ジャン=リュック・ゴダール監督による映画『勝手にしやがれ』(1960年公開)をDVDで観た.原題はA bout de souffleで,冒頭のaにはaccent graveが付く.この映画はヌーヴェル・ヴァーグの代表作であり,観ているべきであろうが,あいにく私はゴダールの映画は全く観たことがなかった.
ヌーヴェル・ヴァーグで名前が挙がる監督では,私はフランソワ・トリュフォーの映画はかなり観た.学部の学生の頃,私は東池袋に住んでいて,池袋駅の近くにあった文学座だったか文芸座という映画館で一時期トリュフォー作品がかかっていたのである.ただ,正直,それほど面白いとは思わなかった.私が良いと思ったのは「私のように美しい娘」と,晩年の「アメリカの夜」くらいだった.概して,仲間うちで楽しんで作っている低予算映画というのが私の印象だった.
この『勝手にしやがれ』も似た印象である.予想通り,観ても意味が分からなかった.ジャン=ポール・ベルモンド演じるミシェルがマルセイユで車を盗んでパリを目指す.その途中で警官を銃殺してしまうのであるが,その銃殺も盗んだ車の中に偶々拳銃があったためであり,盗みも殺人も軽く行う.パリに着いてからミシェルは女から金を巻き上げるなどして当座の資金を得,目当ての金を受け取ろうとするが,警官殺しですぐに犯人と特定され,捜査の手が迫って来る.その間にアメリカ女のパトリシアがミシェルについて来るが,パトリシアはミシェルが好きかどうか判断が出来ず,結局警察に通報してしまう.ミシェルは警官に追われて銃で撃たれ,路上で「最低」と言いながらこと切れる,というストーリーである.一応ストーリーはあるのであるが,ドラマティックなことは何もない.
先日触れた『雨のめぐり逢い』と同じジャン=ポール・ベルモンドが全く違うキャラで出ていて,公開年が同じなのは面白い.パトリシアを演じるジーン・セバーグのヴェリー・ショートがかっこよい.
この映画は当然,後のアメリカン・ニューシネマ(といういい方は日本だけらしいが)に影響を与えたのだろう.そういえば,この映画は『俺たちに明日はない』とストーリーの成り行きと結末が似ており,映画の感じは『イージーライダー』とよく似ている.ただ,『俺たちに明日はない』は良かったけれど,『イージーライダー』は『勝手にしやがれ』と同様に,私には意味がよく分からない.
『勝手にしやがれ』の感じは日本の映画作家にも影響を与えているはずである.私は,手塚治虫の漫画などにも影響があったんじゃないの,という気がする.
それにしても,美術史の話と同じで,こうやって作家がいろいろ集まってムーヴメントを起こすということが,パリでは頻繁に起こるのだなぁ,パリは凄いなぁ,と感心する.