2018/10/21 日曜 シェイクスピア 『ウィンザーの陽気な女房たち』
 BBCのシェイクスピア戯曲のDVDシリーズの『ウィンザーの陽気な女房たち』を,県立図書館から借りてきて観た.この作品は,題から分かる通り喜劇である.ざっと流して観るつもりだったが,思いのほか面白かった.

 ウィンザーはウィンザー城で名を知られる.調べるとロンドン中心街の西34kmというから,ロンドン近郊といってよいのだろう.陽気な女房とは,ウィンザーの紳士階級のペイジ家とフォード家の夫人である.主役になるのはフォルスタッフという,サーの爵位を持つがならず者同様の老体で,劇中ではしばしばサー・ジョンと呼ばれる.フォルスタッフは『ヘンリー四世』で出てきた人気キャラで,エリザベス女王が気に入って,現代(当時)の時代設定で登場することになったらしい.
 この作品では2つのストーリーが並走する.1つは,フォルスタッフがペイジ夫人とフォード夫人に同時に同じ文面の恋文を書き,ねんごろになって金を巻き上げようと画策する.女房たち,つまりペイジ夫人とフォード夫人はフォルスタッフの意図を見抜き,話に乗るように見せて,フォルスタッフを散々に懲らしめる,というドタバタ劇である.もう1つのストーリーはペイジ夫妻の娘のアンの結婚話である.アンには裕福な紳士スレンダー,フランス人医師で宮廷にも出入りするカイアスが求婚している.ペイジの旦那はアンをスレンダーと,ペイジ夫人はカイアスと結婚させたい.が,アンは,身分はあるが金のないフェントンと恋仲である,という状況である.
 この2つのストーリーは最後の場面で合流する.最後の場面では,フォード夫人がフォルスタッフを夜中,ウィンザーの森のオークの木の下に呼び出す.その森のオークの木とは伝説の場所であり,狩人ハーンという幽霊が出るという言い伝えがある.そこに出向いたフォールスタッフは妖精たちに化けた登場人物たちに脅され,いじめられる.が,その騒ぎの中でアンはフェントンとその場を抜け出して結婚してしまうのである.最後は大団円となり,お互いのわだかまりを許し合い,フォルスタッフを含め,みんなで談笑するためにペイジ家に向かうという場面で終わる.この最後の場面は画面として美しく,『夏の夜の夢』を思わせる.
 これまで観たシェイクスピア喜劇の中でも,私にはこの作品は特に魅力的である.この作品には悪人は出てこない.皆が善意の人である.ずるいことを考える者もいるが,みな懲らしめられ,最後は円満に終わるのである.

 主役はやはりフォルスタッフなのだろう.私は,このフォルスタッフというキャラがなぜ人気があるか理解できなかった.フォルスタッフは,時代設定としてはこの作品ができるより200年近く前の,ヘンリー四世の物語に出て来る.先述のように,おそらくエリザベス女王が望んだので,このキャラを「現代劇」の中に呼び込んだのである.今回この作品を観てみると,要するに落語の与太郎とか熊五郎のように,喜劇ストーリーの中に常に登場するダメな奴,という設定で人気があるのだろう,と思えてきた.フォルスタッフの手下も同じメンバーで登場する.バードルフ,ピストル,ニムである.
 さらに,この作品では重要な役割を演じるクイックリー夫人というのは,『ヘンリー四世』,『ヘンリー五世』に出て来る,フォールスタッフ行きつけの居酒屋ボアーズヘッド亭の女将であり,『ウィンザーの陽気な女房たち』では医師カイアスの使用人として登場している.『ヘンリー五世』ではピストルがクイックリー夫人を妻にするのであるが,この2人がねんごろになるところも『ウィンザー』で描かれるという,芸の細かさが示されている.なお,バードルフ役のGordon Gostelowは,前作と同様に一貫してバードルフ役で出ている.バードルフ役は彼しかいないと,解説書には書いてあった.

 この作品で名演技が目立つのは,フォード氏(旦那)を演じた Ben Kingsley である.フォード氏は妻が浮気をしていると疑い,いろいろと動き回り,喜劇的に大騒ぎを演じる.Ben Kingsley はインド系の俳優だそうで,『ガンジー』という映画ではガンジーその人を演じている.また,クイックリー夫人のElizabeth Spriggsも大したものである.カイアスの使用人でありながらいろんな人の使いをこなし,最後は妖精の女王役までやってしまう.
 目立たない役であるが,スレンダーの召使というちょい役で,『リチャード三世』で主演したRon Cookが出ていたのも面白い.

# by larghetto7 | 2018-10-21 19:13 | 日記風 | Comments(0)
2018/10/16 火曜 シェイクスピア 『尺には尺を』
 県立図書館から借りたBBCのシェイクスピアのDVDシリーズの『尺から尺を』を観た.この作品は「喜劇」に入る.しかしシェイクスピア劇の常として,悲劇になるか喜劇になるかは紙一重の展開の差である.ストーリーそのものはかなり深刻に進む.
 この作品の題名『尺には尺を』(Measure for Measure)の意味が事前に気になった.たぶん目には目を,歯には歯を,tit for tat といった意味であろうと予想した.作品を観たところ,大まかには当たっている.が,正確にはやや異なる.目には目をは結果の公正性を指す.ここで「尺」(measure)とは基準といった意味らしく,「尺には尺を」は新約聖書の表現によるという.つまりあることに基準を適用すれば同じ出来事には同じ基準を適用しろ,という,方法上の公平性を指している.むろん,適用すべき行為が同じであれば,同じ基準を使えば結果の公平性も含意される.

 この作品,たとえていえば「遠山の金さん」,「水戸黄門」,「暴れん坊将軍」のシェイクスピア版だと思えばよい.ウィーンの公爵のヴィンセンシオがお忍びで旅に出ると言い出す.その間の公爵代行にアンジェロを任命するのである.アンジェロは全権を委任される.アンジェロは厳格な人で,19年前から適用がなかった旧法を復活させ,クロ―ディオを,恋人(ジュリエット)を婚前に妊娠させた罪で逮捕し,死刑にしようとする.クローディオの妹で修道女見習のイザベラがアンジェロに,クローディオの命乞いをする.ところがアンジェロはイザベラを見初めてしまい,平たくいうとセックスさせれば兄を死刑にしないでやると持ち掛ける.だから,クローディオに適用した基準をアンジェロにも適用すれば,アンジェロも罪になる,というのが「尺には尺を」なのである.
 で,何が遠山の金さんかというと,旅に出たはずの公爵ヴィンセンシオは実はウィーンに留まり,旅の修道士のふりをして世情を眺めるのである.そして,クローディオの死刑の件でイザベラが悩んでいることを知るという,うま過ぎる展開になる.ヴィンセンシオは修道士を名乗りつつ,イザベラを助け,クローディオが死刑にならないように策をイザベラらに与える.
 最後の場面で公開の場でアンジェロに対するイザベラの訴えがある.話はもっと複雑であるが,簡単にいえば,アンジェロの非難はすべて修道士が仕組んだ悪だくみであり,その修道士を連れて来いということになる.その修道士,実は公爵その人だ,と身分を明かし,ここにすべての悪事は露見して,めでたしの決着になるのである.
 日本の時代劇の遠山の金さんスタイルはどこまで遡るか分からないが,日本の時代劇が始まるずっと前からシェイクスピアがやっていたというのは,感慨深いものがある.
 題名が作品のメッセージである点は分かりやすい.いい方を変えれば,為政者たる者,ダブルスタンダードはダメよ,ということである.

 という物語であるが,中身についてはツッコミどころは多いように思う.だいたい,お忍びで世情を見たいなら何も旅に出たことにする必要はない.遠山の金さんも暴れん坊将軍も,奉行や将軍の代行などは立てないだろう.それに,その代行を選んだおめえには任命責任があるだろう,という話である.人助けをするなら,面倒な芝居など打たずにアンジェロの前に出て決済すれば済む話である.しかもこの審判を,劇を面白くするためとはいえ,公衆の面前でやることもないだろう.アンジェロも結局救われるのであるが,公衆の面前で芝居を打ったものだから,アンジェロの面目は丸潰れではないか.しかも,最後に公爵は自分が助けたイザベラと結婚する,うーん,そりゃないだろう.
 とまあ,ストーリーには納得できない点があるが,そこはシェイクスピア劇の常である.なかなか派手に楽しめる作品だ,とポジティヴに考えるべきなのだろう.
 
