2018/10/04 木曜 シェイクスピア 『リア王』
 BBCのシェイクスピアのDVDシリーズの『リア王』を,『オセロー』と一緒に借りていた.返却期限が近づいたので急いで観た. 
 同シリーズの作品を,このところシリーズでの順番に従って借りて観ていた.実は順番通りであれば『オセロー』,『リア王』の前に喜劇が4作品続くのである.しかしその4作品は偶然にも誰かが借り出していた.正直,4大悲劇の『オセロー』と『リア王』という大作を続けて観るのは気が重い.間に喜劇を挟みたいところだった.しかし借り出されていたのだから仕方ない.
 ワタシ的には,『リア王』は黒澤明の『乱』で満足していた.中身は『乱』で尽きているような気がした.だからそれほど観たいとは思っていなかった.しかしこの『リア王』を観てみると,当然かも知れないが,『乱』とは違った面白さがある.
 主演のリア王は大御所のマイケル・ホーダーンで,同シリーズの『テンペスト』では主役のプロスペローを演じた.重要な作品だけあって他の役も名のある俳優さんが演じている.

 観ながら最初に,『リア王』の時代設定が不可思議であることが気になった.
 本来なら,この物語はノルマン人の征服以前の出来事のはずである.リア王とは『ブリタニア列王伝』に記された(したがって神話的な)王である.国はブリタニア(ないしアルビオン王国)であって,イングランドではない.ちなみに,この戯曲の中ではキリスト教は出てこない.リアたちが口にする神はギリシャ神話の神である.ところが,DVDの画面では,登場人物の服装はエリザベス朝の服装のように見える(服装は演出家の判断だろう).リアの上の2人の娘(ゴネリルとリーガン)の夫の地位は,それぞれ,オールバニ公とコーンウォール公である.オールバニ公という爵位ができたのは1398年,コーンウォール公は1337年,つまりプランタジネット朝のときにできた爵位である(ちなみにヘンリー八世はコーンウォール公だったらしい).フランス国王やバーガンディ公(ブルゴーニュ公)が出て来るところも,どう見てもプランタジネット朝以後である.
 つまり,この物語はシェイクスピア史劇の期間(プランタジネット朝からチューダー朝)以前に設定されているように見えるが,史劇の期間の出来事のように上演されている,ということなのだろう.芝居であるから構わないのだろう.

 『リア王』は分かりやすい話である.人物の設定が単純に,善玉と悪玉に分かれている.善玉と設定されるのは,リア,末娘のコーディリア,リアの忠臣のケント伯,グロスター伯,グロスター伯の嫡子エドガー,長女ゴネリルの夫オールバニ公,(あえて挙げれば道化)などである.悪玉は長女ゴネリル,次女リーガン,リーガンの夫コーンウォール公,長女配下のオズワルド,ケント伯の庶子エドマンドである.
 しかも,勧善懲悪の要素があるので親しみやすい.悲劇であるから主要な人物の多くが劇中で死んでしまう.死ぬ順番でいうと,善玉ではグロスター伯,コーディリア,そしてリアである.しかし結局,死ぬ人数は悪玉の方が多い.コーンウォール公はグロスター伯の両目をくりぬくときに,グロスター伯の忠臣に斬られ,じきに死んでしまう.使い走りの悪役オズワルドはグロスター伯を殺そうとして逆にエドガーに殺されてしまう.次女リーガンは長女ゴネリルに毒殺され,ゴネリルはその後すぐに自殺する.エドマンドはエドガーに挑まれ討たれて死ぬのである.和訳本(ちくま文庫,松岡和子訳)では,ゴネリルとリーガンの遺体はオールバニ公らの前に運び込まれ,舞台の観客の目にも晒される(DVDではその場面は出なかった).結果として「正義が勝つ」ことが示される.

 この物語をちゃんと読んだことがなかった私は,メインのストーリーと並行して,グロスター伯の庶子エドマンドの陰謀物語が進むことを知らなかった.エドマンドはまず,嫡子エドガーの裏切りをイアーゴーのような手口を使ってグロスター伯に信じ込ませる.エドガーは逃亡を余儀なくされ,エドマンドは伯爵に後継者と認められる.その後にエドマンドは,リア王を助けようとするグロスター伯を裏切ってコーンウォール公に臣従する.さらに,ゴネリルとリーガンに同時に,結婚の約束をする.またリアとコーディリアの殺害を手配し,実際にコーディリアが殺されてしまう.シェイクスピア作品の悪役の中でも大活躍する悪役キャラといってよい.

 この作品の終盤ではコーディリアが率いるフランスの軍勢がドーバー海峡から上陸し,ブリタニア軍と戦う.結果はブリタニア側が勝つのであるが,この展開はかなり危険な展開だと思える.フランス側はコーディリアとリアを擁している.もしフランス側が勝てば,長女と次女はリア王に不忠を働いたから,王位継承権はコーディリアの線に移るだろう.ということは,リアの後にブリタニアの王になるのはコーディリアの夫であるフランス王,ということになる.
 もともと,リアは国の三分の一を,バーガンディ公かフランス王と結婚するだろうコーディリアに与えるつもりだった.その考えの通りにしても問題だった.国の三分の一はフランスかバーガンディ公国の領土になる.三分したことでブリタニアの地で紛争が起きやすくなるし,何かあればフランスかバーガンディが介入しやすくなる.
 つまりは,安定した統治が善とすれば,リア王の考えがどう転んでも愚かだった.国を分与すると言い出したときにケント伯がリアにきつく諌言した(その結果ケント伯は追放される)のはもっともなのである.

 さて,この戯曲は黒澤の『乱』と比べてどうだったか?
 以前観た記憶でいうに過ぎない(あらためて『乱』を観るべきかも知れない).私は『乱』を観て引き込まれたのであるが,『乱』という壮大な作品は,何をテーマとするかが分かりづらい.あえていえば戦乱が人々を不幸にしてゆく,がメッセージだろう.特にあのラストの場面がそう思わせる(とはいいながら,黒澤映画の戦闘場面はいつもながら魅力的である).
 『リア王』の方はもっと単純なのだ.こちらのテーマは「君臣の道」と「既存秩序の維持の重要性」であると私は思う.君主は賢明でなければならず,リア王のような愚かな判断をすべきではない,うわべの追従を見抜かなければならない,というのがメッセージの一方である.他方でこの作品では,私欲を犠牲にする忠臣が賛美される.まるで忠臣蔵である.そして,この作品の結末は「既存秩序の維持」に他ならない.野心家の庶子エドマンドは忠義の嫡子エドガーに討たれるのである.『リア王』の初演の場は宮廷であったようで,どうしてもそのような含意を持つ作品になるのだろう.

 BBCのDVDのケースには「…本戯曲は,人間の身分や地位などが,内面的な悩みの前ではいかに無力かを明らかにする」と書いてある.が,この書き方は混乱した文学者によくある思い込みに過ぎないだろう.素直に観ればこの作品は単純に「君臣の道」を示し,忠臣蔵のように,無心の忠義の美しさを描いた,と私は思う.創作当時の人々は今日の評論家のようなひねくれた考えを持つ訳がなく,屈折したジェンダー論者でもない.

by larghetto7 | 2018-10-04 14:35 | 日記風 | Comments(0)
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