2019/02/17 日曜 国立大学が直面するかも知れないいくつかの事柄
国立大学が直面するかも知れないいくつかの事柄

# by larghetto7 | 2019-02-17 00:37 | 日記風 | Comments(0)
2019/02/12 火曜 『日本国紀』を読んでみる
 1月の末にamazonで百田尚樹の『日本国紀』と高橋洋一の『「文系バカ」が,日本をダメにする』を注文した.夕方にネットで注文して次の日の午前中に届いた.台所に置いて合間に読んでいた.
 その『日本国紀』であるが,なるほど,売れるだけあってよく書けていると思う.歴史ものということだと,私が学生の頃は司馬遼太郎がよく読まれた(今も読まれている).司馬遼太郎の文章は自分の中に感動がこみ上げるのを感じながら書いているようなところがあり,しばしば長いセンテンスがあり,やや持って回った言い方をするところがある.その当時の様式だったのだろう.会津藩が幕藩体制の最高傑作だとか,西南の役の薩摩軍が当時世界最強の軍団だったとか,気持ちは分かるが何を根拠に言っているか分からないところもあった.けれど,そこが作家自身の感動を読者に伝えるようなところがある.対して百田尚樹の『日本国紀』はクールである.センテンスが明解であり,センテンスの長さも程よく制御されている.読みやすいテンポの文章である.ある意味『理科系の作文技術』的な所があるのが今日的なのだろう.
 『日本国紀』の特徴と私が思ったのは次の点である.
 第1に,おおまかな日本政治史である.歴史の流れの概略を伝えることに主眼があり,細かい点は省略している.大河ドラマ常連である新選組や戦国武将にはほとんど触れていない.大きな流れからは重要でないからだろう.鎌倉時代など,北条政権内部での権力闘争などは面白いと思うのだが,鎌倉時代の最初と最後,それにいわゆる元寇しか出てこない.
 第2に,江戸時代以降に多くの頁を割いている.全体が505頁であるが,163頁から江戸時代に入る.「第7章 幕末~明治維新」が終わるのは280頁である.だから明治以降が4割強を占める.江戸時代に頁を使っていることは,日本の近代を語る上で江戸時代が重要だったからだろう.R.P.ドーアの『江戸時代の教育』が流行った頃に学生だった私にはよく理解できる.
 第3の特徴はこの本が歴史上の人物をうまく取り上げていることである.幕末の小栗忠順が優れてた人であることは私も知っていた.が,水野忠徳や,平岡公威(三島由紀夫)の名前の由来だったという古市公威などは,私は知らなかった.司馬遼太郎の小説でも描かれる宇和島の嘉蔵も出て来る.「こんな立派な人がいましたよ」というのがメッセージであるが,反面,節操のない人も登場する.これら人物の記述が歴史の流れを親しみやすいものにしている.
 第4の特徴は近現代史の箇所で中国や南北朝鮮からのプロパガンダに対応した記載が多いことである.その点は日本の歴史をすっきり書くという点からすれば過剰に思える.しかし記録による記載であり,中身はその通りと思う.その過剰さは了とすべきだろう.
 特に上記の第4の特徴のためと思うが,左翼陣営は例によってこの本を批判攻撃していると聞く.それら批判について東大生のようなYouTuberがまとめて解説していた動画を目にする機会があった.よく調べたものである.たいした問題はない,が結論だった.まあ,その通りだろう.
 本の中では書いていないと思うが,たぶん著者には,学校で教える日本の歴史がこのようであるべきだという主張があるように感じる(著者は「受験生は読むな」といっているようだが).今から10数年前,私は娘の歴史の教科書を偶然に見て驚いたことがある.日本暗黒史のようだった.資料集は土一揆・農民一揆の話ばかりで,マニアックに過ぎる.すんなりと日本の歴史を明るく述べることは,特に学校教育では配慮すべきことと思う.

# by larghetto7 | 2019-02-12 22:43 | 日記風 | Comments(0)
2019/02/07 木曜 今年の埼大の入試
今年の埼大の入試

# by larghetto7 | 2019-02-07 16:29 | 日記風 | Comments(0)
2019/02/07 木曜 法人化後の3代目学長(中)
法人化後の3代目学長(中)

# by larghetto7 | 2019-02-07 11:34 | 日記風 | Comments(0)
2019/02/01 金曜 DVDでルイ・マルの『鬼火』を観る
 ルイ・マル監督作品の映画『鬼火(Le feu follet)』を県立図書館から借りてきたDVDで観てみた.少し前に『踊るブロードウェイ』を観たが,以前にその作品と一緒に借りて来たものの,観なかった映画である.1963年に公開されたフランス映画である.
 この映画は情事の場面に始まり,主人公の自殺場面で終わる.その間の2日の物語である(数え方では3日).
 正直いって私には,この映画の意味が分からない.
 有名な文学作品を読んでも,私はしばしば意味を理解できない.例えばホーソーンの『緋文字』なら,山場がはっきりしているし,緋文字を胸に刻んだ女と苦悩する牧師の悲しい物語であるとしてすぐに理解できる.しかしそういう分かりやすい文学作品は私には少ない.同じ頃のアメリカの文学作品である『白鯨』は何なのか?『異邦人』など,何の意味がある作品なのか?『鬼火』はそういう,私には分からない文学作品のようなものだった.しかし分からない割には私の眼は画面にくぎ付けになっていた.そこが不思議である.
 主人公はアラン・ルロワという30歳の男性である.物語の舞台は,主人公が入院している療養所があるヴェルサイユと,パリである.この主人公がどういう人であるかの情報は話が進むにしたがって部分的に少しずつ分かるようになっている.しかし分かる部分は一部に過ぎない.会話の中で軍人として活躍したことが出て来る.しかし軍人だった状況は分からない.この映画の当時であればアルジェリア戦争に従軍したのかも知れない.あるいは,ド=ゴールを暗殺しようとした側にいたのかも知れない.映画の中には昔の仲間のような人物が出てきて,今は安穏な市民生活をしていたり,まだ戦っているとかいう者もいる.フランスにとってアルジェリア戦争とは,アメリカにとってのヴェトナム戦争より意味が大きかったろう.
 主人公のアランは7月23日に死ぬことに決めている.その前日にパリに出て昔馴染みの人たちに会う.死ぬ前に会いたかったようでもない.死ぬことを引き留められることを期待したようでもない.ただ死ぬしかないことを確認するかのようである.
 アルジェリア戦争かどうかは分からないが,この主人公は何かの祭りを経験しているのだ.その祭りが終わった後で自分の居場所が見つからないかのようである.
 モノクロの画面が例によって美しい.パリのカフェで一人になったときの不安の描写が印象的である.エリック・サティの,今はポピュラーになったピアノ曲を使ったことでもこの映画は知られている.出て来る女優は美人が多く,ジャンヌ・モローも冴えない役でちょっと出て来る.
 偶然であるが,7月23日は私の父の命日であり,私にも忘れられない日なのである.

# by larghetto7 | 2019-02-01 20:26 | 日記風 | Comments(0)
2019/01/25 金曜 法人化後の3代目学長(上)
法人化後の3代目学長(上)

# by larghetto7 | 2019-01-25 22:56 | 日記風 | Comments(0)
2019/01/03 木曜 DVDで『踊るブロードウェイ』を観る
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 年末に県立図書館から映画のDVDを2つ借りてきた.明るそうな映画と暗そうな映画である.借りたまま観ずに返却期限が近付いたので,観ようと思った.正月なので明るい方,つまり『踊るブロードウェイ』を観てみた.

 予想したことであるが中身は下らない.田舎(といってもNY州のオールバニ)から花のニューヨークに出てきた若い女性が望み通りブロードウェイの新作ミュージカルの主役の座をつかむ,という話である.この種のplotは,実話を含め,アメリカ映画には沢山ある.
 中身は下らないが,中身はどうでもよいのだろう.踊りがふんだんに出てきて,観ていて楽しめる.それでよいのだろう.豪華で夢のような世界を描いている.
 踊りというのが,ヨーロッパで人気を博した,例えばジョセフィン・ベーカーのような踊り(それほど性的ではないが)をほうふつとさせる(ジョセフィン・ベーカー自身は米国ミズーリ州の生まれで,後にフランスで国籍を取った).
 この映画,原題は Broadway Melody of 1936という.公開されたのは1935年である.調べてみると,もともと1929年作で Broadway Melody という同じような映画が公開され,その続編である.この of 1936 の後に Broadway Melody of 1940 というのが,1940年に公開されたらしい.
 この映画にあるブロードウェイの世界は,第2次大戦後にアメリカ文化の象徴として日本に輸入されたように思う.美空ひばりなどもその影響下で登場しているだろう.

 描かれるのは夢のような美しい世界であるが,Broadway Melody の最初の1929年版が出たときも,その後も,米国は不況だったのではないか,こんな映画を作ってよかったのか,という点が気になった.
 調べると,最初の Broadway Melody が公開されたのは1929年の2月であり,大恐慌が起きるのは10月であるから,まあ,あり得たのだろう.今回観た映画が公開された1935年も,大不況から回復した時期らしい(その直後にまた下降線になる).1940年のなると戦時体制になり,不況の影響は曖昧になってたのだろう.そういう意味では,大まかには経済的に厳しい時期ではあったけれど,まだ世間では華やかな世界もあったとして矛盾はない.
 しかし,1936年というと,日本では226事件が起きた時である.アメリカは余裕があったんだな,と思う.
 映画の画像も音声も状態が良い.音楽でもいえるのであるが,1930年代になると録音も映像も技術が上がっているように思う.

# by larghetto7 | 2019-01-03 23:29 | 日記風 | Comments(0)
2019/01/01 火曜 いつもの初詣
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 例年のように元日0時の少し前,カミさんと一緒に近所の千勝神社へ初詣に出かけた.通常より5分ほど早く家を出たせいか,まだ混んでいなかった.今年は風が弱かったので,あまり寒くなかった.例年だと神社の旗が強風にはためく記憶がある.
 この初詣風景にも少子高齢化の波を感じてしまう.