 この作品,ウィーンが舞台であるが,特にウィーンらしいところがあるのか,分からない.ウィーンが舞台であるのに人名はイタリアか地中海風である.はっきりいって舞台はどこでも良かったのだろう.

 この作品で同シリーズ37作品中,28作品を私は観たことになる.ここまで来ると早く全37作品を観たい気持ちになる.

# by larghetto7 | 2018-10-16 19:01 | 日記風 | Comments(0)
2018/10/12 金曜 シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』
 BBCのシェイクスピアのDVDシリーズの『トロイラスとクレシダ』を県立図書館から借りてきて観てみた.この作品は20世紀に至るまで上演実績がほとんどなかったらしい.
 『トロイラスとクレシダ』の時代背景はトロイ戦争の物語の終わりの頃である.トロイの勇者ヘクターがギリシャ側のアキリーズ(アキレス)に殺され,トロイ側が意気消沈するところで終わる.その間のギリシャ側とトロイの戦闘,および,ヘクターの弟のトロイラスとクレシダとの恋愛関係で話が進む.映画『トロイ』を(TVで)観ていたので,話の見当がついて助かった.

 この作品は,BBCの解説書では「喜劇」と表示されていた.しかしネットで調べると「悲劇」である.主人公が死なない点は通常の「悲劇」とは異なる.が,終わり方は暗い.観た後の感想では悲劇でよいと思う.観れば気分はかなり落ち込む.英語版のWikipediaは,この作品を black と表現している.
 何が black か.いろいろあるのであるが,大きな出来事の第1は,永遠の愛を誓っていたクレシダの不義である.いろいろ事情はあるものの,クレシダが他の男(ギリシャの将軍)になびいてしまい,その様を見ていたトロイラスが戦場で復讐の鬼と化す.シェイクスピア作品で主人公並みの女性が不義に走るのは思い当らない.第2はアキリーズが卑劣なことである.映画『トロイ』ではアキリーズとヘクターは正々堂々と戦った上でアキリーズがヘクターを倒す.しかしこの作品ではそうではない.アキリーズは,戦いでヘクターが武装を解いたのを見計らい部下にヘクターを取り囲ませなぶり殺しにさせる.そして自分の手柄にするのである.通常は美しく描かれる恋愛やヒロイズムが,この作品では black に描かれる.

 『トロイラスとクレシダ』のもともとのネタはギリシャ神話を題材とした『イーリアス』であるが,『トロイラスとクレシダ』自体は14世紀イングランドのチョーサーの作らしく,その他の作品を交えてネタ本にしたようである.このDVDでは,登場人物の服装はエリザベス朝の前後のようであり,元来のトロイ戦争のようには見えない.

 主人公のトロイラスを演じるのは同シリーズの『リア王』でエドガーを演じたAnton Lesserであり,トロイラスとクレシダの取持ちをするクレシダの叔父パンダラスを『ジュリアス・シーザー』でシーザーを演じたCharls Gray が演じていた.主役のAnton Lesserもシェイクスピア劇らしい演技をしていたと思うが,演技で際立つ俳優が他に2人いる.何れも特徴的な面相で,一人はパンダラスのCharls Grayである.このパンダラスがこの劇の進行の役割も果たす.もう一人がギリシャの口汚い兵士サーサイティーズ(THERSITES)を演じた The Incredible Orlando こと Jack Birketである.彼は著名なダンサーらしい.このDVDを観れば自ずとこの2人が目につく.

# by larghetto7 | 2018-10-12 23:28 | 日記風 | Comments(0)
2018/10/08 月曜 LGBT杉田論文
 「LGBT杉田論文」が世間でよく取り上げられる.その論文がどんな内容かと興味を覚える.が,本文を見るのが不可能ではないが困難であり,見ないままだった.先日,ネットを見ていたら本文を手打ちで入力して表示たらしいサイトが2つあった.手打ちであるからミスもあるかも知れないが,2サイト間で差はなく,大きなミスはないだろう,と考えて,その本文を読んでみた.
 予め私の結論を述べれば,次の2点である.
1.この「論文」は文の構造ができていない.その点が批判を招く一因になっている.
2.著者の立場に立てば,この論文の本来の結論は次の点になるべきだろう:普通の結婚を支持する主流文化の維持が社会の存続のためには必要である.メディアはその点をもっと認識してよい.

1.文章の構造ができていない

 読んで気づいたことは,内容以前に,文の構造ができていないことである.当然,「論文」とはいえない.念のため,この「論文」の各段落に私が作ったトピックセンテンスを当てて全体を表せば,次のごとくである.

1 LGBTの新聞記事が多い.
2 朝日新聞の影響が大きい.
3 報道の背後にあるのはLGBTの人の生きづらさを解消しようとすること.
4 しかし差別は小さい.
5 日本にはキリスト教社会のような同性愛迫害の歴史がない.
6 日本のマスメディアは欧米の論調を受け入れた結果である.
7 当事者は親の理解が得にくいことを悩んでいる.
8 親の理解が得られれば生きやすくなる.制度の問題ではない.
9 制度,行政を動かすことは税金を使うことを意味する.
10 子育て支援は政策的に税金を使う名分があるが,LGBT支援には子育て支援のような政策的な名分がない.
[小見出し LGBとTを一緒にするな]
11 LGBTのうちTは性同一性障害によるので,支援の考慮対象になる.
12 LGBは嗜好の問題である.LGBの持ち上げは不幸な人を増やすことになりかねない.
13 (三重県の調査で)性的志向が曖昧な回答者が多いのはLGB持ち上げの結果を表すだろう.
14 学校制服のLGBT対応.トイレ使用では混乱しかねない.
15 オバマ政権によるTのトイレ・更衣室の使用措置は米国で混乱をもたらした.
16 その混乱は今も続いている.
17 LGBTにQ,I,Pなどが加わると訳が分からなくなる.
18 性別の種類が増えて冗談のようになっている国もある.
19 多様性を受け入れると結婚制度の崩壊に歯止めがかからない.
20 LGBT報道には抑制が働いてよい.
21 「常識」や「普通であること」を見失うのは問題だ.

 このままでは「論文」全体が意味をなさないと私は思う.
 第1に文章が構造化されていない.論をなすというためには結論を支持する根拠が分かるように書かないといけない.しかしこの「論文」では「結論-根拠」の構造が分かりにくい.
 例えば,批判的によく取り上げられるのは段落10である.LGBTは生産しない(子供を産まない)から税金を使う対象にならない,と受け取られた箇所である.
 この箇所は(中身の是非は別にして)次のような理屈で成り立つはずと思う.

税金による公的支援は次の考えにしたがう.
(1)困っている人は公的支援の対象になる.
(2)政策目標(少子化対策など)に合う場合は支援に上積みがあり得る.
LGBTについては,
(1')L以外はさほど困っていない.(段落4-8,11)
(2')公的支援が政策目標に合うとは考えにくい.(段落12)
したがって,L以外は,大がかりな公的支援をすることは考えにくい.(段落12)

 上記のような「結論-根拠」の構造が分かるように書けば意味が通じる.しかしこの本文(段落7-11)は文章が構造化されていないのである.(2)だけで「支援の対象にならない」と結論づけるように受け取られる点が批判を呼んだ面があると思う.
 第2に,この「論文」は結論が不明確である.上で例示した「L以外は,大がかりな公的支援をすることは考えにくい.」は結論らしい部分である.がこの部分が12段落以降とどのようにかかわるのかは,よく分からない.
 結論が分かりにくい理由の1つは,この「論文」が批判のセンテンスばかりを連ねている点である.批判するには「望ましい何か」があるはずである.その積極的な「何か」を結論として示さないと批判の意味も理解しにくい.批判ばかりの野党が意味不明になるのと同じ構造がこの「論文」で起きている.
 今述べた第1,第2の問題によって,この「論文」はまとまりのない「LGBT批判」のセンテンスを並べた文書という印象になる.この「論文」を擁護する人の中には「全体を読めば分かる」という人もいる.が,全体を読んでも今のままでは全体が分からない.だから,この「論文」を批評する人は,結局,部分を取り上げて論評する以外になくなるのである.「LGBT批判」センテンスが並ぶ結果,「LGBTヘイト」の「論文」と受け取られるのは仕方ない面がある.
 善意に解すれば,この「論文」は起承転結のスタイルで書こうとしたのかも知れない.しかし起承転結は漢詩の文学的形式であり,論理的な文書の形式ではない.起承転結形式は「結論-根拠」を示すことに向いていない.

