すことができるかも知れない.しかしタイモンの人間不信は変わらない.その金貨目当てにまたも寄って来る人たちに,「さあ,この金で人を不幸にしろ」と罵って分け与えてしまうのである.

 ネタ本は『コリオレーナス』同様にプルタークの『英雄伝』であるらしい.なお,ギリシャの懐疑主義哲学者に「プリウスのタイモン」という人がいたらしく,この戯曲のストーリーはそちらのタイモンとも何がしかの関係があるそうであるが,私は詳しくは知らない.
 なお,この作品は後に少し話を加えて上演されることが多かったようで,その修正作に対してヘンリー・パーセルが「アテネのタイモン」という劇音楽を作っている.CDも出ている.それなりに流行った戯曲なのだろう.

by larghetto7 | 2018-11-11 16:59 | 日記風 | Comments(0)
2018/11/08 木曜 シェイクスピア 『コリオレーナス』
 BBCによるシェイクスピア戯曲シリーズDVDのうち,『コレオレーナス』を観た.悲劇である.それほど知名度のある作品ではなく,私はこのような作品がシェイクスピアにあるとは事前には知らなかった.しかし観てみると,同シリーズの作品中,最も印象的な作品だと私には思えた.

 主人公はプルタークの『英雄伝』に出て来る人物らしく,シェイクスピアのネタ本は『英雄伝』である.作品の背景はローマが王政から共和制に移行して間もなくの頃であり,『ジュリアス・シーザー』や『アントニーとクレオパトラ』が紀元前1世紀(キリストの時代の半世紀前)頃の話であるのに対し,紀元前5世紀頃の話のように思う.登場する兵士の装備も,映画でよく見るローマ物のような鎧兜ではなく,ギリシャのスパルタの兵士のような装備である.
 筋のあらましを書くと,主人公はカイアス・マーシャスというローマ貴族で軍人である.このマーシャスが敵のヴォルスキ人の都コリオライを攻略した功によりコリオレーナスという称号を得る.ローマ元老院は軍功抜群のマーシャスを執政官に任じようとする.いったんは平民からの同意も取り付けるのであるが,マーシャスを憎む護民官(平民代表の2人)が平民を扇動してマーシャスを陥れ,ローマから追放してしまう.行き場のないマーシャスはヴォルスキを頼り,その軍勢を指揮してローマの諸都市を落としてゆく.ローマを攻撃する前にマーシャスの母親や妻,息子らがマーシャスに会いにゆき,ローマを救うように懇願する.母親の懇願に負けたマーシャスはローマ攻略を止め,講和を結ぶのである.その後,マーシャスはヴォルスキ内部で裏切り者として殺されてしまう.
 マーシャスを演じるAlan Howard はニコリともせぬ尊大で鬼神のようなマーシャスを,圧倒するような台詞回しで演じてゆく.マーシャスのヴォルスキ側の好敵手オフィディアスを,『恋の骨折り損』でくどい理屈を重々しく操ったMike Gwilymが,今度は武人として重々しい台詞回しで熱演する.だからこの作品は終始緊張感が高い.
 この作品は典型的な悲劇と思う.悲劇は,美徳のある者がその美徳故に破滅するから悲劇である.下らない奴が馬鹿なことをして破滅しても悲劇とはいわない.マーシャスは高い愛国心と軍事的才能によって認められるが,その頑なな軍人気質の故に反感を買って追放される.そして復讐を始め,いったんはローマを滅亡の淵まで追い込む.しかし母親の懇願を人間らしく受け入れることによってオフィディアスに殺されてしまうのである.
 劇中,オフィディアスが,ローマでマーシャスが追放された原因を同僚に解説する場面がある.第1は高過ぎるプライド,第2に判断力が欠如してうまくやる機会を逃がしたこと,第3にnature,つまり平時に対応できず軍指揮官然として民衆に接したこと.そのすべてではないにせよそのいくつかによって,マーシャスはローマで失敗したと分析する.この分析はおそらく,この人物に対するシェイクスピア自身の解釈なのだろう.
 ただ,マーシャスが失敗したのは単に彼の個人属性だけの問題ではなかったろう.当時の共和制ローマでは元老院に代表される貴族と平民との間に緊張関係があり,平民の代表である護民官に高い権限があったらしい.そうした政争の中で貴族派のマーシャスがはじき出されたという側面があるだろう.

