『エデンの東』のDVDも県立図書館から借りていた.昨日,『エデンの東』を観てみた.
『エデンの東』を私が以前に観たのは,中学生の頃,淀川長治がサヨナラ,サヨナラとやる「日曜洋画劇場」だったのではないかと思う.『エデンの東』は,私の主観では「観た映画」に分類される.けれども,半世紀前に見たのであるから,あらすじもきれいに忘れている.
いろんな楽団が演奏してきた『エデンの東』のテーマ音楽が,映画音楽の中では私は特に好きだった.牧歌的な印象の曲であるから,映画自体も牧歌的な内容であるかのような気がしていた.
半世紀の時を経て『エデンの東』を再びDVDで観たのである.
2時間ほどの映画であるから,真ん中あたりでいったん休憩してまた観るつもりでいたが,予想よりも速いテンポでストーリーが展開するので一気に最後まで観てしまった.すぐには興奮がおさまらなかった.ストーリーは多くの方がご存じであろう.
私が観る前に記憶に残っていた場面は,ジェームス・ディーン演じるキャルが列車の屋根に登って(無賃乗車)移動する場面と,兄貴のアロンが,参戦することになった第1次大戦に出征するといって,列車の窓ガラスを頭で突き破る衝撃的な場面である.今回観て,おやじのアダムの野菜冷蔵の企画が失敗する場面と,キャルとアブラ(アロンの恋人)が観覧車に乗って語り合う場面が,そういえばあったなと思った場面である.
今回観ての私の受け取り方は,中学生の頃の私の受け取り方とはまったく違うだろう.この話は,言葉の本来の意味で悲劇なのである.
親父のアダムはプロテスタントの倫理を内面の原理とする高潔な人物である.彼は,金儲けをするなら別のことができように,野菜の冷蔵方法の確立を目指す.そうすることが世の進歩のためと信じるからである.必死で方法を考える親父を見ながら,キャルは何とか親父を手助けしようとする.親父の事業は天災のために失敗し財産を失うのであるが,キャルは何とか金の工面をしようとする.戦争で豆の値段が高騰することを見込んで,辛うじて元手の金を工面して先物取引で儲ける算段をするのである.このキャルの行動も,単に金を儲けようとするものではない.その金で親父さんに,夢にもう一度挑戦してもらおうとしたのである.思惑通りに金を手にしたキャルが親父にその金をプレゼントしようとするが,親父は拒絶する.親父さんはサリナスの町で徴兵の委員をしており,それで出征させて戦死者も出ている.なのに戦争で儲けた金を手にすることはできない,という.この親父さんの行動も正しい.だが,精いっぱい頑張って親父のために稼いだキャルにとり,その拒絶は愛情の拒絶になってしまう.ここから終盤の破局的な展開が始まる.
誰もその苦しみに値するような悪事をしていない.なのに生じてしまうこの悲しい帰結は,まさに悲劇ということになるだろう.
最後に重病になった親父がキャルに看護を頼むことによって,キャルと親父は和解する.それはホッとする展開ではある.しかし考えてみると,これまでの世界観を破壊されて戦争に出て行ったアロンはどうなるんでしょうね? いったんはキャルに心を通じたアブラはどうするんでしょうね,という割り切れなさは残ってしまう.
聖書にあるわずかなエピソードをここまで膨らましたのは,大変な創作力だったに違いない.