2.この「論文」の本来の結論

 「LGBT杉田論文」の結論(主張)は本来何なのか,を考えてみた.可能性はいろいろあり得る.その可能性を逐一あげてゆくと冗長な話になるので,もっともありそうな推論をしてみたい.この文章は起承転結で構成されたとすれば,最後の段落(21)が結論である可能性が高い.仮にそうだとして話を進めよう.
 段落21の主張をよりポジティヴに(私の言葉で)表現すれば,「普通の結婚を支持する主流(Mainstream)文化の維持は社会の存続にとって必要である」になるだろう.論のアウトラインを示せば次のようなものになると思う.

結論:普通の結婚を支持する主流(Mainstream)文化の維持は社会の存続にとって必要である.
根拠:社会の維持は次世代を「生産」し育てることにかかっている.その結果に導く行動様式が主流文化として存在する.
結論の含意
・多文化共生の社会ではLGBTの文化は下位文化として主流文化と共存すべきであるが,主流文化が衰退したら社会は消滅に向かう.LBGT文化(の社会)の存続は子を産む主流文化(の社会)に依存している.主流文化が消滅したら元も子もない.
・メディアも次世代を「生産」し育てる価値の重要性を認識すべきである.

 元の論文にある論点,例えば「L以外は,大がかりな公的支援をすることは考えにくい.」などは,入れるとすれば,上記のアウトラインの中に関連する事項として入れ込むのであろう.


 「LGBT杉田論文」を文章の面だけで見てきた.内容面でいうと,基本的な結論を維持するとしても,何点かリサーチを経ないと主張できない箇所も目に付く.例えば,(朝日などの)新聞がLGBTを称賛していることを前提とした記載になっているが,本当にそうかどうかは新聞記事の内容分析を経ないと何ともいえない.また,どうしてもチャチを入れたくなるような箇所も少なくない.例えば制服がLBGT配慮というけれど(確かにその学校ではそのように説明してはいるが),その実態は女生徒にもスラックスを認めることのように思える.女生徒のスラックスは結構なことであり,何も問題ないように思える.

# by larghetto7 | 2018-10-08 22:51 | 日記風 | Comments(0)
2018/10/04 木曜 シェイクスピア 『リア王』
 BBCのシェイクスピアのDVDシリーズの『リア王』を,『オセロー』と一緒に借りていた.返却期限が近づいたので急いで観た. 
 同シリーズの作品を,このところシリーズでの順番に従って借りて観ていた.実は順番通りであれば『オセロー』,『リア王』の前に喜劇が4作品続くのである.しかしその4作品は偶然にも誰かが借り出していた.正直,4大悲劇の『オセロー』と『リア王』という大作を続けて観るのは気が重い.間に喜劇を挟みたいところだった.しかし借り出されていたのだから仕方ない.
 ワタシ的には,『リア王』は黒澤明の『乱』で満足していた.中身は『乱』で尽きているような気がした.だからそれほど観たいとは思っていなかった.しかしこの『リア王』を観てみると,当然かも知れないが,『乱』とは違った面白さがある.
 主演のリア王は大御所のマイケル・ホーダーンで,同シリーズの『テンペスト』では主役のプロスペローを演じた.重要な作品だけあって他の役も名のある俳優さんが演じている.

 観ながら最初に,『リア王』の時代設定が不可思議であることが気になった.
 本来なら,この物語はノルマン人の征服以前の出来事のはずである.リア王とは『ブリタニア列王伝』に記された(したがって神話的な)王である.国はブリタニア(ないしアルビオン王国)であって,イングランドではない.ちなみに,この戯曲の中ではキリスト教は出てこない.リアたちが口にする神はギリシャ神話の神である.ところが,DVDの画面では,登場人物の服装はエリザベス朝の服装のように見える(服装は演出家の判断だろう).リアの上の2人の娘(ゴネリルとリーガン)の夫の地位は,それぞれ,オールバニ公とコーンウォール公である.オールバニ公という爵位ができたのは1398年,コーンウォール公は1337年,つまりプランタジネット朝のときにできた爵位である(ちなみにヘンリー八世はコーンウォール公だったらしい).フランス国王やバーガンディ公(ブルゴーニュ公)が出て来るところも,どう見てもプランタジネット朝以後である.
 つまり,この物語はシェイクスピア史劇の期間(プランタジネット朝からチューダー朝)以前に設定されているように見えるが,史劇の期間の出来事のように上演されている,ということなのだろう.芝居であるから構わないのだろう.

 『リア王』は分かりやすい話である.人物の設定が単純に,善玉と悪玉に分かれている.善玉と設定されるのは,リア,末娘のコーディリア,リアの忠臣のケント伯,グロスター伯,グロスター伯の嫡子エドガー,長女ゴネリルの夫オールバニ公,(あえて挙げれば道化)などである.悪玉は長女ゴネリル,次女リーガン,リーガンの夫コーンウォール公,長女配下のオズワルド,ケント伯の庶子エドマンドである.
 しかも,勧善懲悪の要素があるので親しみやすい.悲劇であるから主要な人物の多くが劇中で死んでしまう.死ぬ順番でいうと,善玉ではグロスター伯,コーディリア,そしてリアである.しかし結局,死ぬ人数は悪玉の方が多い.コーンウォール公はグロスター伯の両目をくりぬくときに,グロスター伯の忠臣に斬られ,じきに死んでしまう.使い走りの悪役オズワルドはグロスター伯を殺そうとして逆にエドガーに殺されてしまう.次女リーガンは長女ゴネリルに毒殺され,ゴネリルはその後すぐに自殺する.エドマンドはエドガーに挑まれ討たれて死ぬのである.和訳本(ちくま文庫,松岡和子訳)では,ゴネリルとリーガンの遺体はオールバニ公らの前に運び込まれ,舞台の観客の目にも晒される(DVDではその場面は出なかった).結果として「正義が勝つ」ことが示される.

 この物語をちゃんと読んだことがなかった私は,メインのストーリーと並行して,グロスター伯の庶子エドマンドの陰謀物語が進むことを知らなかった.エドマンドはまず,嫡子エドガーの裏切りをイアーゴーのような手口を使ってグロスター伯に信じ込ませる.エドガーは逃亡を余儀なくされ,エドマンドは伯爵に後継者と認められる.その後にエドマンドは,リア王を助けようとするグロスター伯を裏切ってコーンウォール公に臣従する.さらに,ゴネリルとリーガンに同時に,結婚の約束をする.またリアとコーディリアの殺害を手配し,実際にコーディリアが殺されてしまう.シェイクスピア作品の悪役の中でも大活躍する悪役キャラといってよい.

 この作品の終盤ではコーディリアが率いるフランスの軍勢がドーバー海峡から上陸し,ブリタニア軍と戦う.結果はブリタニア側が勝つのであるが,この展開はかなり危険な展開だと思える.フランス側はコーディリアとリアを擁している.もしフランス側が勝てば,長女と次女はリア王に不忠を働いたから,王位継承権はコーディリアの線に移るだろう.ということは,リアの後にブリタニアの王になるのはコーディリアの夫であるフランス王,ということになる.
 もともと,リアは国の三分の一を,バーガンディ公かフランス王と結婚するだろうコーディリアに与えるつもりだった.その考えの通りにしても問題だった.国の三分の一はフランスかバーガンディ公国の領土になる.三分したことでブリタニアの地で紛争が起きやすくなるし,何かあればフランスかバーガンディが介入しやすくなる.
 つまりは,安定した統治が善とすれば,リア王の考えがどう転んでも愚かだった.国を分与すると言い出したときにケント伯がリアにきつく諌言した(その結果ケント伯は追放される)のはもっともなのである.

 さて,この戯曲は黒澤の『乱』と比べてどうだったか?
 以前観た記憶でいうに過ぎない(あらためて『乱』を観るべきかも知れない).私は『乱』を観て引き込まれたのであるが,『乱』という壮大な作品は,何をテーマとするかが分かりづらい.あえていえば戦乱が人々を不幸にしてゆく,がメッセージだろう.特にあのラストの場面がそう思わせる(とはいいながら,黒澤映画の戦闘場面はいつもながら魅力的である).
 『リア王』の方はもっと単純なのだ.こちらのテーマは「君臣の道」と「既存秩序の維持の重要性」であると私は思う.君主は賢明でなければならず,リア王のような愚かな判断をすべきではない,うわべの追従を見抜かなければならない,というのがメッセージの一方である.他方でこの作品では,私欲を犠牲にする忠臣が賛美される.まるで忠臣蔵である.そして,この作品の結末は「既存秩序の維持」に他ならない.野心家の庶子エドマンドは忠義の嫡子エドガーに討たれるのである.『リア王』の初演の場は宮廷であったようで,どうしてもそのような含意を持つ作品になるのだろう.