 なお,ベートーヴェンの序曲コリオランのコリオランは,コレオレーナスと同じらしい.ベートーヴェンは『英雄伝』をネタ本にした友人による戯曲を見て感動し,この序曲を作ったという.

by larghetto7 | 2018-11-08 19:06 | 日記風 | Comments(0)
2018/11/06 火曜 シェイクスピア 『アントニーとクレオパトラ』
 BBCのシェイクスピア戯曲のDVDシリーズの『アントニーとクレオパトラ』を県立図書館から借りてきて観てみた.この作品はシェイクスピアの古代ローマものの1つであり,『ジュリアス・シーザー』の後の話である.
 このストーリーは何度か映画になっていて,その筋は広く知られているだろう.シェイクスピアの原作に近いのはチャールトン・ヘストンがアントニーを演じた『アントニーとクレオパトラ』だろう.が,私は観ていない.私が(TVで何度か)観たのはエリザベス・テイラーがクレオパトラを演じた『クレオパトラ(1963)』の方だった.この映画の後半が『アントニーとクレオパトラ』に該当する.筋がどの程度シェイクスピアの原作に近かったかは分からない.

 という訳で,筋はあらかた分かっているので緊張感なくこのDVDを観た.この作品は『ジュリアス・シーザー』同様に,敗れた側から戦乱の様子を描いている.クレオパトラを演じたのは同シリーズでマクベス夫人の役だったJane Lapotaireという女優である.一風変わった風貌であり,エリザベス・テイラーのような美人型ではない.Jane Lapotaireはこの作品製作の頃にブロードウェイに出ていたらしく,エディット・ピアフの La vie en rose を歌う様がYoutubeで見られる.アントニー役はシャーロック・ホームズの映画でワトソンを演じたColin Blakelyである.劇中でシーザーと呼ばれるオクティヴィアスを演じたのが,『終わりよければすべてよし』でバートラム役だった『炎のランナー』のIan Charlesonである.Ian Charlesonは明晰で冷徹な若い大企業の御曹司のようであり,アントニーのColin Blakelyは中年の中小企業の親父のような感がある.
 観ながら思ったのは,最後のアレクサンドリア陥落の場面は大阪の陣で大阪城が落城する場面と似ているな,という点である.アントニーらは情勢が不利になりアレクサンドリアを包囲された後の初戦では,真田幸村よろしく奮戦して勝利を得る.が,そこから裏切りが出て来る.最後はアントニーがクレオパトラが裏切ったと思ってクレオパトラを口汚く罵る.クレオパトラは側近と霊廟に退避する.その後,霊廟に退避したクレオパトらとオクティヴィアス側でやり取りがあり,最後にクレオパトラらは毒蛇で自殺する.大阪城落城でも秀頼や淀殿は城内の籾倉に退避し,そこで徳川側とのやり取りをしたうえで爆死するのである.いかにもリアルな展開だと感じる.

 この物語では寝返りと忠義が話に花を添える.日本の戦国時代と同様だな,という気がする.アントニーは最後に死のうと思って部下に自分を殺すように命じるのであるが,部下はできないと拒否する.イロアスという部下はアントニーを殺すことを引き受けながらその場で自分を殺してしまう.主人を殺すことを拒否する場面は『ジュリアス・シーザー』にもあったので,当時のローマ人の武士道のようなものだったのだろうか? 興味深いのは,アントニーの側近のイノバーバスが,荷物を持たずに最後に裏切って敵に走るのであるが,そのイノーバ―バスにアントニーが荷物を届けさせる箇所がある.イノーバ―バスは裏切りを後悔するが,遅い.イノーバ―バスは最後の戦いの中で無駄死にすることを選ぶ.