# by larghetto7 | 2019-01-01 11:40 | 日記風 | Comments(0)
2018/12/31 月曜 年末のベートーヴェン
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 年末にベートーヴェンの一連の作品の録音を聴いてみるのが,長い間の私のパーソナルな儀式になっている.昨年はベートーヴェンの交響曲全集を年末に聴いた.今年は弦楽四重奏曲全曲を聴くことにした.

 ベートーヴェンの作品類型で生涯を通して作曲したのが,交響曲,ピアノソナタ,それに弦楽四重奏曲であると言われている.例えば,私はベートーヴェンのヴァイオリンソナタは好きであるが,9番のクロイツエルでも1803年の作であり,作曲は比較的若い時期に集中している.しかし交響曲,ピアノソナタ,弦楽四重奏曲は前期,中期,後期にまたがって作曲されている.
 とはいっても,それら3類型にしても,生涯を通じてコンスタントに作曲していた訳ではない.交響曲については,8番から9番を書くまでに10年の間隔がある.要するにベートーヴェンは後期には交響曲を実はあまり作っていない.一番コンスタントに作っていたのは,おそらく日頃から使っていたピアノ曲だったろう.
 弦楽四重奏曲について言うと,詳しく存じ上げないが,実はまとめて作っていたように思える.1番から6番までが「初期」になると思うが,それらは1つの作品番号が付いている(op.18-1~18.6).中期はラズモフスキーに代表されるけれど,その3曲も作品番号はop.59である.後期の弦楽四重奏曲はどれも独自であり,作品番号も別々であるが,後期の12番から16番は1825-1826の2年間で作曲されている.だから,確かに初期,中期,後期で作曲はしているけれど,気分が乗ったときにまとめて書いた,ということなのだろう.

 私事でいうと,確か高校生のときに,私は偶々,スメタナ弦楽四重奏団による15番のLPを買い,ひと頃そのLPだけを何度も繰り返し聴いていた.高校生にはLPは高かったから,それほどLPを買うことはできない.ベートーヴェンの弦楽四重奏曲のLPは,他にラズモフスキー辺りを1枚持っていただけである.だから私は15番だけを聴いていて,しかもその1曲に感動していたのである.今でも15番だけは特別だと感じている.
 さて,この年末でどの演奏を聴くかであるが,Apple Music でアマデウス弦楽四重奏団を聴くことが多かったので,アマデウス弦楽四重奏団の演奏にした.私が聴いた中では,アマデウス弦楽四重奏団はシューベルトの作品が美しかった.バリバリ弾く,というよりは,情感豊かに演奏することが得意な気がする(錯覚かも知れないが).
 アマデウスの録音でベートーヴェンの弦楽四重奏曲全16曲の演奏時間は約8時間である.交響曲の場合,(演奏によるだろうが)ハイティンク=ロンドン響で約6時間であるから,やや長い.むろん,ピアノソナタ全曲よりはずっと短い.
 通して聴いていて,はやり10番「ハープ」辺りからステージが上がって行くように思えた.どうしても15番を熱心に聴いてしまう.私にとっては,大作の13番や名曲の誉れ高い14番より,15番に親しみがある.

 ベートーヴェンとは関係ないが,冒頭の写真は Eva Cassidy というアメリカの歌手の写真である.偶々 Apple Music で聴いて,2018年に好きになった.
 Eva Cassidy は1992年にデビューして1996年に亡くなっている.活動期間は4,5年に過ぎない.生前はそれほど売れていなかったようであるが,亡くなってから彼女の曲がチャート入りするようになったという.当然,録音は少ない.その少ない録音を組合せを変えてアルバムにしているようである.
 Eva Cassidy は,テンポ遅め,情感強めという,私が好きなパタンの歌手である.例えばスタンダードの Autumn Leaves(枯葉)など,何度も聴き返した.
 「枯葉」はもともとフランス語の歌である.私が持っているクラシック系の音源にフランス語の曲が入っていた.YouTube で見るといろんな歌手による演奏が出て来るが,やはりイヴ・モンタンが良いように思う.フランス語を英語にしたとき,歌詞は変わっている.フランス語の「枯葉」は都会的な世界であり,英語による「枯葉」は田舎の情景を連想させる.

# by larghetto7 | 2018-12-31 17:56 | 日記風 | Comments(0)
2018/12/22 土曜 改革強化プラン(H25)はなぜあの格好になったのか?
改革強化プラン(H25)はなぜあの格好になったのか?

# by larghetto7 | 2018-12-22 18:50 | 日記風 | Comments(0)
2018/12/14 金曜 理工研も人社研も消える日
理工研も人社研も消える日

# by larghetto7 | 2018-12-14 01:00 | 日記風 | Comments(0)
2018/12/12 水曜 法人化後の2代目学長(下)
法人化後の2代目学長(下)

# by larghetto7 | 2018-12-12 19:33 | 日記風 | Comments(0)
2018/12/05 水曜 シェイクスピア 『冬物語』
 BBCによるシェイクスピア戯曲シリーズ全37作品のうち,まだ観ていないのは『冬物語(The Winter's Tale)』だけになった.その『冬物語』を県立図書館で借りてきたDVDで観た.

 お伽噺のような物語だった.

 ネタばれになるけれど,あらすじを書かないと説明できないので書いておく.
 シチリア王リオンディーズのもとに旧友のボヘミア王ポリクシニーズが9カ月滞在していた.ここで妻の王妃ハーマイオニがポリクシーズと不義をしているという妄想にリオンディーズが突如取りつかれる.リオンディーズは腹心のカミローにポリクシニーズを殺すように指令するが,王妃の不義を信じないカミローはことをポリクシニーズに伝え,一緒に船に乗ってボヘミアに出立する.リオンディーズはポリクシニーズとカミローが自分を殺す計画だったと妄想を膨らませ,近臣が皆不義を否定するのに身重のハーマイオニを牢に入れる.牢内で生まれた赤子(女児,パーディタ)を,皆が反対するのに荒野に捨てて来るよう,重臣のアンティゴナスに命じるのである.不義や陰謀の証拠は何もないので,リオンディーズは神託を得に使者をアポロン神殿に遣わす.公開裁判のときに神託が披露されるが,神託はリオンディーズの妄想を全否定し,捨てた子が戻らなければリオンディーズは世継ぎを得られぬと予言する.そこに王子のマミリアスが心労で死んだとの報がもたらされ,その報に接したハーマイオニはその場で倒れ,そのまま死んでしまう.リオンディーズはここから後悔の日々が続く.
 その間に,赤子を捨てることを命じられたアンティゴナスは,海を渡ってボヘミアの海岸に上陸し(そこはおかしい)赤子を捨てる.が,アンティゴナスは熊に食い殺され,乗ってきた船も嵐で沈没してしまう.その海岸近くに羊飼いの親子(漁師ではなく)が通りかかり赤子を拾って育てる.
 そこから16年の歳月が流れる.
 ボヘミアでは王子のフロリゼルが成長したパーディタに会いに羊飼いの家に通う.フロリゼルとパディータは結婚したいが,王のポリクシニーズの反発に会い,結婚できない.しかしカミローの知恵で二人してシチリアに渡ることにする.カミローはポリクシニーズらと一緒に後を追う.
 ポリクシニーズにはパディータを育てた羊飼いも同行しており,経過は省略するが,パディータがリオンディーズの子と証明され,父と娘は再会を果たす.その後,ポーリーナ(アンティゴナスの妻)がかくまっていた,死んだはずのハーマイオニとリオンディーズも(省略するが)芝居がかった方法で再会を果たし,大団円で劇が終了する.

 この戯曲は,前半でいきなり悲劇の終盤のような展開になる.もしリオンディーズが自らの愚行で妻子を失ったことに悲嘆し死んでしまえば,話は『オセロー』のようになった.ここから一気に16年を経過した後半は喜劇風になる.パディータが祭の女主人を演じる場面は明るい雰囲気を作り,羊飼い親子とオートリカスという小悪党が道化のような役割をする.
 シチリア王リオンディーズは『ペリクリーズ』の主人公ペリクリーズと同じような運命を辿っている.妻と娘を失い,16年ほどを経過してから妻と娘に再会する点は同じなのである.違いは,ペリクリーズが運命の翻弄によって妻と娘を失うのに対し,リオンディーズはおのれの嫉妬から妻と娘を失う点である.『ペリクリーズ』では死んだはずの娘マリーナとの再会を果たす場面が一番の見せ場であり,続く妻との再会はそれほど感動的ではない.『冬物語』では逆に,娘と分かる場面は他の役者を介して語らせるだけであり,むしろ妻との再会場面が感動的に仕立てられている.

 最後に大団円になるとはいえ,従来の喜劇のようではない.リオンディーズの嫉妬がもとで王子は死んでしまったし,忠臣のアンティゴナスは熊に殺され,船は難破して船員は全員死んでしまったのである.実は私は,この作品を観ながら,妻のハーマイオニと王子のマミリアスは,うまくすればアンティゴナスも,魔法か何かで生き返るのかな,と期待した.が,蘇ったのはハーマイオニだけだった.だから「すべてよし」の喜劇とはやはり異なる,暗い面があるのである.

 観終わって気になったのは,シチリア国懸案の「世継ぎ問題」がどう処理されるのか,という点である.神託によって,パディータが見つからなければ世継ぎはない,と予言された.だから世継ぎがどうなるかが問題なのである.が,私が台詞を見落としたのか,不確かに思えた.パディータは女でも世継ぎになれるだろう.しかしパディータはボヘミア王子フロリゼルと結婚する.ということは,可能性は,(1)パディータと結婚したフロリゼルがシチリアで世継ぎの王となる.(2)パディータが女王でフロリゼルがシチリア王家の婿(女王の夫)となる.(3)リオンディーズとハーマイオニが頑張ってこれから世継ぎを産む.の3つしかないように思う.一番自然なのは(1)であるが,そこで問題は,ボヘミアの王子のスペアが他にあるかどうか,そこがはっきりしなかったように思えることである.(2)も同様だろう.(3)は高齢出産で,まずいのではないか?
 予言は「パディータが見つからなければ世継ぎはない」であるから,論理的にはその対偶である「世継ぎが見つかるときはパディータが見つかっている」ことは真である.しかし「パディータが見つかるときには世継ぎも見つかる」ことは演繹しない.したがって,世継ぎが見つからなくても予言が偽にはならないのである.