 BBCのDVDのケースには「…本戯曲は,人間の身分や地位などが,内面的な悩みの前ではいかに無力かを明らかにする」と書いてある.が,この書き方は混乱した文学者によくある思い込みに過ぎないだろう.素直に観ればこの作品は単純に「君臣の道」を示し,忠臣蔵のように,無心の忠義の美しさを描いた,と私は思う.創作当時の人々は今日の評論家のようなひねくれた考えを持つ訳がなく,屈折したジェンダー論者でもない.

# by larghetto7 | 2018-10-04 14:35 | 日記風 | Comments(0)
2018/09/30 日曜 シェイクスピア 『オセロー』
 BBCのシェイクスピアのDVDシリーズのうち『オセロー』を観た.県立図書館から借りたまま観ずにいた作品である.

 面白かった.『オセロー』はシェイクスピアの四大悲劇に入っているから,名作という位置づけなのだろう.この作品は筋は単純なはずなのに,DVDの放映時間は3時間20分と,このシリーズの中でも長い方に属する.それだけ丁寧に描かれている.画面もきれいである.前半は画面がレンブラントの絵のようであり,後半はフェルメールのようだなと思えた.鏡を使った有名な絵画のようなショットもある.
 この『オセロー』は通常のTVドラマのような画面であるが,見せ場は2人のやり取りの場面である点が演劇らしい.前半のイアーゴーとオセロー,後半のデズデモーナとオセローの場面におけるオセローのテンションが凄まじい.劇場であればこの2人の名優のやり取りを楽しむところなのだろう.主役のオセローはあのアンソニー・ホプキンス,イアーゴーをボブ・ホプキンスが演じる.--

 観ながら気づいたことの第1は,筋立てが喜劇の『から騒ぎ』と似ていることである.『オセロー』ではイヤーゴー,『から騒ぎ』ではドン・ジョンという真性の悪人が登場する.この悪人が実際は貞淑な妻(デズデモーナ)ないし結婚相手(ヒーロー)が不貞をしていると夫(オセロー)ないし結婚相手(クローディオ)に吹き込み,信じさせるのである.そこまでは似ているが,『オセロー』は悲劇,『から騒ぎ』はハッピーエンドの喜劇で終わる.悲劇になるか喜劇になるかの違いは真実が露見するタイミングの差である.『から騒ぎ』では深刻な結果が生じる前にドン・ジョンの悪事が手下の口から露見し,事が収まる.『オセロー』では不貞を信じてオセローがデズデモーナを殺してしまい,その後にイアーゴーの妻エミリアの申し立てでイヤーゴーの悪事が露見する.オセローはかなり運が悪かった.

 これまでに見たシェイクスピア作品の中で,真性の悪人という役はそれほど多くなかったように思う.例えば『ハムレット』のクロ―ディアスは,確かに先王(ハムレットの父)を殺して王位を簒奪したのであるが,その兄殺しは欲望に起因したのであり,先王を殺すこと自体を楽しんだ訳ではない.劇中ではクロ―ディアスは兄殺しに自責の念を覚え,密かに懺悔し,その光景をハムレットが見ているという場面がある.だから真生の悪人としては描かれていない.『ヴェニスの商人』のシャイロックも,憎まれ役ではあるが,同情の余地があるようにシェイクスピアに描かれており,人間的なのである.ここで真性の悪人というのは,相手が苦しむこと自体を楽しむ,という意味である.そういう意味での悪人は,『オセロー』のイアーゴーを除けば,『から騒ぎ』のドン・ジョンと,『タイタス・アンドロニカス』のムーア人エアロンくらいしか私には思い当らない.『タイタス・アンドロニカス』と比べると『オセロー』ではムーア人の位置づけが逆転し,ムーア人のオセローが悪人の被害者になる.
 しかし,『から騒ぎ』や『タイタス・アンドロニカス』に比べ,その悪人の劇中での重要性は,『オセロー』ではるかに大きい.これだけ見事に悪人の演技ができるボブ・ホプキンスは確かに名優なのだと思う.

 『オセロー』の最初の山場は前半(第1部)の最後で,イアーゴーがオセローに妻の不貞という嘘を信じさせる,そのやり取りであると思う.この場面はイアーゴーの言葉によってオセローが妻への不信を増幅させる場面である.それまで自信に満ちていたオセローの人格が崩れて行く.そこからがアンソニー・ホプキンスが見せ場を作って行く.この場面を観ながら,イアーゴーという存在はオセローの中に潜む猜疑心の具象化ではないか,2人のやり取りのように見えるが,実はオセローの心の中での葛藤が人の姿を得て劇を演じているのではないか,という気がしてきた.それだけ丁寧に『オセロー』が詳細な心理描写をしている,ということなのだろう.

# by larghetto7 | 2018-09-30 12:43 | 日記風 | Comments(0)
2018/09/27 木曜 国立大学生定員見直し
国立大学生定員見直し

# by larghetto7 | 2018-09-27 17:27 | 日記風 | Comments(0)
2018/09/21 金曜 親方日の丸文科省一家(軍事的安全保障研究補遺)
親方日の丸文科省一家(軍事的安全保障研究補遺)

# by larghetto7 | 2018-09-21 17:07 | 日記風 | Comments(0)
2018/09/20 木曜 日本の大学への軍事研究委託は無い(軍事的安全保障研究補遺)
日本の大学への軍事研究委託は無い(軍事的安全保障研究補遺)

# by larghetto7 | 2018-09-20 17:50 | 日記風 | Comments(0)
2018/09/19 水曜 軍事的安全保障研究補遺:科学者の責任
軍事的安全保障研究補遺:科学者の責任

# by larghetto7 | 2018-09-19 18:21 | 日記風 | Comments(0)
2018/09/18 火曜 軍事的安全保障研究補遺:研究力低下
軍事的安全保障研究補遺:研究力低下

# by larghetto7 | 2018-09-18 17:28 | 日記風 | Comments(0)
2018/09/17 月曜 迷い猫のマーちゃん
 先週の金曜,9/14の昼前のことである.私が近所の道路を自転車で走っていると,道路を1匹の猫がゆっくり横断している.その道路は車の通りが多いので,そのままではひかれる,と慌てた.幸い,やって来た先頭の車が止まってくれた.猫はそのままゆっくり道路を渡り切り,道路脇の地面で食糧を探すような仕草をしていた.
 猫がひかれなかったことで安心し,私は自転車でその場を去った.が,すぐに引き返した.その猫を放っておけなかったからである.腹が減ってふらふらになっているように思えた.
 猫は簡単に手で抱き上げることができた.そのまま自転車の前カゴに入れて家へと急いだ.通常,飼い猫でも見知らぬ人が触るのは難しい.まして蓋もない自転車の前カゴでじっとしている猫は珍しい.よほど人に慣れているか,弱っていて動けないか,あるいはその両方であろうと思った.

 我が家では庭にいる猫が庭から入れるスペースがある.そのスペースに猫を置いた.近くには固形食糧を盛った皿がある.猫はその固形食糧をすぐに食べ始めた.やはり腹が減っているのだ,と思った.ひとしきり食べるとその場で眠り込んだ.そのスペースは一応,庭側の戸を閉めたけれども,実は猫ドアを抜ければ出入りできる.
 曇ガラス越しに見ると,猫はずっと動かずに寝ている.