 『ジュリアス・シーザー』にせよ『アントニーとクレオパトラ』にせよ,ローマにおいて権力が集中する過程で起こった物語なのだろう.ブルータスらは共和制の維持を目指してシーザーを暗殺した.が,共和制というのは,今日のような」民主主義ではなく,貴族合議制である.その貴族合議制が,力のある者の三頭政治に変わり,その中から抜け出たシーザーが殺されたけれども,また三頭政治に戻り,そこからオクティヴィアスが政敵を各個撃破し,最終的にはアウグストゥス(実質的には皇帝)となるのである.その最後に確固撃破されたのが,アントニーと,手を組んだクレオパトラだった,ということだろう.
 なお,アントニーはオクティヴィアスと一時手を結んだ際,アクティヴィアスの姉オクテーヴィアと結婚している.アントニーの遺児はそのオクティーヴィアによって養育されたらしい.オクティヴィアスの後の皇帝カリグラ,クラウディウス,ネロは,そのアントニーの血筋だという.

by larghetto7 | 2018-11-06 17:48 | 日記風 | Comments(0)
2018/11/02 金曜 法人化後の初代学長
法人化後の初代学長

by larghetto7 | 2018-11-02 18:13 | 日記風 | Comments(0)
2018/10/30 火曜 シェイクスピア 『マクベス』
 BBC制作のシェイクスピア戯曲のDVDにある『マクベス』を観た.『マクベス』はシェイクスピアの4大悲劇の1つであり,知名度が高い.ワタシ的には,『マクベス』はシェイクスピア作品の中で最も親しみがある作品である.
 『マクベス』への親しみがあるのは,黒澤の映画『蜘蛛巣城』による.実は『蜘蛛巣城』は,私が映画館で観た最初の映画だった.あくまで私の認識であり,記憶は人の中で遡って再構成されるから,実際にその通りかどうかは疑問の余地はあるとしても.
 私が1952年生まれで,『蜘蛛巣城』が公開されたのは1957年1月という.だから,私が映画館で最初に観たという記憶には矛盾はない.私が観たとすれば,故郷の家の近所にあった東宝の映画館である.ただ,怖くて画面を観ていられなかった.幽霊映画のようなものだったのである.だから筋は把握しなかった.その時に観たと覚えている場面は2つである.1つは老婆(魔女)が糸車を回している場面.もう1つは,山田五十鈴のマクベス夫人が,手をいくら洗っても血が落ちないと呻く場面である.最後の,三船敏郎が矢を射かけられる場面も,観ていれば印象に残りそうであるが,怖くて画面は観ていなかったかも知れない.

 今回のDVD作品(TV番組)については,BBC製作であるから,原作に忠実に作ってあるのだろうと思う.このシリーズでは,作品によっては通常のTV番組のスタジオ撮影のように作ってあるものもあるし,いかにも舞台をTV番組の載せたと思わせる作品もある.この『マクベス』は後者だろう.舞台用を思わせる簡単なセットを使っている場面が多い.同シリーズの他の作品と違うのは,Carl Davidによる音楽がこのシリーズとしては異例な,サスペンス調であることである.
 この作品の見どころは,時間の経過に伴ってマクベスとマクベス夫人の性格が変容して行く様だろう.最初,ダンカン王の武将として登場するマクベスは有能で誠実な人柄だった.王殺しは,マクベス自身は気が進まなかったが,気の強い夫人に促されて犯してしまう.しかし王になってからのマクベスはだんだんと悪事にのめり込み,それに伴って性格も暗く,最初とは別人のように変わる.逆に最初こそ果敢であったマクベス夫人は,次第に気の弱さが目立つようになり,重圧に負けて自滅して行くのである.マクベスのNicol Williamsonとマクベス夫人のJane Laptaireは,その変容をうまく演技で表していたように思う.

 この作品を観ながら私が一瞬不思議に感じたのは,ダンカン亡き後,マクベスがなぜに容易に王になれたか,である.有力な武将であれば宰相にはなれるかも知れないが,王になれるのか?
 実在のマクベスがどういう人か,Wikipedia(で悪いが)で調べてみた.近くの図書館にある程度のイギリス/スコットランド史の本では,個別の点をそれほど詳しくは書いていないのである.
 分かったのは,実在のマクベスはダンカンの従弟であり,年齢もそれほど違わなかったことである.だから王位継承権を持っているだろうし,王になるのが不思議とはいえなかったのである.
 この作品ではダンカンは老王として描かれる.しかしダンカンは1001-1040年の生涯であり,死んだのは40歳程度だった.スコットランドでの王としての在位は1034-1040年の7年間に過ぎない.一方マクベスは,4つ下で1005-1057年の生涯である.王としての在位期間は1040-1057年の17年間であり,戯曲では王になってすぐ殺されるように思えるが,実際は17年間という,当時としては長い在位を遂げている.マクベスは王として有能だった,ダンカンは失敗した,という解釈もある.むろん,マクベスがダンカンを殺して王になったこと,ダンカンの子のマルカムに戦いで破れ殺されたことは史実である.
 この作品では「夫人」と呼ばれ名前も出てこないマクベス夫人であるが,実在のそれらしい人は名をグロッホというらしく,実は少し前の王ケネス三世の孫娘であるらしい.だからマクベス,マクベス夫人とも血筋では王につながっており,王になること自体は途方もない野心という訳でもなかったのだろう.
 マクベスの時代は,イングランドではノルマン人の征服(1066年)の少し前である.ノルマン人の征服は,国内が騒乱状態にある上に外国の勢力が介入するという状況の中で偶々生じたことのように思う.実はスコットランドも似たような状態にあり,『マクベス』でも冒頭では内乱とノルウェイ王の介入があったことになっている.そういう騒乱状態の中で,血筋上も王に近い名門のマクベスが,王を倒して王位に就いた,というのが実際の所かも知れない.

 この作品を観ながら「あれ」と思ったのが最後の場面である.手許にある和訳本(松岡和子訳,ちくま文庫)では,マクダフがマクベスの首を持ってマルカムらの前に現れ,マルカムはこれから王になると宣言して劇は終わる.しかしこのDVD作品では,玉座近くでマクベスがマクダフに討たれて倒れている.マルカムが王になると宣言するところは同じなのであるが,そのマクダフより玉座に近いところになぜか,マクベスに殺されたバンクォーの息子フリーアンスが現れ,マクベスの死体,玉座,フリーアンスが画面に入ったところで劇が終了している.ここでフリーアンスを玉座の近くに置くという演出は何なのか?
 次のようなことかも知れない.『マクベス』が(たぶん宮廷で)初演された1606年は,エリザベス一世が1603年に死んでスコットランド王だったジェイムズが王位に就いた後である.スコットランドを舞台にする『マクベス』を作ったのも,そのジェイムズにヨイショするためだったらしい.ジェイムズの属するスチュアート朝の祖とされているのが,マクベスに殺されたバンクォーだからである.実はバンクォーの息子のフリーアンスも歴史ではマクベスに殺されるのであるが,フリーアンスの子供が血脈をつなぎ,マクベス物語の300年後にスコットランドでスチュアート朝が始まる.
 だからバンクォーの血筋を持ち上げるために,フリーアンスをマルカムより玉座に近い場所に置いて劇を終了する,というのは,初演当時はあり得た,だからこのBBCの作品でもそうしてみた,ということかも知れないなと思った.

by larghetto7 | 2018-10-30 17:52 | 日記風 | Comments(0)
2018/10/27 土曜 映画『雨のしのび逢い』をDVDで観る
 県立図書館でシェイクスピアのDVDと一緒に『雨のしのび逢い』のDVDを借りていた.このDVDだけ観ずに返却しようと思って昨日,県立図書館に行った.しかし昨日はイレギュラーな休館日だった.返却せずに帰ってきた.
 返却が1日遅れるので,せっかくだから『雨のしのび逢い』を観てみた.