 『冬物語』という題名はなかなか洒落ているなと感じていた.しかしこの題名の由来はネットを眺めても見つからなかった.ただヒントは一か所,王子マミリアス少年の口から出ている.この少年は御話が好きなようであり,冬だから妖精や鬼(goblin)の話をしよう,という.だから冬物語とは,冬の長い夜に暇つぶしに話すお伽噺のようなものであろう.この題名には,この戯曲がそういったお伽噺なんですよ,というメッセージが込められているのかも知れない.

 この作品を名作と思うかどうかは,脚本の問題ではないだろう.演劇一般にいえるかもしれないが,その真価は,芝居がどのように演出され,どのような演技で表現されるかによるだろう.その意味では,本を読んでも仕方ないかも知れない.BBCのこの作品では,リオンディーズ役のJeremy Kemp が,顔面表情,特に目の表情で嫉妬や慈愛をうまく表現していたように思う.なかなか感動的な作品である.

 どうでもよいことだが,妃のハーマイオニという名は,『ハリー・ポッター』でエマ・ワトソンが演じた役と同じ名前であることが気になった.私は以前,ハーマイオニとはウェールズ辺りにあるケルト系の変わった名前であるのかと想像した.この想像は間違いだった.調べてみると,ギリシャ神話のヘルミオネー Hermione の英語読みのようである.

# by larghetto7 | 2018-12-05 12:25 | 日記風 | Comments(0)
2018/12/01 土曜 シェイクスピア 『シンベリン』
 BBCによるシェイクスピア戯曲シリーズ全37作品のうち,まだ観ていないのは『シンベリン』と『冬物語』だけになった.県立図書館で借りてきたDVDの『シンベリン』を観てみた.私が事前には題名も知らなかった作品の一つである.

 題名のシンベリン(Cymbeline)とはブリテン国の王の名である.ブリテン国というのから,少なくともノルマン人の征服以前であり,リア王と同じような時代背景のように思える.ストーリーではローマ皇帝がいてブリテンに出兵して来る.しかしローマ帝国の支配は脱している設定になっているから,5世紀初頭より後,ということになるが,西ローマ帝国が消滅するのは5世紀頃であるから,時代設定は辻褄が合わない.しかも,DVD作品では,登場人物の服装はエリザベス朝辺りの感じなのである.

 筋をいわないと説明しにくいので,省略しつつ書いてみる.ブリテン国の王シンベリンの一人娘イモジェンは身分の低いポステュマスと結婚する.しかしシンベリンと後妻の王妃は,王妃の連れ子のバカ息子クロトンと結婚させたい.イモジェンはクロトンを嫌っている.王妃は悪女で,シンベリンを早く死なせてクロトンを王にしようとする.それも知らず,シンベリンはポステュマスを追放し,なおもクロトンと結婚させようとする.
 追放されたポステュマスはローマに行って知人の世話になる.そのローマでイアキモという男に出会う.そのイアキモはブリテンに残ったイモジェンの貞節を自分が奪えると主張し,賭けをすることになるのである.イアキモはブリテンに渡ってイモジェンに面会し誘惑するがイモジェンはなびかない.そこで証拠の腕輪を奪うなどしてポステュマスに,自分は賭けに勝ったと嘘をつくのである.その嘘を信じたポステュマスは残してきた部下のピザーニオにイモジェンを殺すように指令を出す.ピザーニオはイモジェンを殺したと報告しながら,イモジェンにローマに行くように勧める.
 その頃,ローマ帝国はブリテンに貢物を要求し,それをシンベリンが拒否したために軍勢をブリテンに送り込む.イモジェンは男装し,上陸したローマ軍の将軍カイアス・ルシアスの小姓として雇ってもらう.
 ここで別の筋が入ってきて,シンベリンにはもともと二人の息子(ギデリアスとアーヴィレーガス)がいたが,讒言によって追放された貴族(将軍)のベレリアスが二人を連れて雲隠れしていたのである.ベレリアスはその二人の王子と一緒に狩りをして暮らしている.ローマ軍が上陸してきたので王子とベレリアスはローマ軍との戦いに加わることにするのである.
 一時はローマ軍が優勢でブリテン軍が敗走するけれども,ベレリアスと二人の王子,それにポステュマスが奮戦して盛り返し,ブリテン軍が勝利する.勝利の後に,シンベリンの前で一同が会し,これまでのことをシンベリンがすべて許し,大団円で終わる.
 なお,クロトンはブリテンに戻ったポステュマスを殺しに出かけるが,そこで会った王子のギデリアスと争い殺されてしまう.王妃はクロトンがいなくなったので倒れて錯乱し,すべての罪を告白して死んでしまう.

 このストーリーは,筋のパーツの点で,シェイクスピアのそれまでの戯曲と似た箇所が多い.まず妻/恋人の不貞をイアキモが信じ込ませるところは,『から騒ぎ』や『オセロー』で使った筋である.イモジェンの不貞を信じてポステュマスが悩み狂う所は『トロイラスとクレシダ』のノリであるように思う.クロトンのような貴人のバカ息子も『ヴェローナの二紳士』等,定番の登場人物だろう.もらった薬を飲んでイモジェンがしばし仮死状態になるところは『ロミオとジュリエット』ではないか.またイモジェンが男装して少年として振る舞うところはいくつかの作品でも出る筋であり,イモジェン役のヘレン・ミレンの男装は『お気に召すまま』に次いで2度目である.男装して貴人に仕えるストーリーは『十二夜』のようだ.ポステュマスが自分を追放したブリテンに復讐するためローマ軍に身を投じてブリテン軍と戦う(途中で愛国心に目覚めてブリテン側で奮闘するとして)のは『コレオレーナス』と同じである.外国の軍勢が攻められブリテン側の愛国心に燃えるところは史劇『ジョン王』のパタンである.ジュピターが運命を導くところは『ペリクレーズ』のダイアナのようでもある.最後にブリテンが栄えるという予言を出して慶賀の気分を盛り上げるところは『ヘンリー八世』のようでもある.
 つまり,このストーリーはいろんなストーリーをちりばめているのであるが,それ故に話が無駄に複雑になり,焦点がぼやけてしまっているような印象を受ける.
 Wikipedia(で悪いが)によると,この作品は一時は人気があったけれど,次第に上演されることがなくなっていったという.Wikipediaには「取るに足らないだらだらした不合理な話」という記載がある.シェイクスピアの戯曲は,細かく見るとありそうにない筋が含まれるが,この『シンベリン』では話が進むに従って「そりゃねぇーだろう」と思う箇所が多くなる.まず,イモジェンは騙されてウェールズのミルフォードに赴くが,そこに偶々,追放されたベレリアスと王子が住んでいて,イモジェンが彼らと会うというのも,都合が良過ぎる.そこにクロトンが追ってきて,偶々王子と会って王子にクロトンが殺されてしまうのもでき過ぎている.しかもそのミルフォード辺りになぜかローマ軍が上陸し,イモジェンが将軍に小姓になれるのはよいとして,その辺りに住んでいた王子とベレリアスが近くで始まった戦闘に,装備もないのに参加するというのも,そりゃないような気がする.しかも,そこにポステュマスがいて,2人の王子,ベレリアス,ポステュマスの4人が関羽と張飛,趙雲,馬超のような活躍をして戦局が逆転するというのは,そりゃねぇーだろう.そしてローマ軍との戦闘でブリテンは勝つのであるが,勝った後にシンベリンがなぜかローマへの貢物をすると言い出す.なら初めから戦争をして犠牲者を出すことはなかったではないか.

 そういったモヤモヤした要素があり,この戯曲は最後の頃まで暗澹とした筋で進むのであるが,最後に一気に緊張を解消する,その強引さが見事というべきかも知れない.戦勝の後,シンベリンがローマの敗軍の将を含めた登場人物の前で「すべて許す」といってすべての問題を解決してしまうのである.ポステュマスはイモジェンとの結婚を許され,2人の王子は(クロトン殺しは不問にして)王のもとに帰り,王子を誘拐していたはずのベレリアスも宮殿に復帰し,ローマの将カイアス・ルシアスにはローマへの貢物を約束する.そしてポステュマスはローマ軍に従軍していたイアキモを許すのである.この「すべて許す」カードは,本来の面倒で複雑な処置を一気に単純化し,観客をも満足させる.『テンペスト』でプロスペローが使ったカードである.
 役者も良かったように思う.ずっとただのバカ親父だったシンベリンは最後の最後で威厳のある王となる.悪女の妃を演じたのはClaire Bloom という女優であるが,悪女にしては気品のある女優さんだった.クロトンを演じたPaul Jessonという俳優は,普通に見ればハンサムなのだが,『こち亀』にでも出て来そうな徹底したバカ息子を演じたのである.イモジェンのヘレン・ミレンは男装役が似合う.ポステュマスを演じたMichael Penningtonという俳優は,このBBCシリーズではこの作品だけで出ていたと思うが,有名なシェイクスピア俳優のようで,過剰なほどの熱演だった.目を見張るのはイアキモ役のRobert Lindsay である.この俳優はこのシリーズの常連で,『から騒ぎ』などで癒し系の役が多かったように思う.が,この作品では打って変わって,見事な色悪の伊達男である.