 この猫は,痩せてはいるけれど,身体が汚れてはいない.不思議なのは,野良猫には珍しく耳の内側がきれいだったことである.だから元来飼い猫ではなかったか,という気がした.
 この猫は飼い猫であったけれど,何かの拍子に外に出て迷ったのだ.外の野良猫には野良猫なりの縄張りがある.だから食糧にありつけず,空腹で弱ったのではないか? そんなストーリーを描いた.
 迷い猫だから名前はマーちゃんにした.私流の単純な命名である.家に猫を連れて来るとまたカミさんに嫌な顔をされると思い,カミさんには恐る恐る事情を話した.
 数時間,庭に通じるスペースにマーちゃんを置いていたけれど,外の猫にはやはり縄張りがあるので,マーちゃんは追い出されるかも知れない,と心配した.家の中に使っていない猫ケージが1つある.そのケージに入れて保護しようと考えた.
 マーちゃんは少し引いたところで隠れるようにおとなしくしていた.缶詰を皿に載せて見せると寄ってきて食べ始めた.そこを捕まえて家の中のケージに入れた.
 2段のケージの下のフロアに猫砂を入れた猫トイレがある.マーちゃんはそのトイレの中で寝始めた.時折大小便をしたので掃除して,トイレをきれいな状態に保った.
 しかしその日の夜以降は,マーちゃんは食べない.水を飲むくらいだった.栄養を付けて回復させようと思い,AD缶を水で溶いてシリンジで強制給餌をし始めた.
 次の日は一日中同じ状態が続いた.時折大小便をするので掃除した.定期的に強制給餌をした.
 具合が悪いと猫は強制給餌に抵抗するし,後で吐いてしまう.さらに弱ると抵抗する力も無くなるけれど,口に入れた食糧が口から流れ出すようになる.マーちゃんは食糧を飲み込んでいたし,吐く訳でもないので,当面それで栄養をつけよう,と思った.大小便はそれなりに出ていた.
 夜,ガラス戸越しに外から見ると,トイレでマーちゃんは寝ていて,呼吸のために腹が動いていたのを覚えている.

 2日目は私がかなり寝坊した.マーちゃんのケージを見ると,マーちゃんは猫トイレの外で寝ていた.まあいいかと思い,特に気に留めなかった.
 少ししてからマーちゃんのケージのある部屋で他の猫に食糧をあげようと思った.マーちゃんを見ると同じ格好で寝ている.が,呼吸をする身体の動きがない.触ってみて死んでいるのが分かった.まだ身体は冷え切っていない.硬直もしていない.だから私がその日最初に見た頃に亡くなってしまったのだろう.
 死亡時に大便を出していたのでお尻付近を拭いたけれども,それ以外はきれいなままだった.顔も静かに寝ているようである.マーちゃんの遺体を大き目のカゴに入れて居間に安置した.マーちゃんのいたケージの中の始末をした.マーちゃんには猫用の線香台で線香を炊いた.ペット葬送の業者に電話して火葬の依頼をした.次の日,つまり本日の午前には花を買ってきて花瓶に供えた.
 本日の午後,カミさんと一緒にマーちゃんの遺体を業者のもとに運んで線香をあげ,火葬をお願いした.

 私の意見では,マーちゃんの病気は腎不全,および貧血だろう.後になってから思ったが,強制給餌をするとき,口の中が白かった.貧血のパタンである.腎臓が悪くて貧血になることが多い.この2つのコンビネーションは猫の病気の定番であり,私の家でも多くはこのパタンで亡くなる.ただ,貧血なので寝るように亡くなったのではないかと思う.
 ずっと猫トイレにいたのに外で死んでいたのは,死ぬときに体温が下がり,自然と温度が低い場所に移動したのだろうと思う.
 ただこんなに早く亡くなるのは予想外だった.

 マーちゃんは飼われていた迷い猫であると私は最初に思った.しかしもとから野良猫であり,具合が悪くなって死に場所を探していたかも知れない.猫は死期を悟ると外敵がいないような安全な場所に移動して死ぬのである.私の家でケージの中に入って,外敵がいない状態になったので,安心して死のうと思ったのかな,などとも考えた.
 マーちゃんは突然現れ,生きて2日,死して1日,私の家に滞在し,通り過ぎるように消えていった.この間,私にはほとんど手間をかけず,病気なのにきれいな体で,安らかな顔で死んだ.なんとも不思議な猫である.
 冥福を祈るばかりである.

# by larghetto7 | 2018-09-17 22:00 | 日記風 | Comments(0)
2018/09/16 日曜 このブログConbrioはいつまで続けるか?
このブログConbrioはいつまで続けるか?
なお,ブログ Larghetto は Conbrio を閉じた後も続けるでありましょう.
# by larghetto7 | 2018-09-16 23:51 | 日記風 | Comments(0)
2018/09/14 金曜 軍事的安全保障研究
軍事的安全保障研究

# by larghetto7 | 2018-09-14 19:17 | 日記風 | Comments(0)
2018/09/13 木曜 東工大が授業料を上げる
東工大が授業料を上げる

# by larghetto7 | 2018-09-13 14:13 | 日記風 | Comments(0)
2018/09/10 月曜 東京タワー水族館
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 本日,カミさんと一緒に東京タワー水族館に出かけた.少し前に,種々の事情で東京タワー水族館が9月30日を最後に閉館するというニュースが流れた.なくなる前に見ておこうと昨夜思いついたのである.
 まず行き方を考えた.東京タワー近くには地下鉄の駅が3つある.しかし埼玉からだと電車の乗り継ぎが面倒そうだった.歩く距離は増えるが,JR浜松町で降りて歩くことにした.駅で降りて駅近くのレストランで食事してから歩いた.東京タワーが見えているので迷わない.増上寺を超えて東京タワーに至った.東京タワーに来るのも,私は30年ぶりくらいではないかと思う.

 ネットで水族館を検索したことがある方は,東京タワーの下の建物の1階に水族館があることをご存じだろう.私見では,関東地方にはカルトな水族館が2つある.1つは私の住所の近くにある「さいたま水族館」である.淡水魚専門なので地味であり,入場料も安い.もう1つが東京タワー水族館である.何がカルトかといえば,水族館のファンなら評価するだろう,ということである.
 さらにいえば,水族館,動物園,美術館,博物館の類には対極的な2つの類型がある.1つは「世界のものをここに来て見てください」という類型と,「この場所のものを世界から来て見てください」という類型である.むろん現実にはこの2つは混ざっている.水族館の場合,多くはその場所の近くに生息する水中生物,東京の水族館から東京湾の魚介類,江ノ島なら相模湾の魚,をメインに押し立てる.この側面は第2の類型の側面である.東京タワー水族館の場合は,純粋に第1の類型といってよい.東京近海などは考えず,アマゾン,アフリカ,様々な熱帯魚を見せるのである.
 ただ一般向けの魅力は弱く,経営上は苦しかったのだろう.水族館はバブルの頃にできたものが多く,その意味で贅沢に出来ている.大水槽に多くの魚を泳がせるというスペクタクルを武器にする.東京タワー水族館は,規模が小さい割に多くの種類の魚を持っているけれど,水槽はみな小さい.サメやマンボウのような大きな魚はいない.昨今人気のクラゲもいない.ただし多くの水中生物を淡々と見せて解説する,という基本に徹していると評価すべきと思う.ナマズとウツボが記憶に残った.

 長く頑張ってきたことは称えるべきなのだと思う.時間のある方は9月中に訪れてみるとよいと思う.
 水族館を見終わった後に2階に行って東京タワー土産を買って帰路についた.

# by larghetto7 | 2018-09-10 21:17 | 日記風 | Comments(0)
2018/09/06 木曜 シェイクスピア『十二夜』
 県立図書館から『お気に召すまま』と一緒に借りてきたのが,BBCのシェイクスピアのシリーズのDVD『十二夜』だった.返却期限も近づいたのでこの『十二夜』も観てみた.『お気に召すまま』と同じく喜劇に属する.
 「十二夜」という題名が洒落ている.何かしんみりとした行事なのか,と最初に想像した.調べてみるとクリスマスから12日後の夜に行う公現祭の夜の祝宴,とかで,創作年の頃は乱痴気騒ぎをする機会だったらしい.その十二夜に合わせて作った作品,というのが題名の由来であり,内容的にも乱痴気騒ぎのような要素がある.
 『お気に召すまま』の原題は As you like itであり,この『十二夜』の方は Twelfth Night, or What you will. である.副題のWhat you willは as you like it と同じように,「お気に召すまま」なのだと思う.この2つは創作年も近く,同じような考えで,観客さに喜ばれるように作ったのだろうと想像する.
 
 この作品の舞台はイリリア(イリュリア)という,今のクロアチアからアルバニア,つまりアドリア海を挟んで対岸がイタリア,という地域である.しかし,事実上,架空の国での話といってよいだろう.習俗がそのイリリア辺りに対応するようでもなく,サーの称号を持つ登場人物も出て来る.つまりイングランドの何れかの地域でも,海に面していればよかったのだと思う.