 この映画の中で雨は降らない.原題は Moderato Cantabile なのに邦題がなぜ『雨のしのび逢い』になったのかは,まあ,いつものことだろう.
 ブルジョアの夫人アンヌ(ジャンヌ・モロー)と労働者階級の男ショーヴァン(ジャン=ポール・ベルモンド)の物語である.ジャンヌ・モローもジャン=ポール・ベルモンドも,私の記憶の中のイメージより若い.製作は1960年であるから,今から半世紀以上前になる.
 甘く切なくやるせない恋愛ものかと思ったが,そういう訳でもない.物語の冒頭,カフェ・ジロンド(Cafe de la Gironde)で殺人事件がおきる.物語はジロンド県(ボルドーがある)の小さな町でのことである.既に警察も来ているが,犯人の男は殺した女の遺体にすがりついて愛撫している.その光景を見る群衆の中にアンヌとショーヴァンがいた.この異様な光景がそれから始まるアンヌとショーヴァンの7日間の恋を導くのである.
 カフェ・ジロンドは労働者階級の男が集まる店である.そこでアンヌとショーヴァンはしばしば逢う.最後に,夜半,アンヌとショーヴァンは客のいないカフェ・ジロンドで逢う.ショーヴァンはアンヌに「あなたには死んでほしい」といって去ってゆく.アンヌは,殺された女がそうであったように,その場に崩れ落ち,悲鳴を2度あげるのである.そして最後の,地味な結末がある.ジャン=ポール・ベルモンドもよいが,やはりジャンヌ・モローを観る映画である.
 この映画が何を意味するかは私には理解し切れない.原作は女流作家のMarguerite Durasが書いた小説であり,Duras自身も脚本に加わっている.
 モノクロで映し出される陰影や風景が美しい.

 どうでもよいが,カフェ・ジロンドの女主人を結構な美人女優が演じている.調べるとPascale de Boysson という女優で,既に亡くなっているけれど有名な女優さんであるようだ.

by larghetto7 | 2018-10-27 15:12 | 日記風 | Comments(0)
2018/10/25 木曜 シェイクスピア 『終わりよければすべてよし』
 BBC制作のシェイクスピア戯曲のDVDシリーズのうち,『終わりよければすべてよし』を観た.この作品は,分類としては喜劇である.DVDのケースには,この作品は英アカデミー賞を受賞したという.観てみたところ確かによく出来ていて,観終わったときには感動した.
 筋をやや詳しく書いておこう.舞台はフランス,時代はよく分からないが,服装からするとシェイクスピアと同時代なのだろう.主人公はロシリオン伯爵お抱えの医師の娘のヘレナである.医師の親父さんが亡くなって半年くらいの時点から話が始まる.ヘレナは孤児であるが,前ロシリオン公爵夫人に我が子のようにかわいがられている.ロシリオン伯爵位は息子のバートラムが継いでいる.ヘレナはそのバートラムに密かに恋をしている.何とかバートラムと結婚するために,瀕死の病にかかっているフランス王を治療することを願い出る.この治療は成功し,喜んだフランス王はヘレナに好きな相手と結婚させるという.そこでヘレナはバートラムを指名する.
 この指名を(前)公爵夫人は喜ぶが,バートラム本人は反発し,ヘレナを嫌い,形だけ結婚したことにしてフローレンスに出陣してしまう.バートラムはヘレナに,「家伝の指輪を手に入れて自分の子を宿したなら結婚する」と言い残す.ヘレナも家出して巡礼の旅に出て,巡礼先で死んだことになる.
 バートラムはフローレンス出陣から戻る直前に当地の娘ダイアナにいい寄る.が,ダイアナとヘレナは知り合っており,ヘレナはダイアナに策を授けるのである.ダイアナはバートラムに指輪の交換を求めて成功する.そしてセックスさせるといって,ベッドの中でヘレナと入れ替わるのである.
 最後の場面はロシリオン邸で,王を含めて一同が会する状況で,ダイアナがバートラムの不実を訴える.そこで死んだはずのヘレナが現れ,バートラムの指輪を得て彼の子供を身ごもったと明かすのである.バートラムもヘレナとの結婚を受け入れて大団円で終わる.

 この作品で感心するのは,主要な登場人物が全員,有名な俳優であり,しかも見事な演技をしている(ように見える)ことである.バートラムを演じたのは,この作品の製作と同時期に公開されたあの『炎のランナー』(Chariots of Fire)で,スコットランドの宣教師エリック(400m走で金メダルを取る)を感動的に演じた Ian Charlesonだった.伯爵夫人のCelia Johnson,フランス王のDonald Sinden,ヘレナを理解する老貴族ラフューに『リア王』と『テンペスト』で主演したMichael Hordern,ダイアナが『テンペスト』でミランダを演じたPippa Guard,バートラムの同僚貴族デュメーンに『から騒ぎ』のベネディクトなどを演じたRobert Lindsay,などである.特にフランス王は他を圧する迫力がある.

 しかしこの作品は上演機会がほとんどなかった作品という.いくつかケチがつくところがあるかららしい.Wikipedia(で悪いが)によると,ヘレナのような身分の低い者との結婚を王や貴族が支持するのは不自然であること,ヘレナはよいがバートラムは好きでもない,身分も低い相手と結婚させらえるのはハッピィな終わり方ではないだろう,結婚してもうまくゆくとも思えない,といったことである.
 たぶんそうした問題をクリアするように演出がなされたのではないかと想像する.この話は大まかにはヘレナの成功物語である.身分が低いヘレナが王の治療とバートラムが課した結婚の条件という2つのハードルを見事クリアし,バートラム伯爵との結婚を実現する.そのヘレナを野心的なヤッピィのようにギラギラ描いてしまうと興ざめになる.だからヘレナは終始抑えたふるまいをする者として描かれる.フランス王は結婚を強いるほどの強い,帝王的なキャラとして描かれる.画面も抑えた色調であり,音楽も同様である.考えた演出なのだろう.最後にヘレナがすべてうまくやったところで,私もヘレナの側に立ってよかったと思った.いろいろ問題はあるのだろうが,最後に観客の共感を得ればそれでよいではないか.まさに「終わりよければすべてよし」なのである.「終わりよければすべてよし」は,最後にオシリオン邸に向かうヘレナがその趣旨のことを口にする.そして同じ趣旨の言葉をフランス王が述べてこの劇が終了する.結果が良ければ過去はbitterでもSweetな未来が見通せる,と.
 ちなみに,であるが,社会心理学のテキストには,認知の所で Stony Past, Golden Future という言葉が出て来ることがある.過去はつらいものに,未来は明るいものに映る,という認知的なバイアスが人にはあるというのである.このバイアスは,未来を楽観的に考えた方が結果がよい(進化的には,楽観的な方が適応度が高い)ことによるとするのが,1つの考えである.

 なお,この作品では,主たる筋と並行して卑怯者のぺーローレスの物語が進行する.ぺーローレスはその卑怯さがばれ,バートラムらの信頼をすべて失って追放され零落する.しかし最後のオシリオン邸の場面で乞食のようになって現れ,ラフューから捨扶持をもらえることになり,最後のヘレナの勝利にも若干貢献する.嫌われ役のぺーローレスにも救いを与えるのがこの作品である.落ちぶれてもたくましく生きてゆくぺーローレスはある意味立派なのかも知れない.

by larghetto7 | 2018-10-25 18:34 | 日記風 | Comments(0)
2018/10/21 日曜 シェイクスピア 『ウィンザーの陽気な女房たち』
 BBCのシェイクスピア戯曲のDVDシリーズの『ウィンザーの陽気な女房たち』を,県立図書館から借りてきて観た.この作品は,題から分かる通り喜劇である.ざっと流して観るつもりだったが,思いのほか面白かった.