# by larghetto7 | 2018-12-01 22:37 | 日記風 | Comments(0)
2018/11/29 木曜 法人化後の2代目学長(中)
法人化後の2代目学長(中)

# by larghetto7 | 2018-11-29 18:28 | 日記風 | Comments(0)
2018/11/27 火曜 根津美術館に行く
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 本日,カミさんと一緒に根津美術館に出かけた.
 本日出かけるという話であったと昨日,カミさんが言う.では東京都庭園美術館と松岡美術館に行こうか,と思ったが,話し合いの結果,根津美術館になった.
 根津美術館は根津にある,と私は思っていたが,そうではないと先年認識した.教養学部の野村先生がサマープログラムの外国人学生を根津美術館に連れて行ったので,そのことを知ったのである.日本コンテンツの美術館であるらしかった.
 根津美術館は地下鉄の表参道駅の近くにある.表参道駅は青山学院に授業をしに行ったときに使っていたから,その界隈には土地勘があるが,駅から行ったことがない方角にある.
 最寄り駅の東武線に乗ると,東武線は途中から地下鉄半蔵門線になり,乗り換えなしで表参道駅に行くのである.今回も東武線-半蔵門線で乗り換えなしで表参道駅にたどり着いた.美術館のアクセス情報をもとに,A5の出口から外に出て,10分くらい歩くと根津美術館が見えてきた.埼玉の田舎から突然その辺りに行くと何とも都会に出た気分になる.
 中に入って展示室を回った.大きな美術館ではない.特別展示が「新・桃山の茶陶」であり,織部あたりを中心に茶器の展示があった.私には茶器がどうのというのは分からない.解説によると,京都での新たな発掘によって,桃山時代から織部が切腹して死ぬ10年後くらいまでに,京都三条に瀬戸物屋町が栄えたそうで,その出土品によって当時の茶陶の生産と流通の様子が分かってきたらしい.そういう話を見るとなるほど,こういう展示の世界も日々進歩しているのだなと分かる.
 私が面白いと思ったのは,たぶん常設展示であるが,殷周時代の中国の青銅器である.ここのチケットのデザインにもなった双羊尊という容器などはユーモラスで面白い.観ながら,この時期の青銅器のデザインが何やら,メキシコとかアンデスのデザインに似ているような気がした.アジア人が米大陸に渡ったのだから,東洋と似たような感覚を持っていても不思議はないのではないか,という気もする.
 美術館内を見終わった後に庭園に出た.今が紅葉の盛りであるから,庭園を見るのは悪くない.もっとも,私は紅葉はあまり好きではない.春から夏の緑の方が好きである.
 庭園内にあるNEZU Cafeというカフェに入って,本日のパスタ+コーヒーを2人分頼んで食べた.帰りがけに Museum Shop で絵葉書だけを買った.帰りも半蔵門線-東武線の乗り換えなしである.

# by larghetto7 | 2018-11-27 21:32 | 日記風 | Comments(0)
2018/11/25 日曜 法人化後の2代目学長(上)
法人化後の2代目学長(上)

# by larghetto7 | 2018-11-25 18:22 | 日記風 | Comments(0)
2018/11/20 火曜 シェイクスピア 『ペリクリーズ』
 BBCによるシェイクスピア戯曲シリーズDVDの『ペリクリーズ』を観た.このところ観ている同シリーズの作品同様,浅学寡聞にしてこのような題名の作品がシェイクスピアにあることを私は知らなかった.ストーリーについては no idea のまま観たけれど,面白かった.

 この芝居の筋はギリシャ神話のようである.物語の場所はシリア,レバノン,小アジア辺りで,おそらくは古代ギリシャの都市国家のような国々という想定だろう.今ではレバノンに属するタイア(ティルス)の領主のペリクリーズが主人公である.ペリクリーズは英字表記のPericlesの英語読みであり,ローマ字読みにするとペリクレス,つまり古代ギリシャの著名な政治家と同じである.そのペリクリーズが大国アンタイオクの王アンタイオカスの美しい姫に求婚するため謎解きに挑むが,結果として王と姫が近親相姦している秘密を知るに至り,危険を察知してタイアに逃げる.秘密を守ろうとアンタイオカスはペリクリーズに刺客を送る.
 ペリクリーズは戦争になるのを避けようと船旅に出る.ペリクリーズにはその旅で数々の苦難が降りかかるが,ペンタポリスという国でその王の姫タイーサを妻にする.その後,タイアに戻る途中で妻は娘マリーナを産んで死んでしまう.娘はターサスの太守に預けるが,育った後にやはり死んだと告げられる.ペリクリーズは意気消沈し,王でありながら生ける屍のようになるのである.
 その後,ペリクリーズを乗せた船団がミティリーニに立ち寄る.そこでペリクリーズは死んだはずのマリーナと奇跡の再会を果たす.そしてダイアナ神の導きでエフェソスのダイアナの神殿に赴くと,神殿で巫女をしていた妻のタイーサとも再会し,娘のマリーナはミティリーニのイケメン太守ライシマカスと結婚し,大団円で劇は終わる.まさに波乱万丈,最後はハッピィエンドの物語である.
 謎かけ,近親相姦,苦難の遍歴,運命による翻弄,不義の王と娘への神罰,最後に神が出て来る,といったところがギリシャ神話のようだと感じさせる.しかし,この戯曲のネタはギリシャ・ローマに遡る訳ではない.ジョン・ガワ―(John Gower)という英国の詩人による『恋する男の告解』の挿話であるそうだ.ガワ―はリチャード二世とヘンリー四世の時代の宮廷詩人で,王の求めでこの著作を書いたらしい.この戯曲の中でそのガワ―が解説者として出てきて筋の説明をするのである.

 この作品はそれまでのシェイクスピア作品と異なるとよくいわれる.従来の喜劇や悲劇ではなく,「ロマンス劇」という範疇に入るという説がある.この「ロマンス劇」が他の作品とどれほど違うかは,私にはよく分からない.ロマンス劇に入るのは,少なくとも,この『ペリクリーズ』,『シンベリン』,『冬物語』,それに『テンペスト』であり,私が観たのは『ペリクリーズ』と『テンペスト』だけである.後の2作品を観てから考えてみたい気がする.明確に『ペリクリーズ』が従来の作品と違うと私が思うのは,通常の喜劇,悲劇は短時間に起こる物語の劇である点だろう.例えば『ロミオとジュリエット』は全期間が7日の物語である.『ペリクリーズ』はそれに対し,娘のマリーナが育つにも16,7年はかかるだろうから,少なく見積もっても時間の経過は20年はあるだろう.『テンペスト』の方も,劇自体は短時間の話であるが,主人公のプロスペローは追放されて12年島暮らしをし,機会を待っていた.だから相当な時間の経過がある,長い歳月を経る波乱の物語,ということが重要な点かも知れない.それだけ長い話なので,『ペリクリーズ』ではガワ―を登場させて筋を説明しないと分からない,ということのように思う.

 「ロマンス劇」とはいうが,この戯曲は従来の喜劇作品と似た面がある.よくいわれるのは『間違いの喜劇』である.『間違いの喜劇』もなぜか,舞台はエフェサスであり,別れ別れになった家族がエフェサスで再会する物語である.双子の息子を探す父親の妻がエフェサスの尼僧院の院長になっていたが,『ペリクリーズ』の妻タイーサが巫女をしていたのとその点でも似ている.
 しかし,決定的に違うのは,家族を亡くした悲痛さの演技が『ペリクリーズ』で強い点だろう.『間違いの喜劇』の父親も不明になった息子たちや妻を探して遍歴を重ねて絶望し,再会できたときはひどく喜ぶ.が,『間違いの喜劇』の劇としてのポイントは間違いのおかしさ,主人と従者の間のドツキ漫才のようなやりとりの妙であり,父親の悲痛や喜びはクローズアップさせない.他方,ペリクリーズは娘の死で消沈して悲痛な姿になり,娘と再会する場面は,ここまで私が観たシェイクスピア劇の中でも最も感動的な名場面なのである.主役のMike Gwilym が名演技を見せる.『ペリクリーズ』には漫才のような要素は,ない.
 その他,似たところというと,娘を才女と描き,婿選びの趣向を導入している点で,『ヴェニスの商人』のポーシャの話と似ている.また,ペリクリーズがペンタポリスで槍の試合に出て王の娘の注目を集める次第は『お気に召すまま』のようであり,流れ着いた先で王侯に気に入られるストーリーは『十二夜』と似ている気がする.つまり,従来とは違う要素もあるけれど,それまでのシェイクスピア劇のネタを結構使って(ないしは同じ発想で)出来上がっている面もあるように思う.
 もっとも,他のいくつかの作品がそうであるように,この作品は他の作家(ジョージ・ウィルキンス)の作にシェイクスピアが加わって出来上がったものだそうだ.

 この作品でペリクリーズを演じるのは,同シリーズによく出て来る Mike Gwilym である.話し方にも顔にもクセがある.この役者さんは同シリーズを観て最も印象に残る一人である.また,たぶん最も出演回数が多い Trevor Peacock がポン引き役で出ていたのには驚いた.

# by larghetto7 | 2018-11-20 23:50 | 日記風 | Comments(0)
2018/11/17 土曜 人は何といってグローバルを嫌がったか
人は何といってグローバルを嫌がったか

# by larghetto7 | 2018-11-17 18:55 | 日記風 | Comments(0)
2018/11/12 火曜 サンシャイン水族館
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 本日,思い立ってカミさんと一緒に池袋のサンシャイン水族館に出かけた.