 『十二夜』を観てみて,『お気に召すまま』同様に,以前に見たシェイクスピア作品と似ている所があると感じる.
 まず,生き別れた双子のきょうだい間の取り違えで騒動が起きるという点は『間違いの喜劇』と同じである.どこかの貴族の兄妹のセバスチャンとヴァイオラ(ヴィオラ)が,船が難破したために別々にイリリアに流れ着く.双方とも兄/妹は死んだと思っている.きょうだいが兄弟か兄妹か,という違いがあるが,この点は『間違いの喜劇』とまるっきり同じである.後で,貸した金を知らぬといわれた,といってもめる点も同じである.

 次に,主要な人物,『十二夜』では妹のヴァイオラが男装して活動する点も,他のいくつかの作品と似ている.私が覚えている限りで,『ヴェニスの商人』のポーシャ,『ヴェローナの二紳士』のジュリア,『お気に召すまま』のロザリンドが思いつく.『十二夜』のヴァイオラは男装してシザーリオと名乗り,イリリアの公爵オーシーノに仕え,すぐに公爵のお気に入りになるのである.
 このシザーリオは顔かたちが兄のセバスチャンとそっくりであり,後からそのセバスチャンが現れるので,混乱が起きる.『間違いの喜劇』ではきょうだいはどちらも男性であるが,『十二夜』では妹が男装してそっくりになる点に一ひねりがある.
 シェイクスピア劇で男装がよく出て来るのは,芝居がそもそも別の性で演じるようにできていたためだろう.当時の芝居は男優によって演じられ,女役には男(少年)がなったようだ.つまり女装した少年が女役をし,さらにその女役が男装をして男に戻る.同性愛嗜好があれば面白いとは思うが,その点は私には分からない.
 公爵は伯爵の娘オリヴィアに恋をしており,その恋の使いとしてシザーリオを使う.しかしシザーリオことヴァイオラはオーシーノに密かに恋をしている.そしてシザーリオがオリヴィアに使いとして会いに行くとオリヴィアはシザーリオに恋してしまう.そこに顔かたちがシザーリオとうり二つのセバスチャンが現れるから,話はややこしくなる.

 さらに,『十二夜』は,メインのストーリー(恋愛の行方)と並走してバカ騒ぎのストーリーが進む,という構造になっている.シェイクスピア劇は,特に喜劇では,主人と従者などの間で諧謔的なやり取りを挿入しているのが普通である.ただ『十二夜』ではバカ騒ぎの分量が大きい.伯爵家関係者で執事,オリヴィアの叔父のサー・トービー,その友人サー・アンドルー,同じく仲間のファビアン,メイドのマライア,道化のフェステらがバカ騒ぎを繰り広げる.この点は,例えば史劇で,フォールスタッフらのバカ騒ぎが大きな部分を占める『ヘンリー四世』などと似ている.サー・トービーなどはフォールスタッフそのもののようにも見える.実はメインストーリーの方も,サー・アンドルーがそそのかされてシザーリオに決闘を申込み,その騒ぎの中でセバスチャンが現れて大立ち回りを演じるという騒ぎになる.当時は乱痴気騒ぎであったらしい十二夜の気分をそのまま劇に反映したのだろう.
 執事とサー・トービーらのバカ騒ぎは,日頃の恨みを晴らすための執事に対する「いじめ」のようなものであるが,この部分でたぶん観客の笑いを大いに誘うようにできているのだろう.配役を見るとこの乱痴気騒ぎ関連で名優が出ている.ちなみにファビアンは『から騒ぎ』のベネディック役で出ていたRobert Lindsayが演じる.道化のフェステ役は『ヘンリー六世 第1~第3部』で猛将トールボットや反乱の首謀者ジャック・ケード,『タイタス・アンドロニカス』でそのタイタスを演じたTrevor Peacockである.『十二夜』では一転して道化を演じて狂言回しの役を担い,随所で歌まで披露する.彼の歌とともにこの劇の幕が下りるのである.

 本筋の恋愛物語の方は,たぶん観客が途中から予想する通りに,セバスチャンとオリヴィア,そして公爵オーシーノと女であることを明かしたヴァイオラ,の二組が結婚することになるところで終わる.実に予想が容易な,『水戸黄門』のような安心感のある展開である.それでいて乱痴気騒ぎがあるのであるから,祝祭日の出し物として適していたのだろう.

# by larghetto7 | 2018-09-06 20:00 | 日記風 | Comments(0)
2018/09/05 水曜 大学の自治
大学の自治

# by larghetto7 | 2018-09-05 06:42 | 日記風 | Comments(0)
2018/09/02 日曜 シェイクスピア『お気に召すまま』
 BBCのシェイクスピアのシリーズのDVDで『お気に召すまま』を県立図書館から借りてきた.観ないままに期限が来たので,ネットで期限延長をして観てみた.シェイクスピアの戯曲では喜劇に属する.私のことであるからあらすじは事前には知らない.

 BBCのシェイクスピアシリーズ作品を観るのは,今回で23作品目になる.今年になってから,全37作品のうち半数以上を観たことになる.中途半端に詳しくなったせいで思うのかも知れないが,この作品はシェイクスピアの他の作品と似たところがある.
 『お気に召すまま』では,背景として,前公爵が弟に追放され,その弟が公爵となっている.この点は『テンペスト』に似ている.
 男の方の主人公であるオーランド―は,サー・ローランドの三男であり,家督を継いだ長兄に虐待されている.このオーランド―が前公爵の娘で,公爵の下で暮らしているロザリンド(主役)に恋をする.しかし公爵に追放されてしまう.この箇所は『ヴェローナの二紳士』と同じである.その後,ロザリンドも公爵に追放されてしまう.
 追放されたオーランド―の主従と,やはり追放されたロザリンド(公爵の娘のシーリアが同行する)は,ともに,前公爵が主従とともに暮らしているアーデンの森に入って住むようになる.こうやって登場人物が森に集まるところは『ヴェローナの二紳士』に似ているが,それ以上に『夏の夜の夢』に似ている.

 この森の中でロザリンドは男装して活動する.男装のロザリンドは何やら森の中の妖精のような趣がある.全般に作品はギリシャ神話のような異教趣味がある.この異教的雰囲気は『テンペスト』にもあるけれど,『夏の夜の夢』により似ている.
 作品はある意味,見え透いたストーリーであり,辻褄合わせの都合の良過ぎる展開に満ちている.「都合の良過ぎる展開」とは,最後の方でオーランド―の兄が改心してオーランド―と和解するとか,公爵が軍を率いて前公爵の殺害を企てるけれども隠者と問答して改心し,公爵の地位と領地を前公爵に返還する,といった展開である.だから子供だましのようにも見えるが,異教的な夢の世界のお伽噺と割り切って楽しむべきなのだろう.
 お伽噺と割り切れば,なかなかよく出来た作品であり,楽しめる.
 最後は森の中で,オーランド―とロザリンドのカップルを含め,4カップルが結婚して終わる.主役のロザリンドはこのシリーズ常連のヘレン・ミレンが演じる.男装がよく似合う.

 この作品の中で一人異彩を放つのはメランコリーのジェイクイズ(Jacques)である.最後の大団円の場面でも一人メランコリーを通し,輪に加わらない.この作品のよく出来たところは台詞が練れているところにあると思うが,人生は7幕の舞台だ,など,このジェイクイズが発する台詞の重みが際立つ.演じたのは Richard Pasco という俳優で,どこかで聞いたなと思ったら,同シリーズの『ジュリアス・シーザー』でブルータスを演じた俳優だった.名優なのだろう.
 この作品を「異教的」と書いたのは,描かれたのが『夏の夜の夢』のような世界だからである.が同時に,反キリスト教的な面もある.ロザリンドに同行していた道化のタッチストーンが森で出会った娘と結婚しようとして牧師(だからピューリタンが既にいたという想定なのだろう)を呼ぶ.が,そんなヘボ牧師で結婚するなとジェイクイズが止めるのである.そして,森の中で最後に4カップルが結婚するときに婚礼を取り仕切るのは,ギリシャ神話のハイメン(ヒュメナイオス)であり,キリスト教の聖職者ではない.清教徒が観ると怒るだろう.
 この作品が書かれたのは1599-1600年であり,その頃はまさにイギリスにおける演劇ルネサンスであったのだろう.40年ほどして清教徒革命が起こったときに芝居小屋が閉鎖されるというのも,分かるような気がする.日本でも,文化が爛熟した後に何とかの改革があり,芝居小屋は閉鎖になった.
 ホーソーンの『緋文字』の舞台は1640頃らしい.シェイクスピアの時代とあまり離れていない清教徒社会だったのである.『お気に召すまま』とは対極の暗い社会だったんだろうな,と思う.

# by larghetto7 | 2018-09-02 18:13 | 日記風 | Comments(0)
2018/08/31 金曜 学問の自由
学問の自由

# by larghetto7 | 2018-08-31 21:46 | 日記風 | Comments(0)
2018/08/30 木曜 昨日,社会心理学会で報告
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 一昨日の夕方に大阪に行き,昨日,久しぶりに社会心理学会で報告してきた.
 前日に新大阪のホテルに泊まった.夜,ホテルを探して出歩くのは苦労と思い,値段やや高めであるが,新大阪駅に隣接するホテルをネットで予約していた.学会大会会場の追手門学院大学の最寄り駅はJR茨木である.茨木のホテルを検索したところ,ちょうど28日が予約が取れない.なので,新大阪で予約した.
 昨29日は6時半ころに起きた.ホテルの朝食代が込みであり,値段だけのことはあるちゃんとした朝食だった.JR茨木駅を降りてバス停を探すのに苦労した.私の報告が入った会場は北大系の人たちが多かった.それ以外の場合より幸いだった.
 追手門学院大学のキャンパスはなかなか立派であったと思う.

 午後になって宝塚に向かった.故安田三郎先生の奥様はかなりご高齢であるが,西宮寄りの宝塚のマンションにお住まいであり,2年ぶりくらいで線香上げ方々,ご挨拶に出向くことにしていた.来阪のもう一つの目的だった.
 夕方に大阪を出て,帰宅したのは22時10分頃だった.





# by larghetto7 | 2018-08-30 16:24 | 日記風 | Comments(0)
2018/08/25 土曜 国立大学の主務省が文科省でよいのか?
国立大学の主務省が文科省でよいのか?

# by larghetto7 | 2018-08-25 12:37 | 日記風 | Comments(0)
2018/08/20 月曜 大学が「学校」ではダメではないか?
大学が「学校」ではダメではないか?

# by larghetto7 | 2018-08-20 23:16 | 日記風 | Comments(0)
2018/08/17 金曜 学位プログラム
学位プログラム

# by larghetto7 | 2018-08-17 22:57 | 日記風 | Comments(0)
2018/08/15 水曜 会津の御薬園
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 お盆には毎年,最初の日(8/13)が盆の迎え,最後の日(8/16)が盆の送りで,茨城の郷里に墓参りに行く.がその間の1日を使って,通常は8/14であるが,会津若松に母方の墓参りに行く.母方であるから墓参はしないでよい,あるいはすべきでない,という考えもあろう.が,10年ほど前に亡くなった母が祖父母の墓参りに私に行ってほしがっていた.だから私は毎年,年に1日だけ,会津に行って墓参りをしている.まあ,会津であるから,私の郷里に行くよりは楽しみもある.
 会津の墓は東山にあるお寺の裏山の上の方にある.山道を,4Kgほどの水と花などを背負って登る.今年は暑いので体力が持たないのでは,と心配した.が,何とかなった.坂は水分を含んでいたが,落ち葉が多かったので滑らなかった.まあ,この墓参りはあと何年か,私の代で終わり,と思っている.
 若干草刈りをしてから(鎌も持って行った)線香と花を供え,水をあげた.その墓所にはお墓が沢山ある.
 お寺から降りたところにお秀茶屋という田楽屋がある.毎年,墓参の後にそのお秀茶屋に入って田楽を2皿食べる.今年も同様にした.
 お秀茶屋を出てから,帰りまでに若干の時間がある.今年は御薬園に寄ることにした.御薬園に行くのはたぶん4,5回目であろうと思う.
 御薬園はこのブログでも以前に記載したことがある.2001年のことである.2001年の時点で入場料は310円だった.今回行くと320円だった.20年近くで,申し訳なさそうに10円だけ上げているのが会津らしい.
 御薬園は庭園であるが,元来は薬草園だったので,若干,植物園の風情がある.私は割と,植物園で時間を過ごすのは好きである.ここは小さい庭園であり,勝手は分かっているつもりであったが,与謝野晶子の歌碑のある場所を勘違いして覚えていたことに気が付いた.帰りに,試飲して美味しかったので,薬草茶の一袋1620円を買った.
 この御薬園も,ちゃんと苔で装ってあり,なかなか管理が良くできている.

# by larghetto7 | 2018-08-15 23:30 | 日記風 | Comments(0)
2018/08/15 水曜 教育組織と研究組織の分離
教育組織と研究組織の分離

# by larghetto7 | 2018-08-15 17:49 | 日記風 | Comments(0)
2018/08/13 月曜 大学院部局化
大学院部局化

# by larghetto7 | 2018-08-13 18:35 | 日記風 | Comments(0)
2018/08/11 土曜 大学の「作り」がおかしい
大学の「作り」がおかしい

# by larghetto7 | 2018-08-11 18:57 | 日記風 | Comments(0)
2018/08/08 火曜 シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』
 BBCのシェイクスピアのシリーズのDVDで『ジュリアス・シーザー』を観た.『ヴェニスの商人』と一緒に県立図書館から借りてきた作品である.
 さして期待せずに流して観ようと思ったけれど,思った以上に充実した中身があり,途中から引き込まれた.
 この作品は古代ローマの歴史上有名な展開を扱う.だから「史劇」でもよさそうに思うが,シェイクスピア戯曲では,史劇はイングランドを舞台にし,ノルマン人の征服以降の,プランタジネット,ランカスター,ヨーク,およびチューダーの王朝の期間の物語に,なぜか限定されている.つまり「国史劇」なのである.
 だから「史劇」ではなく「悲劇」の属する.登場人物のうち,シーザー,ブルータスやキャシアスなどのシーザー暗殺側,ブルータスの妻などが死んでしまい,また元老院議員も多く粛清される.
 題名は『ジュリアス・シーザー』であるけれど,中身を見るとシーザーは出番も少なく,殺される以外はさしたる役割を演じない.主役はブルータスである.私の観たところ,第1にブルータス,第2にアントニー,第3にキャシアスが重要な登場人物と思う.
 この作品を面白くしている要素は,第1に,成功したコミック作品がそうであるように,人物描写が丁寧であること,第2に,超越的な運命が登場人物を翻弄するように描いていることのように思う.

 まず主役のブルータスが理知的で私心がなく,劇では高貴(noble)と常に言及される.それでいて後半は武人として有能に軍隊を指揮している.古代ギリシャがそうであったように,ローマでも市民は同時に戦士であったのだろう.だからどことなくサムライのようなところがある.ローマ人としての誇り,ローマ人としての覚悟,といったサムライのような精神が随所に出て来るところが面白い.また,最初は単にシーザーが嫌いなだけでブルータスを巻き込もうとしていた陰謀家のようなキャシアスも,最後の戦いを前にブルータスと激しく口論し,そのうえで和解して友情を確かめる.
 面白いのはアントニーである.アントニーはシーザーの第1の取り巻きであったが,シーザーが暗殺されるや,シーザーの遺体が横たわるその場に来てブルータスらに恭順の意を伝え,味方になると約束する.このとき,アントニーは情勢を眺めている.オクタビアヌスの使いにも,情勢を見て待機するように指示する.民衆にブルータスがシーザーの非を伝えて納得させた後,アントニーはブルータスらの許可を得てシーザー追悼の演説をするが,その時は圧巻の演説でブルータスらを悪者にしてしまう.この演説の箇所は昔,高校の現代国語の教科書に載っていたような気がする.
 そのアントニーも最後のフィリパイの戦いでブルータスの遺骸を前にして,ブルータスの高貴さに賛辞を惜しまない.あらゆる登場人物に奥の深さがあることを描く.
 シーザーを暗殺したブルータスらにアントニーが最初恭順の意を伝えるところは平治の乱の清盛を連想させる.平治の乱では藤原信頼や源義朝らがクーデターを起こして信西入道らを殺し一時政権を奪取する.このとき,清盛はまず信頼らに恭順の意を示し,機会を伺ってひっくり返すのである.

 この作品では運命に翻弄され登場人物が破滅へと引き込まれてゆく,という描き方になっていると思う.シーザーが暗殺される3月15日には気を付けるよう,何度か占い師が忠言する.また3月15日の直前には数多くの怪奇現象の目撃がある.シーザーの妻も悪い夢を見る.そうした忠告を聞かずにシーザーは3月15日に議事堂に出向き,自らが倒したポンペオの像の前で刺殺されるのである.
 ブルータスの側にも多くの不吉な前兆が現れると描かれる.フィリパイの戦いの前夜にはブルータスにシーザーの霊が現れる.こうした描き方は,例えば『リチャード三世』でリチャードが最後の戦いに臨む際にも登場する.
 抗いがたい力がどこかで働き破滅する,というのが,悲劇の1つの描き方であろうし,この作品の場合はその点が作品に重みを与える効果を持つように見える.

 余談であるが,このDVD作品ではブルータスの従者ルーシャス(ルシアス)の美少年ぶりが際立っている.演じているのは少女ではないかと思い俳優を確認してみた.少女ではなかった.Jonathan Scott-Taylor という俳優で,このDVD作品の撮影とほぼ同時期に,オーメン2でダミアン少年を演じたらしい.この俳優は26歳くらいで俳優を辞めたという.

# by larghetto7 | 2018-08-08 19:32 | 日記風 | Comments(0)
2018/08/03 金曜 シェイクスピア『ヴェニスの商人』
 BBCのシェイクスピアのシリーズで『ヴェニスの商人』のDVDを県立図書館から借りてきて観てみた.
 シェイクスピア戯曲のうち有名なものは,本を読んだこともなく舞台や映画を観たこともないのに,不思議と大まかなストーリーは知っている.どうやってそのあらすじを知ったのか,思い出せない.例えば,高校生の頃に英語の副読本でダイジェスト版のような英文を読んだことがあるのかもしれないが,記憶は曖昧である.
 『ヴェニスの商人』も粗い筋を事前に知っていた戯曲の1つである.おおまかなあらすじとは,ヴェニスの商人(貿易商)のアントーニオが,求婚活動のために金が必要なバッサーニオのためにユダヤ人の高利貸シャイロックから金を借りる.借金の条件は,期限までに返せぬ時は心臓付近の胸の肉1ポンドを切り取らせる,というものである.しかしアントーニオの船が難破したという情報が入り,アントーニオは金を返せなくなる.ここで裁判があり,裁判官に変装したバッサーニオの花嫁ポーシャが,肉を取ってもよいが血を流してよいとは証文に書いていない,という一休さんのトンチ話のような理屈を持ち出してアントーニオを助け,ハッピーエンドになる,ということだろう.

 が,今回,BBCのDVDを観て,あらすじはその通りであるが,別の側面が見えてきた.この『ヴェニスの商人』は,ヴェニスの市民が寄ってたかってユダヤ人のシャイロックをいたぶり抜く,という物語に見える.
 シェイクスピア戯曲には純粋な「悪人」が登場する.『タイタス・アンドロニカス』だとムーア人のエアロン,『オセロー』だとイアーゴー,『から騒ぎ』だとドン・ジョンである.だがシャイロックはそうした「悪人」という設定ではないように感じる.
 そもそもなぜ「胸の肉」という条件になったかというと,金の貸借以前にシャイロックはアントーニオらキリスト教徒に蔑まれていたからだろう.特にアントーニオとの間に相互の憎しみがあった.アントーニオは金を貸しても利子は取らない.そして利子を取るシャイロックを非難し悪魔と呼んで罵倒するのである.もともとキリスト教では利子を取ることは罪だったはずであるが,その点は曖昧になっていったらしい.ユダヤ教でも利子は禁じられているが,ユダヤ人以外には利子を取ってよかったらしい.だからシャイロックらは生活のために利子をとっている.が,その利子をアントーニオらは強欲と言って非難してきたのである.だから利子は取らない,代わりに胸の肉を,となった.
 シャイロックの憎しみに火をつけたのが,彼の娘ジェシカがバッサーニオの友達のロレンゾーと駆け落ちしたことである.ジェシカはキリスト教に改宗する.駆け落ちの際,ジェシカはシャイロックの金や宝石を持ち出している.金を持ち出され娘がキリスト教の側に走ったショックは大きい.しかも,持ち出した宝石の中には死んだ妻がくれた宝石も含まれている.シャイロックにも人生にかけがいのない思い出はある.が,その宝石まで,キリスト教のロレンゾーの手に移ったのである.
 この戯曲はシャイロックの人生の苦労を描く訳ではない.しかしユダヤ人であり,キリスト教徒からは異教徒と扱われ,ヴェニスに住みながらヴェニスの市民ではない.金はあるかも知れないがアントーニオのような尊敬される商人ではない.キリスト教の世界に入り込んで生きているが,帰るべき祖国を持たず,差別されてきた民族である.
 返済の期限が過ぎたのち,シャイロックは正義(証文)を盾にアントーニオの胸の肉を求める.何倍もの金を与えるとの申し出も拒否する.あくまでアントーニオの胸の肉,つまりアントーニオの命を取ろうとする.もはや金の問題ではない.民族(Nation)としてのユダヤ人の誇りを踏みにじり,罵倒し,蔑み,憎しみ続けるキリスト教徒全体に対して,アントーニオの胸の肉を取ることによって復讐しようと,シャイロックは一人で戦いを挑むかのようである.
 公爵を始め,アントーニオの友人らはシャイロックに「慈悲を」という.しかしシャイロックは撥ねつける.お前らは奴隷の売り買いをしているではないか.その奴隷に慈悲をと私がいっても「奴隷は俺のものだ」といって撥ねつけてきたではないか.
 バッサーニオの妻になるポーシャが裁判官に化けて,例のトンチ話のような判決をシャイロックに突きつける.このトンチ話でシャイロックの復讐は頓挫するのであるが,それだけでは終わらない.ここからキリスト教徒による凄惨ないじめが始まる.ヴェニスではシャイロックは外国人(alien)であり,公民権がある市民ではない.その外国人が市民の生命を脅かしたことで,ヴェニスの法に照らして全財産没収とされる.財産はアントーニオの慈悲によって半分はシャイロックに戻されるが,キリスト教に改宗することが強いられ,彼の死後は財産をロレンゾーが相続するものと決められてしまう.
 貸した金が帰ってこないだけでない.財産も奪われ,宗教まで奪われ,名誉を奪われ,すべてを失うのである.その様を見てシェイクスピア時代の観客は留飲を下げるのかも知れないが,私は観ていてシャイロックが可哀そうになる.
 ヴェニスの市民たち,特にアントーニオとバッサーニオの友だちにとってはハッピーエンドとなる.アントーニオの船も無事に戻って来る.シャイロックだけが一人ボロボロになって劇が終わる.
 偏屈ではあるが人間臭いシャイロックを演じたのは Warren Mitchellという俳優だった.この俳優さんはロンドン生まれのユダヤ人らしい.この劇の主役はヴェニスの商人たるアントーニオだろうが,知名度ではシャイロックがはるかに勝る.

 この裁判劇にはむろんツッコミを入れることができる.Wikipediaでは,今日の法律から次の2つが指摘されていた.第1に,肉はとっても血は出すな,には無理がある.血は肉に必然的に付随するので,血は出してよいらしい.しかし第2に,肉を抵当とすることは公序良俗に反するため認められない.私の考えでは,キリスト教に改宗させる強制も違法だろう.人の内面に踏み込むのは今日の価値観では許されない.

 この『ヴェニスの商人』は,借金という現実的な話にお伽噺を交えることでバランスを取っているように思えた.お伽噺のために登場するのが,バッサーニオが求婚するポーシャという女性である.ベルモントという架空の場所に屋敷を持つポーシャは,大層な財産を相続ししている.しかも美人で,裁判官ができるほどの学識がある.まるで『こち亀』の麗子ではないか.
 ポーシャの結婚相手選びのため,死んだ父親が仕組んだのが「箱選び」である.求婚者には金の箱,銀の箱,鉛の箱の中から1つを選ばせ,正しい箱を選んだ者とポーシャは結婚する,と決められた.金の箱を選んだモロッコ大公と,銀の箱を選んだアラゴン大公は,ポーシャとの結婚をあきらめる.会うなり相思相愛になったバッサーニオが,正しく鉛の箱を選び,結婚する運びになるのである.なんとなく「金の斧」のような話ではないか.

# by larghetto7 | 2018-08-03 23:18 | 日記風 | Comments(0)