2017年の病気(2):帯状疱疹 (2018/01/02)

 2017年に患った病気のうち,最も病気らしいというか,派手な病気は帯状疱疹だった.帯状疱疹は喘息とともに,退職直前の3月後半に現れた.
 日記を見ると,退職を10日後に控えた3/20頃から喘息の症状が強くなり,3/21火曜に喘息で医者に行っている.後から考えるとこのときに既に身体に痛みがあった.3/23には脇腹の痛みで夜も眠れなかったのである.当初は帯状疱疹という概念は私にはなく,ちょうど大学で実験室の整理をしながら肉体労働をしていたので,ある種の筋肉痛か,神経痛のようなもの,と考えていた.だから痛みのある個所に湿布薬などを貼っていた.我が家は私が最高齢であり,帯状疱疹の経験者はいなかったのである.帯状疱疹という可能性が思い付き,3/25土曜の夕方,受付終了間際にたまたま,皮膚科の医院に受診してみたのである.そのときは,帯状疱疹ではないよね,ということを確認するつもりであったが,受診するとすぐに帯状疱疹ですと言われた.湿布薬など貼ると悪いのですぐに取るように指示された.帯状疱疹はさすがに皮膚科のお医者さんだとお定まりの病気らしく,飲む薬も標準化されているようで,その薬をもらって帰ってきた.
 土曜の夕方にたまたま皮膚科にかかったのは幸運だった.もしそのときに医者に行かなければ,日曜日は休診日だったので,早くても月曜まで真の病名が分からず,状態を悪化させていたはずである.
 発症した患部は右脇腹を中心に背中とお腹であった.ある意味,月並みな帯状疱疹の場所である.顔に帯状疱疹が出ると大変で,お腹でよかったねと,3人のお医者さんから言われたものである.
 帯状疱疹はそれで死ぬというものでも(たぶん)なく,対処方法や薬も標準化されている.後で話をすると患った方も結構多いと分かった.だから,軽症でも死ぬことのある喘息に比べれば大したことはない,というのは終わったから言えることである.当初は未知の病気であり,しかも身体になかりの痛みがあるので深刻に感じた.
 けれども,私は退職までに,つまり3月中に研究室と実験室を整理しないといけない.普通なら待ってもらえるが,実験室の方は,ウチの社会学のグループは2月中にも出ていけという感じであったので(時の学部長執行部にガバナンスがないせいもある),私としては意地でも3月中に整理して実験室を空けておくしかなかったのである.本来なら発症した当初は安静にすべきだったが,身体に無理を強いてそのまま実験室の整理という力仕事を続けた.3月31日でも終わらず,4月1日と2日の週末にも大学に来て大学の部屋の整理をしていたのである.
 だから私は,しみじみと退職したのではなく,痛みと喘息をこらえながらやっと部屋を整理して慌ただしく退職したのである.4月2日になんとか整理が付き,夜に帰るときには,これでやっと退職できたと安堵したほどだった.それから数日,家で寝ていた.
 私が医院でもらった帯状疱疹のパンフレットでは,4~8週間で治るとあった.3月後半に始まった訳であるから,5月の連休の頃には全快しているであろう,という目算だった.ところが思ったより長引いた.何もしないでも痛みがある状態は4月の中頃には終わったように思う.しかし身体を動かすと皮膚と服の間で摩擦があり,そのために痛みがある状態はずっと続いた.だから右腕は使いづらかった.5月を過ぎ6月になっても皮膚の違和感は続き,7月に入る頃まで薬(次第に弱い薬にはなったけれど)を飲み続けていた.皮膚の違和感がなくなったのは秋に入る頃ではないかと思う.科学的な根拠はないけれど,発症した初期段階での処置が拙かったこと,に加えて無理に身体を動かしていたことが悪かったように思う.

 私の帯状疱疹は,今から思うと喘息と一緒に出ていた.だから(科学的根拠はないが)根は一緒なのではないか,という気がする.免疫力が落ちたところで喘息と帯状疱疹が発症したのだろう.免疫力が落ちたことの原因はむろん老化である.ただ,その間のストレスが発症時にピークに達していたように思う.
 退職する直前ではあったが,私の授業などの業務は人と変わらない.年度末には授業の処理も普通にある.卒論指導も普通にやっていたし,修論については,留学生の修論指導・審査を5つ抱えていた.入試業務も,退職を控えた教員としては例外的に多かったように思う.人のやりくりが大変であり,退職する人の中では私に信頼感があるのは(自分でいうのもなんだが)仕方ないように思える.むしろ仕事があるだけ有難いと思うべきと感じた.
 通常でない要因は研究室,特に実験室の整理をしなければならなかったことである.実験室については,前に退職した人の荷物まで抱えていて,私が自由に処置できればまだ楽だったが,後から現れて自分で整理すると言ってきた人がいた.私に処理を任せてくれと言ってもだめで,ご自分でやると聞かず,しかも案の定その方の作業が長引いたので(しかも面倒な荷物は残したままであった),私の作業自体が遅れたのである.
 もう一つ,アーカンソー州立大学とのダブルディグリーのプログラムのまとめが,やはり私がやってしまう他ない状態だった.2月から3月にかけて,実験室の整理を遅らせてその作業に集中した.プログラムについての学長説明をしたのが3月17日であり,それでやっと,大学の業務を終えた,という感じであった.喘息と帯状疱疹が発症したのはその直後であるから,その辺で一気にストレス負けしたような気がする.

 しかし,退職時に忙しかったのは悪いことではなかったように今は思う.もし仮に,退職前の半年くらい,大学の業務が免除され,静かに退職を見つめながら生活することを求められたらどうだったか? 逆に退職ブルーに見舞われ,うつ状態になったかも知れない.その方がストレスが大きかったろう.だから,退職時に忙しくさせて頂いたのは有難いことだったのだろうと今は思う.

by larghetto7 | 2018-01-02 20:11 | 日記風 | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード