12/26 日曜
 思えば年末なのであるが、そのような実感がない。年齢のせいで時間が過ぎるのが短く感じるようになっているのかも知れない。が、それ以外に、なにさ、授業終わりが12月28日の御用納めで、1月4日から授業が始まると言う、これって、ありますかぁ。正月も何もないじゃないですかぁ、と言いたい。
 少し前まで、クリスマスの頃は授業なんてなかったですよね。冬休みになって、そうか、帰郷するんですか、なんて話になるのに、これ何さ?! 
 かくして本日、起きたのがまたも、11時過ぎだった。ま、疲れているんですわな。
 晴れていた。昨夜は寒かったらしく、物置付近のバケツの水が氷を張っていた。
 猫たちに食糧をあげて回る。
 年賀状ソフトを起動してみる。我が家の居間には古いDELLのデスクトップがあるのですが、このPC、最近は年賀状印刷用にしか使わない。ともかく起動してみる。昨年のデータが完備していないことに気づき、昨年(今年か)の年賀状からデータ入力する。飽きてすぐ止める。
 2階の部屋を掃き掃除してから少し拭き掃除する。
 15時から、ポメラニアンのピーちゃんの散歩に出かける。小学校などを回って来る。
 16時頃、近所にあるマサクラワークスという作業着屋に行き、厚手のジャージのズボンを2つ買ってくる。1つが1200円。何と言いますか、今あるのはすり切れていくぶん薄くなった。薄くなっても苦しくないのですが、猫が私の膝の上で爪を立てる、それが薄いと痛いんですよ。
 19時半頃、カミさんと一緒にカワチに出かけて買い物。戻って20時頃から21時まで、NHKの『坂の上の雲』を観る。今日は広瀬中佐が、旅順港閉塞作戦で戦死する。
 『坂の上の雲』は私が大学生の頃に新聞に連載されていたと思う。ちょうどその頃、出席していたフランス語の授業の先生が平川祐弘という、高名な比較文学者であった。この平川先生が当時、『ロシアにおける広瀬武夫』という本を書いていた(読まなかったけど)。
 で、まあ、それはそれだけの話であったけれど、後、熊本大学でグルダイ(社心?)の大会があった折の帰りがけに、なぜか阿蘇を横切って大分県の竹田に行ったとですたい。まあ、例の荒城の月の岡城址を観に行ったのですが(それはそれで良かった)、帰りに町まで歩く途中、崖の上に神社があり、ふと立ち寄るとそれが広瀬神社でありました。軍神となった広瀬武夫を祭った神社なのですな。神社の敷地には阿南惟幾の碑もあったのですが、阿南惟幾も竹田の出であるのを知ったのは後のことですたい。
 広瀬武夫の生家(跡?)というのも地図には載っていたような気がするけれど、行かなかった。むしろ滝廉太郎関連の施設とか、これが一番良かったですが、田能村竹田の旧居などに行ったとですたい。えーと、あと、市の博物館に行くと、南画がかなりありましたな。それとまあ、武家屋敷跡とかがあって、キリシタンのバテレンが隠れていた(のかも知れない)穴、なんてのがありましたな。一日でよくそんなに見たもんですな。もとを取ろうと必死だったんですな。それにまあ、竹田という小さい市なのだけれど、相当の人物と文化の痕跡があったことには、感動します。
by larghetto7 | 2010-12-26 23:45 | 日記風 | Comments(2)
Commented by 通りすがり at 2010-12-28 19:29 x
大分弁の使い方、まちごうちょります。
Commented by larghetto7 at 2010-12-29 10:28
どうも有難うございます。いや、私、大分弁を存じ上げるはずもなく、私の書き方は、元祖『巨人の星』の左門豊作へのオマージュですたい(熊本農林?)。
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