 ウィンザーはウィンザー城で名を知られる.調べるとロンドン中心街の西34kmというから,ロンドン近郊といってよいのだろう.陽気な女房とは,ウィンザーの紳士階級のペイジ家とフォード家の夫人である.主役になるのはフォルスタッフという,サーの爵位を持つがならず者同様の老体で,劇中ではしばしばサー・ジョンと呼ばれる.フォルスタッフは『ヘンリー四世』で出てきた人気キャラで,エリザベス女王が気に入って,現代(当時)の時代設定で登場することになったらしい.
 この作品では2つのストーリーが並走する.1つは,フォルスタッフがペイジ夫人とフォード夫人に同時に同じ文面の恋文を書き,ねんごろになって金を巻き上げようと画策する.女房たち,つまりペイジ夫人とフォード夫人はフォルスタッフの意図を見抜き,話に乗るように見せて,フォルスタッフを散々に懲らしめる,というドタバタ劇である.もう1つのストーリーはペイジ夫妻の娘のアンの結婚話である.アンには裕福な紳士スレンダー,フランス人医師で宮廷にも出入りするカイアスが求婚している.ペイジの旦那はアンをスレンダーと,ペイジ夫人はカイアスと結婚させたい.が,アンは,身分はあるが金のないフェントンと恋仲である,という状況である.
 この2つのストーリーは最後の場面で合流する.最後の場面では,フォード夫人がフォルスタッフを夜中,ウィンザーの森のオークの木の下に呼び出す.その森のオークの木とは伝説の場所であり,狩人ハーンという幽霊が出るという言い伝えがある.そこに出向いたフォールスタッフは妖精たちに化けた登場人物たちに脅され,いじめられる.が,その騒ぎの中でアンはフェントンとその場を抜け出して結婚してしまうのである.最後は大団円となり,お互いのわだかまりを許し合い,フォルスタッフを含め,みんなで談笑するためにペイジ家に向かうという場面で終わる.この最後の場面は画面として美しく,『夏の夜の夢』を思わせる.
 これまで観たシェイクスピア喜劇の中でも,私にはこの作品は特に魅力的である.この作品には悪人は出てこない.皆が善意の人である.ずるいことを考える者もいるが,みな懲らしめられ,最後は円満に終わるのである.

 主役はやはりフォルスタッフなのだろう.私は,このフォルスタッフというキャラがなぜ人気があるか理解できなかった.フォルスタッフは,時代設定としてはこの作品ができるより200年近く前の,ヘンリー四世の物語に出て来る.先述のように,おそらくエリザベス女王が望んだので,このキャラを「現代劇」の中に呼び込んだのである.今回この作品を観てみると,要するに落語の与太郎とか熊五郎のように,喜劇ストーリーの中に常に登場するダメな奴,という設定で人気があるのだろう,と思えてきた.フォルスタッフの手下も同じメンバーで登場する.バードルフ,ピストル,ニムである.
 さらに,この作品では重要な役割を演じるクイックリー夫人というのは,『ヘンリー四世』,『ヘンリー五世』に出て来る,フォールスタッフ行きつけの居酒屋ボアーズヘッド亭の女将であり,『ウィンザーの陽気な女房たち』では医師カイアスの使用人として登場している.『ヘンリー五世』ではピストルがクイックリー夫人を妻にするのであるが,この2人がねんごろになるところも『ウィンザー』で描かれるという,芸の細かさが示されている.なお,バードルフ役のGordon Gostelowは,前作と同様に一貫してバードルフ役で出ている.バードルフ役は彼しかいないと,解説書には書いてあった.

 この作品で名演技が目立つのは,フォード氏(旦那)を演じた Ben Kingsley である.フォード氏は妻が浮気をしていると疑い,いろいろと動き回り,喜劇的に大騒ぎを演じる.Ben Kingsley はインド系の俳優だそうで,『ガンジー』という映画ではガンジーその人を演じている.また,クイックリー夫人のElizabeth Spriggsも大したものである.カイアスの使用人でありながらいろんな人の使いをこなし,最後は妖精の女王役までやってしまう.
 目立たない役であるが,スレンダーの召使というちょい役で,『リチャード三世』で主演したRon Cookが出ていたのも面白い.

by larghetto7 | 2018-10-21 19:13 | 日記風 | Comments(0)
2018/10/16 火曜 シェイクスピア 『尺には尺を』
 県立図書館から借りたBBCのシェイクスピアのDVDシリーズの『尺から尺を』を観た.この作品は「喜劇」に入る.しかしシェイクスピア劇の常として,悲劇になるか喜劇になるかは紙一重の展開の差である.ストーリーそのものはかなり深刻に進む.
 この作品の題名『尺には尺を』(Measure for Measure)の意味が事前に気になった.たぶん目には目を,歯には歯を,tit for tat といった意味であろうと予想した.作品を観たところ,大まかには当たっている.が,正確にはやや異なる.目には目をは結果の公正性を指す.ここで「尺」(measure)とは基準といった意味らしく,「尺には尺を」は新約聖書の表現によるという.つまりあることに基準を適用すれば同じ出来事には同じ基準を適用しろ,という,方法上の公平性を指している.むろん,適用すべき行為が同じであれば,同じ基準を使えば結果の公平性も含意される.

 この作品,たとえていえば「遠山の金さん」,「水戸黄門」,「暴れん坊将軍」のシェイクスピア版だと思えばよい.ウィーンの公爵のヴィンセンシオがお忍びで旅に出ると言い出す.その間の公爵代行にアンジェロを任命するのである.アンジェロは全権を委任される.アンジェロは厳格な人で,19年前から適用がなかった旧法を復活させ,クロ―ディオを,恋人(ジュリエット)を婚前に妊娠させた罪で逮捕し,死刑にしようとする.クローディオの妹で修道女見習のイザベラがアンジェロに,クローディオの命乞いをする.ところがアンジェロはイザベラを見初めてしまい,平たくいうとセックスさせれば兄を死刑にしないでやると持ち掛ける.だから,クローディオに適用した基準をアンジェロにも適用すれば,アンジェロも罪になる,というのが「尺には尺を」なのである.
 で,何が遠山の金さんかというと,旅に出たはずの公爵ヴィンセンシオは実はウィーンに留まり,旅の修道士のふりをして世情を眺めるのである.そして,クローディオの死刑の件でイザベラが悩んでいることを知るという,うま過ぎる展開になる.ヴィンセンシオは修道士を名乗りつつ,イザベラを助け,クローディオが死刑にならないように策をイザベラらに与える.
 最後の場面で公開の場でアンジェロに対するイザベラの訴えがある.話はもっと複雑であるが,簡単にいえば,アンジェロの非難はすべて修道士が仕組んだ悪だくみであり,その修道士を連れて来いということになる.その修道士,実は公爵その人だ,と身分を明かし,ここにすべての悪事は露見して,めでたしの決着になるのである.
 日本の時代劇の遠山の金さんスタイルはどこまで遡るか分からないが,日本の時代劇が始まるずっと前からシェイクスピアがやっていたというのは,感慨深いものがある.
 題名が作品のメッセージである点は分かりやすい.いい方を変えれば,為政者たる者,ダブルスタンダードはダメよ,ということである.

 という物語であるが,中身についてはツッコミどころは多いように思う.だいたい,お忍びで世情を見たいなら何も旅に出たことにする必要はない.遠山の金さんも暴れん坊将軍も,奉行や将軍の代行などは立てないだろう.それに,その代行を選んだおめえには任命責任があるだろう,という話である.人助けをするなら,面倒な芝居など打たずにアンジェロの前に出て決済すれば済む話である.しかもこの審判を,劇を面白くするためとはいえ,公衆の面前でやることもないだろう.アンジェロも結局救われるのであるが,公衆の面前で芝居を打ったものだから,アンジェロの面目は丸潰れではないか.しかも,最後に公爵は自分が助けたイザベラと結婚する,うーん,そりゃないだろう.
 とまあ,ストーリーには納得できない点があるが,そこはシェイクスピア劇の常である.なかなか派手に楽しめる作品だ,とポジティヴに考えるべきなのだろう.
 
 この作品,ウィーンが舞台であるが,特にウィーンらしいところがあるのか,分からない.ウィーンが舞台であるのに人名はイタリアか地中海風である.はっきりいって舞台はどこでも良かったのだろう.

 この作品で同シリーズ37作品中,28作品を私は観たことになる.ここまで来ると早く全37作品を観たい気持ちになる.

by larghetto7 | 2018-10-16 19:01 | 日記風 | Comments(0)