 最初に水族館訪問をしてゆくことを考えたとき,まず頭に浮かんだのはサンシャイン水族館だった.しかしこの水族館は私の住所からだと比較的簡単に行ける.だから時間の余裕がないときに訪問する先と考え,当面は行かないでおいたのである.
 学生時代,正確には学部の学生時代に,私は東池袋のアパートに住んでいた.サンシャインの近くだったのである.といってもその頃はサンシャインのビルはまだない.私が住んでいるときはサンシャインの辺りの地下の工事をしていた時である.地下の工事が長かった.私はその後,田端のアパートに引っ越した.その引っ越しの頃にサンシャインのビルがどんどん上に伸びて行ったのである.
 引っ越した田端は下町,ないし場末と呼ぶべき場所だった.が,私が住んでいた頃の東池袋辺りも場末だった.そもそも池袋自体がその頃までは場末だった.今でも覚えているが,当時,その辺りにはスーパーなどはなかった.コンビニなどという便利なものも存在しなかった.覚えている商業施設は,田舎の乾物屋のような八百屋,店の中で酒を飲ませる酒屋,大きな通りの角にあった肉屋,通りに面していた餃子屋,アパートのすぐそばのパン屋,くらいである.正月に郷里に帰らずアパートにいると,1月7日頃まで店が閉まっていて,買い物に苦労したものである.まあ,そういう世の中だった.
 Google map で私が住んでいた辺りを見ると,見覚えのある店や施設は見当たらない.確か通りに面してタクシーの会社があったと思ったが,それも見当たらない.

 本日は久しぶりにJR池袋駅で下りた.池袋の駅の地下道は,少なくともその骨格は,私が東池袋にいた頃の半世紀近く前とほとんど変わらないような気がする.昔も通ったであろう地下の店の合間を縫って外に出て,サンシャインのビルを目指して歩いた.

 カミさんはサンシャインの水族館に来たことがあるらしい.私は一度もない.サンシャインの水族館については変なことを思い出す.かつて『少年ジャンプ』に連載された『ろくでなしブルース』というコミックで,池袋の番町の葛西は主人公の前田大尊をボコってしまうのであるが,実は葛西は大尊のアッパーを顎に受けており,葛西の顎の骨にはひびが入っている.葛西はその痛みをこらえながらサンシャイン水族館の水槽の周りを歩く,という場面がある.
 本日行ってみて,それらしい水槽は見当たらなかった.カミさんによれば,リニューアルがあり,中は変わったという.
 ざっと見ると,やや面積は小さいが,抑えるべき箇所はちゃんと抑えてある感じがした.品川のアクアパークやすみだ水族館よりも正攻法の水族館であると思う.
 観ていて感じたのは,通常はアシカなどのショーをする場所は劇場のようにしてかなりの観客を収容できるようにするのであるが,この水族館ではそれほどの観客を想定しないスペースであることである.このサンシャインでいろいろアトラクションがある中の1つとして水族館がある,というコンセプトなのだ.だから,例えば茨城県大洗の水族館のように,水族館しかない所とは,そもそもの水族館としての在り方が違う.
 水族館に関しては,やはり田舎を目指すべきなのだろう.むろん,サンシャイン水族館も良い施設である.

# by larghetto7 | 2018-11-12 22:18 | 日記風 | Comments(0)
2018/11/11 日曜 シェイクスピア 『アテネのタイモン』
 BBCによるシェイクスピア戯曲シリーズDVDでまだ観ていない『アテネのタイモン』を観た.分類上は悲劇である.『コリオレーナス』同様,このような題名の作品がシェイクスピアにあるとは,私は事前には知らなかった.
 これは面白い.主人公タイモンを演じるJonathan Pryce の独り舞台のような感がある.DVDの時間が2時間ちょっとで,同シリーズの中では最も短い部類だろう.
 ストーリーは単純で寓話のようだ.アテネにタイモンという貴族がいる.タイモンは自分の財産を他の人たちに惜しみなく施す.だから人が寄って来る.タイモンは常々,「貧乏になりたい.そうすれば皆さんの友情が確かめられる」という.実は忠実な執事フレヴィアスは破産が避けられないことをタイモンに何度も忠告しようとし,哲学者アペマンタスはお人好しにもほどがあるといって何度も箴言する.しかしタイモンは聞き入れないのである.
 そのタイモンはじきに破産する.そこで友人(と思っていた人)に金を借りようとするのであるが,誰からも断られてしまう.そのことに失望して怒り狂い,人間不信に陥り,アテネ城外の海岸近くの穴ぐらで暮らし始め,人を呪いながら死んでしまう,という筋である.
 たとえていうなら,嵐の中で人を呪うリア王がそのまま死んでしまうような筋である.だからストーリーはやや短い.
 芝居としての見どころは,人に施している時点では人々の善意を信じ,気前よく分け与えているのに,友人が誰も助けてくれないと知ると極端な人間不信に陥る,その急転換ぶりだろう.借金を断った不義理の者たちを集めて侮辱する趣向が笑える.タイモンの人間不信の台詞の数々が面白い.辛辣な道化が発するような言葉がどこまでも続く.だから物語は形式上「悲劇」なのであるが,「喜劇」のように見えてしまう.
 実は,タイモンがいた穴ぐらの近くで金貨が沢山出て来る.その金貨を元手にすれば,タイモンは身上を持ち直すことができるかも知れない.しかしタイモンの人間不信は変わらない.その金貨目当てにまたも寄って来る人たちに,「さあ,この金で人を不幸にしろ」と罵って分け与えてしまうのである.

 ネタ本は『コリオレーナス』同様にプルタークの『英雄伝』であるらしい.なお,ギリシャの懐疑主義哲学者に「プリウスのタイモン」という人がいたらしく,この戯曲のストーリーはそちらのタイモンとも何がしかの関係があるそうであるが,私は詳しくは知らない.
 なお,この作品は後に少し話を加えて上演されることが多かったようで,その修正作に対してヘンリー・パーセルが「アテネのタイモン」という劇音楽を作っている.CDも出ている.それなりに流行った戯曲なのだろう.

# by larghetto7 | 2018-11-11 16:59 | 日記風 | Comments(0)
2018/11/08 木曜 シェイクスピア 『コリオレーナス』
 BBCによるシェイクスピア戯曲シリーズDVDのうち,『コレオレーナス』を観た.悲劇である.それほど知名度のある作品ではなく,私はこのような作品がシェイクスピアにあるとは事前には知らなかった.しかし観てみると,同シリーズの作品中,最も印象的な作品だと私には思えた.

 主人公はプルタークの『英雄伝』に出て来る人物らしく,シェイクスピアのネタ本は『英雄伝』である.作品の背景はローマが王政から共和制に移行して間もなくの頃であり,『ジュリアス・シーザー』や『アントニーとクレオパトラ』が紀元前1世紀(キリストの時代の半世紀前)頃の話であるのに対し,紀元前5世紀頃の話のように思う.登場する兵士の装備も,映画でよく見るローマ物のような鎧兜ではなく,ギリシャのスパルタの兵士のような装備である.
 筋のあらましを書くと,主人公はカイアス・マーシャスというローマ貴族で軍人である.このマーシャスが敵のヴォルスキ人の都コリオライを攻略した功によりコリオレーナスという称号を得る.ローマ元老院は軍功抜群のマーシャスを執政官に任じようとする.いったんは平民からの同意も取り付けるのであるが,マーシャスを憎む護民官(平民代表の2人)が平民を扇動してマーシャスを陥れ,ローマから追放してしまう.行き場のないマーシャスはヴォルスキを頼り,その軍勢を指揮してローマの諸都市を落としてゆく.ローマを攻撃する前にマーシャスの母親や妻,息子らがマーシャスに会いにゆき,ローマを救うように懇願する.母親の懇願に負けたマーシャスはローマ攻略を止め,講和を結ぶのである.その後,マーシャスはヴォルスキ内部で裏切り者として殺されてしまう.
 マーシャスを演じるAlan Howard はニコリともせぬ尊大で鬼神のようなマーシャスを,圧倒するような台詞回しで演じてゆく.マーシャスのヴォルスキ側の好敵手オフィディアスを,『恋の骨折り損』でくどい理屈を重々しく操ったMike Gwilymが,今度は武人として重々しい台詞回しで熱演する.だからこの作品は終始緊張感が高い.
 この作品は典型的な悲劇と思う.悲劇は,美徳のある者がその美徳故に破滅するから悲劇である.下らない奴が馬鹿なことをして破滅しても悲劇とはいわない.マーシャスは高い愛国心と軍事的才能によって認められるが,その頑なな軍人気質の故に反感を買って追放される.そして復讐を始め,いったんはローマを滅亡の淵まで追い込む.しかし母親の懇願を人間らしく受け入れることによってオフィディアスに殺されてしまうのである.
 劇中,オフィディアスが,ローマでマーシャスが追放された原因を同僚に解説する場面がある.第1は高過ぎるプライド,第2に判断力が欠如してうまくやる機会を逃がしたこと,第3にnature,つまり平時に対応できず軍指揮官然として民衆に接したこと.そのすべてではないにせよそのいくつかによって,マーシャスはローマで失敗したと分析する.この分析はおそらく,この人物に対するシェイクスピア自身の解釈なのだろう.
 ただ,マーシャスが失敗したのは単に彼の個人属性だけの問題ではなかったろう.当時の共和制ローマでは元老院に代表される貴族と平民との間に緊張関係があり,平民の代表である護民官に高い権限があったらしい.そうした政争の中で貴族派のマーシャスがはじき出されたという側面があるだろう.

 なお,ベートーヴェンの序曲コリオランのコリオランは,コレオレーナスと同じらしい.ベートーヴェンは『英雄伝』をネタ本にした友人による戯曲を見て感動し,この序曲を作ったという.

# by larghetto7 | 2018-11-08 19:06 | 日記風 | Comments(0)
2018/11/06 火曜 シェイクスピア 『アントニーとクレオパトラ』
 BBCのシェイクスピア戯曲のDVDシリーズの『アントニーとクレオパトラ』を県立図書館から借りてきて観てみた.この作品はシェイクスピアの古代ローマものの1つであり,『ジュリアス・シーザー』の後の話である.
 このストーリーは何度か映画になっていて,その筋は広く知られているだろう.シェイクスピアの原作に近いのはチャールトン・ヘストンがアントニーを演じた『アントニーとクレオパトラ』だろう.が,私は観ていない.私が(TVで何度か)観たのはエリザベス・テイラーがクレオパトラを演じた『クレオパトラ(1963)』の方だった.この映画の後半が『アントニーとクレオパトラ』に該当する.筋がどの程度シェイクスピアの原作に近かったかは分からない.

 という訳で,筋はあらかた分かっているので緊張感なくこのDVDを観た.この作品は『ジュリアス・シーザー』同様に,敗れた側から戦乱の様子を描いている.クレオパトラを演じたのは同シリーズでマクベス夫人の役だったJane Lapotaireという女優である.一風変わった風貌であり,エリザベス・テイラーのような美人型ではない.Jane Lapotaireはこの作品製作の頃にブロードウェイに出ていたらしく,エディット・ピアフの La vie en rose を歌う様がYoutubeで見られる.アントニー役はシャーロック・ホームズの映画でワトソンを演じたColin Blakelyである.劇中でシーザーと呼ばれるオクティヴィアスを演じたのが,『終わりよければすべてよし』でバートラム役だった『炎のランナー』のIan Charlesonである.Ian Charlesonは明晰で冷徹な若い大企業の御曹司のようであり,アントニーのColin Blakelyは中年の中小企業の親父のような感がある.
 観ながら思ったのは,最後のアレクサンドリア陥落の場面は大阪の陣で大阪城が落城する場面と似ているな,という点である.アントニーらは情勢が不利になりアレクサンドリアを包囲された後の初戦では,真田幸村よろしく奮戦して勝利を得る.が,そこから裏切りが出て来る.最後はアントニーがクレオパトラが裏切ったと思ってクレオパトラを口汚く罵る.クレオパトラは側近と霊廟に退避する.その後,霊廟に退避したクレオパトらとオクティヴィアス側でやり取りがあり,最後にクレオパトラらは毒蛇で自殺する.大阪城落城でも秀頼や淀殿は城内の籾倉に退避し,そこで徳川側とのやり取りをしたうえで爆死するのである.いかにもリアルな展開だと感じる.

 この物語では寝返りと忠義が話に花を添える.日本の戦国時代と同様だな,という気がする.アントニーは最後に死のうと思って部下に自分を殺すように命じるのであるが,部下はできないと拒否する.イロアスという部下はアントニーを殺すことを引き受けながらその場で自分を殺してしまう.主人を殺すことを拒否する場面は『ジュリアス・シーザー』にもあったので,当時のローマ人の武士道のようなものだったのだろうか? 興味深いのは,アントニーの側近のイノバーバスが,荷物を持たずに最後に裏切って敵に走るのであるが,そのイノーバ―バスにアントニーが荷物を届けさせる箇所がある.イノーバ―バスは裏切りを後悔するが,遅い.イノーバ―バスは最後の戦いの中で無駄死にすることを選ぶ.

 『ジュリアス・シーザー』にせよ『アントニーとクレオパトラ』にせよ,ローマにおいて権力が集中する過程で起こった物語なのだろう.ブルータスらは共和制の維持を目指してシーザーを暗殺した.が,共和制というのは,今日のような」民主主義ではなく,貴族合議制である.その貴族合議制が,力のある者の三頭政治に変わり,その中から抜け出たシーザーが殺されたけれども,また三頭政治に戻り,そこからオクティヴィアスが政敵を各個撃破し,最終的にはアウグストゥス(実質的には皇帝)となるのである.その最後に確固撃破されたのが,アントニーと,手を組んだクレオパトラだった,ということだろう.
 なお,アントニーはオクティヴィアスと一時手を結んだ際,アクティヴィアスの姉オクテーヴィアと結婚している.アントニーの遺児はそのオクティーヴィアによって養育されたらしい.オクティヴィアスの後の皇帝カリグラ,クラウディウス,ネロは,そのアントニーの血筋だという.

# by larghetto7 | 2018-11-06 17:48 | 日記風 | Comments(0)
2018/11/02 金曜 法人化後の初代学長
法人化後の初代学長

# by larghetto7 | 2018-11-02 18:13 | 日記風 | Comments(0)
2018/10/30 火曜 シェイクスピア 『マクベス』
 BBC制作のシェイクスピア戯曲のDVDにある『マクベス』を観た.『マクベス』はシェイクスピアの4大悲劇の1つであり,知名度が高い.ワタシ的には,『マクベス』はシェイクスピア作品の中で最も親しみがある作品である.
 『マクベス』への親しみがあるのは,黒澤の映画『蜘蛛巣城』による.実は『蜘蛛巣城』は,私が映画館で観た最初の映画だった.あくまで私の認識であり,記憶は人の中で遡って再構成されるから,実際にその通りかどうかは疑問の余地はあるとしても.
 私が1952年生まれで,『蜘蛛巣城』が公開されたのは1957年1月という.だから,私が映画館で最初に観たという記憶には矛盾はない.私が観たとすれば,故郷の家の近所にあった東宝の映画館である.ただ,怖くて画面を観ていられなかった.幽霊映画のようなものだったのである.だから筋は把握しなかった.その時に観たと覚えている場面は2つである.1つは老婆(魔女)が糸車を回している場面.もう1つは,山田五十鈴のマクベス夫人が,手をいくら洗っても血が落ちないと呻く場面である.最後の,三船敏郎が矢を射かけられる場面も,観ていれば印象に残りそうであるが,怖くて画面は観ていなかったかも知れない.

 今回のDVD作品(TV番組)については,BBC製作であるから,原作に忠実に作ってあるのだろうと思う.このシリーズでは,作品によっては通常のTV番組のスタジオ撮影のように作ってあるものもあるし,いかにも舞台をTV番組の載せたと思わせる作品もある.この『マクベス』は後者だろう.舞台用を思わせる簡単なセットを使っている場面が多い.同シリーズの他の作品と違うのは,Carl Davidによる音楽がこのシリーズとしては異例な,サスペンス調であることである.
 この作品の見どころは,時間の経過に伴ってマクベスとマクベス夫人の性格が変容して行く様だろう.最初,ダンカン王の武将として登場するマクベスは有能で誠実な人柄だった.王殺しは,マクベス自身は気が進まなかったが,気の強い夫人に促されて犯してしまう.しかし王になってからのマクベスはだんだんと悪事にのめり込み,それに伴って性格も暗く,最初とは別人のように変わる.逆に最初こそ果敢であったマクベス夫人は,次第に気の弱さが目立つようになり,重圧に負けて自滅して行くのである.マクベスのNicol Williamsonとマクベス夫人のJane Laptaireは,その変容をうまく演技で表していたように思う.

 この作品を観ながら私が一瞬不思議に感じたのは,ダンカン亡き後,マクベスがなぜに容易に王になれたか,である.有力な武将であれば宰相にはなれるかも知れないが,王になれるのか?
 実在のマクベスがどういう人か,Wikipedia(で悪いが)で調べてみた.近くの図書館にある程度のイギリス/スコットランド史の本では,個別の点をそれほど詳しくは書いていないのである.
 分かったのは,実在のマクベスはダンカンの従弟であり,年齢もそれほど違わなかったことである.だから王位継承権を持っているだろうし,王になるのが不思議とはいえなかったのである.
 この作品ではダンカンは老王として描かれる.しかしダンカンは1001-1040年の生涯であり,死んだのは40歳程度だった.スコットランドでの王としての在位は1034-1040年の7年間に過ぎない.一方マクベスは,4つ下で1005-1057年の生涯である.王としての在位期間は1040-1057年の17年間であり,戯曲では王になってすぐ殺されるように思えるが,実際は17年間という,当時としては長い在位を遂げている.マクベスは王として有能だった,ダンカンは失敗した,という解釈もある.むろん,マクベスがダンカンを殺して王になったこと,ダンカンの子のマルカムに戦いで破れ殺されたことは史実である.
 この作品では「夫人」と呼ばれ名前も出てこないマクベス夫人であるが,実在のそれらしい人は名をグロッホというらしく,実は少し前の王ケネス三世の孫娘であるらしい.だからマクベス,マクベス夫人とも血筋では王につながっており,王になること自体は途方もない野心という訳でもなかったのだろう.
 マクベスの時代は,イングランドではノルマン人の征服(1066年)の少し前である.ノルマン人の征服は,国内が騒乱状態にある上に外国の勢力が介入するという状況の中で偶々生じたことのように思う.実はスコットランドも似たような状態にあり,『マクベス』でも冒頭では内乱とノルウェイ王の介入があったことになっている.そういう騒乱状態の中で,血筋上も王に近い名門のマクベスが,王を倒して王位に就いた,というのが実際の所かも知れない.

 この作品を観ながら「あれ」と思ったのが最後の場面である.手許にある和訳本(松岡和子訳,ちくま文庫)では,マクダフがマクベスの首を持ってマルカムらの前に現れ,マルカムはこれから王になると宣言して劇は終わる.しかしこのDVD作品では,玉座近くでマクベスがマクダフに討たれて倒れている.マルカムが王になると宣言するところは同じなのであるが,そのマクダフより玉座に近いところになぜか,マクベスに殺されたバンクォーの息子フリーアンスが現れ,マクベスの死体,玉座,フリーアンスが画面に入ったところで劇が終了している.ここでフリーアンスを玉座の近くに置くという演出は何なのか?
 次のようなことかも知れない.『マクベス』が(たぶん宮廷で)初演された1606年は,エリザベス一世が1603年に死んでスコットランド王だったジェイムズが王位に就いた後である.スコットランドを舞台にする『マクベス』を作ったのも,そのジェイムズにヨイショするためだったらしい.ジェイムズの属するスチュアート朝の祖とされているのが,マクベスに殺されたバンクォーだからである.実はバンクォーの息子のフリーアンスも歴史ではマクベスに殺されるのであるが,フリーアンスの子供が血脈をつなぎ,マクベス物語の300年後にスコットランドでスチュアート朝が始まる.
 だからバンクォーの血筋を持ち上げるために,フリーアンスをマルカムより玉座に近い場所に置いて劇を終了する,というのは,初演当時はあり得た,だからこのBBCの作品でもそうしてみた,ということかも知れないなと思った.

# by larghetto7 | 2018-10-30 17:52 | 日記風 | Comments(0)
2018/10/27 土曜 映画『雨のしのび逢い』をDVDで観る
 県立図書館でシェイクスピアのDVDと一緒に『雨のしのび逢い』のDVDを借りていた.このDVDだけ観ずに返却しようと思って昨日,県立図書館に行った.しかし昨日はイレギュラーな休館日だった.返却せずに帰ってきた.
 返却が1日遅れるので,せっかくだから『雨のしのび逢い』を観てみた.

 この映画の中で雨は降らない.原題は Moderato Cantabile なのに邦題がなぜ『雨のしのび逢い』になったのかは,まあ,いつものことだろう.
 ブルジョアの夫人アンヌ(ジャンヌ・モロー)と労働者階級の男ショーヴァン(ジャン=ポール・ベルモンド)の物語である.ジャンヌ・モローもジャン=ポール・ベルモンドも,私の記憶の中のイメージより若い.製作は1960年であるから,今から半世紀以上前になる.
 甘く切なくやるせない恋愛ものかと思ったが,そういう訳でもない.物語の冒頭,カフェ・ジロンド(Cafe de la Gironde)で殺人事件がおきる.物語はジロンド県(ボルドーがある)の小さな町でのことである.既に警察も来ているが,犯人の男は殺した女の遺体にすがりついて愛撫している.その光景を見る群衆の中にアンヌとショーヴァンがいた.この異様な光景がそれから始まるアンヌとショーヴァンの7日間の恋を導くのである.
 カフェ・ジロンドは労働者階級の男が集まる店である.そこでアンヌとショーヴァンはしばしば逢う.最後に,夜半,アンヌとショーヴァンは客のいないカフェ・ジロンドで逢う.ショーヴァンはアンヌに「あなたには死んでほしい」といって去ってゆく.アンヌは,殺された女がそうであったように,その場に崩れ落ち,悲鳴を2度あげるのである.そして最後の,地味な結末がある.ジャン=ポール・ベルモンドもよいが,やはりジャンヌ・モローを観る映画である.
 この映画が何を意味するかは私には理解し切れない.原作は女流作家のMarguerite Durasが書いた小説であり,Duras自身も脚本に加わっている.
 モノクロで映し出される陰影や風景が美しい.

 どうでもよいが,カフェ・ジロンドの女主人を結構な美人女優が演じている.調べるとPascale de Boysson という女優で,既に亡くなっているけれど有名な女優さんであるようだ.

# by larghetto7 | 2018-10-27 15:12 | 日記風 | Comments(0)
2018/10/25 木曜 シェイクスピア 『終わりよければすべてよし』
 BBC制作のシェイクスピア戯曲のDVDシリーズのうち,『終わりよければすべてよし』を観た.この作品は,分類としては喜劇である.DVDのケースには,この作品は英アカデミー賞を受賞したという.観てみたところ確かによく出来ていて,観終わったときには感動した.
 筋をやや詳しく書いておこう.舞台はフランス,時代はよく分からないが,服装からするとシェイクスピアと同時代なのだろう.主人公はロシリオン伯爵お抱えの医師の娘のヘレナである.医師の親父さんが亡くなって半年くらいの時点から話が始まる.ヘレナは孤児であるが,前ロシリオン公爵夫人に我が子のようにかわいがられている.ロシリオン伯爵位は息子のバートラムが継いでいる.ヘレナはそのバートラムに密かに恋をしている.何とかバートラムと結婚するために,瀕死の病にかかっているフランス王を治療することを願い出る.この治療は成功し,喜んだフランス王はヘレナに好きな相手と結婚させるという.そこでヘレナはバートラムを指名する.
 この指名を(前)公爵夫人は喜ぶが,バートラム本人は反発し,ヘレナを嫌い,形だけ結婚したことにしてフローレンスに出陣してしまう.バートラムはヘレナに,「家伝の指輪を手に入れて自分の子を宿したなら結婚する」と言い残す.ヘレナも家出して巡礼の旅に出て,巡礼先で死んだことになる.
 バートラムはフローレンス出陣から戻る直前に当地の娘ダイアナにいい寄る.が,ダイアナとヘレナは知り合っており,ヘレナはダイアナに策を授けるのである.ダイアナはバートラムに指輪の交換を求めて成功する.そしてセックスさせるといって,ベッドの中でヘレナと入れ替わるのである.
 最後の場面はロシリオン邸で,王を含めて一同が会する状況で,ダイアナがバートラムの不実を訴える.そこで死んだはずのヘレナが現れ,バートラムの指輪を得て彼の子供を身ごもったと明かすのである.バートラムもヘレナとの結婚を受け入れて大団円で終わる.

 この作品で感心するのは,主要な登場人物が全員,有名な俳優であり,しかも見事な演技をしている(ように見える)ことである.バートラムを演じたのは,この作品の製作と同時期に公開されたあの『炎のランナー』(Chariots of Fire)で,スコットランドの宣教師エリック(400m走で金メダルを取る)を感動的に演じた Ian Charlesonだった.伯爵夫人のCelia Johnson,フランス王のDonald Sinden,ヘレナを理解する老貴族ラフューに『リア王』と『テンペスト』で主演したMichael Hordern,ダイアナが『テンペスト』でミランダを演じたPippa Guard,バートラムの同僚貴族デュメーンに『から騒ぎ』のベネディクトなどを演じたRobert Lindsay,などである.特にフランス王は他を圧する迫力がある.

 しかしこの作品は上演機会がほとんどなかった作品という.いくつかケチがつくところがあるかららしい.Wikipedia(で悪いが)によると,ヘレナのような身分の低い者との結婚を王や貴族が支持するのは不自然であること,ヘレナはよいがバートラムは好きでもない,身分も低い相手と結婚させらえるのはハッピィな終わり方ではないだろう,結婚してもうまくゆくとも思えない,といったことである.
 たぶんそうした問題をクリアするように演出がなされたのではないかと想像する.この話は大まかにはヘレナの成功物語である.身分が低いヘレナが王の治療とバートラムが課した結婚の条件という2つのハードルを見事クリアし,バートラム伯爵との結婚を実現する.そのヘレナを野心的なヤッピィのようにギラギラ描いてしまうと興ざめになる.だからヘレナは終始抑えたふるまいをする者として描かれる.フランス王は結婚を強いるほどの強い,帝王的なキャラとして描かれる.画面も抑えた色調であり,音楽も同様である.考えた演出なのだろう.最後にヘレナがすべてうまくやったところで,私もヘレナの側に立ってよかったと思った.いろいろ問題はあるのだろうが,最後に観客の共感を得ればそれでよいではないか.まさに「終わりよければすべてよし」なのである.「終わりよければすべてよし」は,最後にオシリオン邸に向かうヘレナがその趣旨のことを口にする.そして同じ趣旨の言葉をフランス王が述べてこの劇が終了する.結果が良ければ過去はbitterでもSweetな未来が見通せる,と.
 ちなみに,であるが,社会心理学のテキストには,認知の所で Stony Past, Golden Future という言葉が出て来ることがある.過去はつらいものに,未来は明るいものに映る,という認知的なバイアスが人にはあるというのである.このバイアスは,未来を楽観的に考えた方が結果がよい(進化的には,楽観的な方が適応度が高い)ことによるとするのが,1つの考えである.

 なお,この作品では,主たる筋と並行して卑怯者のぺーローレスの物語が進行する.ぺーローレスはその卑怯さがばれ,バートラムらの信頼をすべて失って追放され零落する.しかし最後のオシリオン邸の場面で乞食のようになって現れ,ラフューから捨扶持をもらえることになり,最後のヘレナの勝利にも若干貢献する.嫌われ役のぺーローレスにも救いを与えるのがこの作品である.落ちぶれてもたくましく生きてゆくぺーローレスはある意味立派なのかも知れない.

# by larghetto7 | 2018-10-25 18:34 | 日記風 | Comments(0)
2018/10/21 日曜 シェイクスピア 『ウィンザーの陽気な女房たち』
 BBCのシェイクスピア戯曲のDVDシリーズの『ウィンザーの陽気な女房たち』を,県立図書館から借りてきて観た.この作品は,題から分かる通り喜劇である.ざっと流して観るつもりだったが,思いのほか面白かった.

 ウィンザーはウィンザー城で名を知られる.調べるとロンドン中心街の西34kmというから,ロンドン近郊といってよいのだろう.陽気な女房とは,ウィンザーの紳士階級のペイジ家とフォード家の夫人である.主役になるのはフォルスタッフという,サーの爵位を持つがならず者同様の老体で,劇中ではしばしばサー・ジョンと呼ばれる.フォルスタッフは『ヘンリー四世』で出てきた人気キャラで,エリザベス女王が気に入って,現代(当時)の時代設定で登場することになったらしい.
 この作品では2つのストーリーが並走する.1つは,フォルスタッフがペイジ夫人とフォード夫人に同時に同じ文面の恋文を書き,ねんごろになって金を巻き上げようと画策する.女房たち,つまりペイジ夫人とフォード夫人はフォルスタッフの意図を見抜き,話に乗るように見せて,フォルスタッフを散々に懲らしめる,というドタバタ劇である.もう1つのストーリーはペイジ夫妻の娘のアンの結婚話である.アンには裕福な紳士スレンダー,フランス人医師で宮廷にも出入りするカイアスが求婚している.ペイジの旦那はアンをスレンダーと,ペイジ夫人はカイアスと結婚させたい.が,アンは,身分はあるが金のないフェントンと恋仲である,という状況である.
 この2つのストーリーは最後の場面で合流する.最後の場面では,フォード夫人がフォルスタッフを夜中,ウィンザーの森のオークの木の下に呼び出す.その森のオークの木とは伝説の場所であり,狩人ハーンという幽霊が出るという言い伝えがある.そこに出向いたフォールスタッフは妖精たちに化けた登場人物たちに脅され,いじめられる.が,その騒ぎの中でアンはフェントンとその場を抜け出して結婚してしまうのである.最後は大団円となり,お互いのわだかまりを許し合い,フォルスタッフを含め,みんなで談笑するためにペイジ家に向かうという場面で終わる.この最後の場面は画面として美しく,『夏の夜の夢』を思わせる.
 これまで観たシェイクスピア喜劇の中でも,私にはこの作品は特に魅力的である.この作品には悪人は出てこない.皆が善意の人である.ずるいことを考える者もいるが,みな懲らしめられ,最後は円満に終わるのである.

 主役はやはりフォルスタッフなのだろう.私は,このフォルスタッフというキャラがなぜ人気があるか理解できなかった.フォルスタッフは,時代設定としてはこの作品ができるより200年近く前の,ヘンリー四世の物語に出て来る.先述のように,おそらくエリザベス女王が望んだので,このキャラを「現代劇」の中に呼び込んだのである.今回この作品を観てみると,要するに落語の与太郎とか熊五郎のように,喜劇ストーリーの中に常に登場するダメな奴,という設定で人気があるのだろう,と思えてきた.フォルスタッフの手下も同じメンバーで登場する.バードルフ,ピストル,ニムである.
 さらに,この作品では重要な役割を演じるクイックリー夫人というのは,『ヘンリー四世』,『ヘンリー五世』に出て来る,フォールスタッフ行きつけの居酒屋ボアーズヘッド亭の女将であり,『ウィンザーの陽気な女房たち』では医師カイアスの使用人として登場している.『ヘンリー五世』ではピストルがクイックリー夫人を妻にするのであるが,この2人がねんごろになるところも『ウィンザー』で描かれるという,芸の細かさが示されている.なお,バードルフ役のGordon Gostelowは,前作と同様に一貫してバードルフ役で出ている.バードルフ役は彼しかいないと,解説書には書いてあった.

 この作品で名演技が目立つのは,フォード氏(旦那)を演じた Ben Kingsley である.フォード氏は妻が浮気をしていると疑い,いろいろと動き回り,喜劇的に大騒ぎを演じる.Ben Kingsley はインド系の俳優だそうで,『ガンジー』という映画ではガンジーその人を演じている.また,クイックリー夫人のElizabeth Spriggsも大したものである.カイアスの使用人でありながらいろんな人の使いをこなし,最後は妖精の女王役までやってしまう.
 目立たない役であるが,スレンダーの召使というちょい役で,『リチャード三世』で主演したRon Cookが出ていたのも面白い.

# by larghetto7 | 2018-10-21 19:13 | 日記風 | Comments(0)
2018/10/16 火曜 シェイクスピア 『尺には尺を』
 県立図書館から借りたBBCのシェイクスピアのDVDシリーズの『尺から尺を』を観た.この作品は「喜劇」に入る.しかしシェイクスピア劇の常として,悲劇になるか喜劇になるかは紙一重の展開の差である.ストーリーそのものはかなり深刻に進む.
 この作品の題名『尺には尺を』(Measure for Measure)の意味が事前に気になった.たぶん目には目を,歯には歯を,tit for tat といった意味であろうと予想した.作品を観たところ,大まかには当たっている.が,正確にはやや異なる.目には目をは結果の公正性を指す.ここで「尺」(measure)とは基準といった意味らしく,「尺には尺を」は新約聖書の表現によるという.つまりあることに基準を適用すれば同じ出来事には同じ基準を適用しろ,という,方法上の公平性を指している.むろん,適用すべき行為が同じであれば,同じ基準を使えば結果の公平性も含意される.

 この作品,たとえていえば「遠山の金さん」,「水戸黄門」,「暴れん坊将軍」のシェイクスピア版だと思えばよい.ウィーンの公爵のヴィンセンシオがお忍びで旅に出ると言い出す.その間の公爵代行にアンジェロを任命するのである.アンジェロは全権を委任される.アンジェロは厳格な人で,19年前から適用がなかった旧法を復活させ,クロ―ディオを,恋人(ジュリエット)を婚前に妊娠させた罪で逮捕し,死刑にしようとする.クローディオの妹で修道女見習のイザベラがアンジェロに,クローディオの命乞いをする.ところがアンジェロはイザベラを見初めてしまい,平たくいうとセックスさせれば兄を死刑にしないでやると持ち掛ける.だから,クローディオに適用した基準をアンジェロにも適用すれば,アンジェロも罪になる,というのが「尺には尺を」なのである.
 で,何が遠山の金さんかというと,旅に出たはずの公爵ヴィンセンシオは実はウィーンに留まり,旅の修道士のふりをして世情を眺めるのである.そして,クローディオの死刑の件でイザベラが悩んでいることを知るという,うま過ぎる展開になる.ヴィンセンシオは修道士を名乗りつつ,イザベラを助け,クローディオが死刑にならないように策をイザベラらに与える.
 最後の場面で公開の場でアンジェロに対するイザベラの訴えがある.話はもっと複雑であるが,簡単にいえば,アンジェロの非難はすべて修道士が仕組んだ悪だくみであり,その修道士を連れて来いということになる.その修道士,実は公爵その人だ,と身分を明かし,ここにすべての悪事は露見して,めでたしの決着になるのである.
 日本の時代劇の遠山の金さんスタイルはどこまで遡るか分からないが,日本の時代劇が始まるずっと前からシェイクスピアがやっていたというのは,感慨深いものがある.
 題名が作品のメッセージである点は分かりやすい.いい方を変えれば,為政者たる者,ダブルスタンダードはダメよ,ということである.

 という物語であるが,中身についてはツッコミどころは多いように思う.だいたい,お忍びで世情を見たいなら何も旅に出たことにする必要はない.遠山の金さんも暴れん坊将軍も,奉行や将軍の代行などは立てないだろう.それに,その代行を選んだおめえには任命責任があるだろう,という話である.人助けをするなら,面倒な芝居など打たずにアンジェロの前に出て決済すれば済む話である.しかもこの審判を,劇を面白くするためとはいえ,公衆の面前でやることもないだろう.アンジェロも結局救われるのであるが,公衆の面前で芝居を打ったものだから,アンジェロの面目は丸潰れではないか.しかも,最後に公爵は自分が助けたイザベラと結婚する,うーん,そりゃないだろう.
 とまあ,ストーリーには納得できない点があるが,そこはシェイクスピア劇の常である.なかなか派手に楽しめる作品だ,とポジティヴに考えるべきなのだろう.
 
 この作品,ウィーンが舞台であるが,特にウィーンらしいところがあるのか,分からない.ウィーンが舞台であるのに人名はイタリアか地中海風である.はっきりいって舞台はどこでも良かったのだろう.

 この作品で同シリーズ37作品中,28作品を私は観たことになる.ここまで来ると早く全37作品を観たい気持ちになる.

# by larghetto7 | 2018-10-16 19:01 | 日記風 | Comments(0)
2018/10/12 金曜 シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』
 BBCのシェイクスピアのDVDシリーズの『トロイラスとクレシダ』を県立図書館から借りてきて観てみた.この作品は20世紀に至るまで上演実績がほとんどなかったらしい.
 『トロイラスとクレシダ』の時代背景はトロイ戦争の物語の終わりの頃である.トロイの勇者ヘクターがギリシャ側のアキリーズ(アキレス)に殺され,トロイ側が意気消沈するところで終わる.その間のギリシャ側とトロイの戦闘,および,ヘクターの弟のトロイラスとクレシダとの恋愛関係で話が進む.映画『トロイ』を(TVで)観ていたので,話の見当がついて助かった.

 この作品は,BBCの解説書では「喜劇」と表示されていた.しかしネットで調べると「悲劇」である.主人公が死なない点は通常の「悲劇」とは異なる.が,終わり方は暗い.観た後の感想では悲劇でよいと思う.観れば気分はかなり落ち込む.英語版のWikipediaは,この作品を black と表現している.
 何が black か.いろいろあるのであるが,大きな出来事の第1は,永遠の愛を誓っていたクレシダの不義である.いろいろ事情はあるものの,クレシダが他の男(ギリシャの将軍)になびいてしまい,その様を見ていたトロイラスが戦場で復讐の鬼と化す.シェイクスピア作品で主人公並みの女性が不義に走るのは思い当らない.第2はアキリーズが卑劣なことである.映画『トロイ』ではアキリーズとヘクターは正々堂々と戦った上でアキリーズがヘクターを倒す.しかしこの作品ではそうではない.アキリーズは,戦いでヘクターが武装を解いたのを見計らい部下にヘクターを取り囲ませなぶり殺しにさせる.そして自分の手柄にするのである.通常は美しく描かれる恋愛やヒロイズムが,この作品では black に描かれる.

 『トロイラスとクレシダ』のもともとのネタはギリシャ神話を題材とした『イーリアス』であるが,『トロイラスとクレシダ』自体は14世紀イングランドのチョーサーの作らしく,その他の作品を交えてネタ本にしたようである.このDVDでは,登場人物の服装はエリザベス朝の前後のようであり,元来のトロイ戦争のようには見えない.

 主人公のトロイラスを演じるのは同シリーズの『リア王』でエドガーを演じたAnton Lesserであり,トロイラスとクレシダの取持ちをするクレシダの叔父パンダラスを『ジュリアス・シーザー』でシーザーを演じたCharls Gray が演じていた.主役のAnton Lesserもシェイクスピア劇らしい演技をしていたと思うが,演技で際立つ俳優が他に2人いる.何れも特徴的な面相で,一人はパンダラスのCharls Grayである.このパンダラスがこの劇の進行の役割も果たす.もう一人がギリシャの口汚い兵士サーサイティーズ(THERSITES)を演じた The Incredible Orlando こと Jack Birketである.彼は著名なダンサーらしい.このDVDを観れば自ずとこの2人が目につく.

# by larghetto7 | 2018-10-12 23:28 | 日記風 | Comments(0)