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2014/09/28 日曜  信長
本日のフィクション  →  ウチの大学

 同僚の中に私が毎週NHKの大河ドラマを観ている思っている人がいる。確かに『竜馬伝』の時には感激しながら観ていたし、昨年度の『八重の桜』も、会津落城辺りまでは喜んで観ていた。ただ、今年の『軍師官兵衛』はほとんど観ていない。なぜかは分からない。たぶんお馴染みの信長、秀吉の話と思えたからだろう。いい加減、飽きますよ。むろん観ていればそれなりに面白かったんでしょう。(と言いつつ、今日は観てしまいました。)
 大河ドラマでは、いろんな役者が信長を演じてきた。誰の信長が良かったかといえば、緒方直人主演の『信長』が一番だと私は思う。
 大河ドラマでは、信長は主役でない登場人物であることが多い。主役でない分、出る回数が少ないので、カッコいいところばかり描かれる。しかし緒方直人の信長は、主役であるから、その生涯全体が画面に出て来る。つまりいろんな側面が出て来るので、人間像が理解しやすかったのである。この番組ではストイックで合理的な姿で信長が描かれたように思う。将軍義昭との駆け引きなどは、たぶんその通りだろうと思わせるような展開であった。
 緒方直人の『信長』に私が最初に瞠目したのは、桶狭間の戦いの描き方だった。桶狭間(田楽間)の戦いは普通、奇襲戦として描かれる。しかし緒方直人の『信長』の桶狭間は信長の正面作戦である。桶狭間を正面作戦として描いたドラマは、この『信長』が最初ではないかと思う。信長は今川本隊の位置を確認しながら戦いを挑む。決死の覚悟で戦うのには違いないが、決して奇襲ではない。今川義元も信長が攻めて来ることを知っていて、むしろ信長を打ち取ろうとする。全体の軍勢規模では今川が圧倒しているのに、局所的に兵力を集中した信長が辛うじて勝つ、というストーリーである。
 この『信長』は撮影のスタイルもそれまでとは違っていた。信長が座るのは広い空間であり、人と人の間隔もやや広い。軍勢の動きは騎馬武者の集団の疾走によって表され、当時主流だった黒沢の『影武者』や『乱』のような撮り方ではなかった。黒沢様式の利点は構図の美しさにあると思うが、『信長』の撮り方では、より少ない人員で軍勢のスピード感を出すのに良かったような気がする。
(たぶん後日に続くと思います。)

by larghetto7 | 2014-09-28 23:45 | 日記風
2014/09/20 土曜 能登の白クマうらみのはり手

 ネットを眺めていたらどこかで「やまがみたつひこ」の名前が出てきた。昔、私が学生だった頃、『ガキでか』というコミックを書いていて人気があった漫画作家である。今は小説家になっているらしい。『ガキでか』は部数の多い少年コミック誌に載っていた作品であるので、それほど過激ではなかった。しかし単発もので出ていた作品は過激であり、ほとんど発禁書のような扱いではなかったかと思う。やまがみたつひこの短編で私が今も題名を覚えているのは「能登の白クマうらみのはり手」である。どこかで売っていないかと検索をかけたら、Amazon でちゃんと売っていた。ためらいながらも注文した。2日後に届いた。
 この「能登の白クマうらみのはり手」はやまがみたつひこの名作の1つのはずである。この漫画を、院生の頃、SSM調査(SMとは関係ない)の合宿に狩り出されたときにそこで読んだと記憶している。むろん、記憶違いということもあるかも知れない。題名を今も覚えているし、ストーリーもほぼ正確に覚えている。
 覚えているにはそれなりの訳がある。

 まずこの漫画は、中身を読まずとも、題名だけで十分観賞に耐える、と思っている。題名がすごい。そのココロは次のごとくである。
 第1に、「能登の白クマうらみのはり手」という題名は、長い割になぜか覚えやすい、と感じる人が多いのではないかと思う。なぜか? この題名は、「能登の白クマ」と「うらみのはり手」という、7音の修飾語付きの名詞から成り立っている。77調である。音的にこの形式の題名は古典芸能の演目にもよくある。「菅原伝授手習鑑」(すがわら でんじゅ てならい かがみ)や「三人吉三廓初買」(さんにん きちさ くるわの はつがい)などである。後の世では、「四畳半襖の下張」(よじょうはん ふすまのしたばり)などもそのヴァリエーションといってよい。要するに日本語のリズム感からは覚えやすいのである。
 内容からいえば、題名は「白クマうらみのはり手」で十分である。勝手な想像であるが、作者は、しかしそれでは何か足りないと感じ、推敲の末、上に3文字を加えたのであろう。
 第2に、この題名には「うらみのはり手」という、強烈で視覚的にも明確な言葉を含んでいる。アピール力が高いのである。
 第3に、白眉というべきは「能登の白クマ」、つまり「能登」と「白クマ」のコンビネーションである。推敲の末行きついたのか、天才的なひらめきで決めたのかは分からない。なぜすごいのか? 「北極の白クマ」では当たり前過ぎて言ってもはじまらない。「サハラの白クマ」では2つのコンセプトが離れすぎていて、記憶に残らない。「能登」と「白クマ」は、普通は結びつかない2つの概念であるが、まったく関係しないとは言い切れない微妙な関係にある。もしかしたら関係があるのかも知れない、ではどういう関係か、という自動思考が見る者の中で生じた時、見る者は既にして、この作品を無意識のうちに(正確には閾下で)注目することになるのである。
 この作品の舞台は東京と金沢である。金沢は加賀であって能登ではない。だから、この作品のどこにも、能登は出てこないのである。そもそも白クマは東京の動物園の白クマなのだ。
 つまりこの題名は、作品から派生しながら、作品そのものを表すのではなく、別個の構成体と言うべきだろう。むろん作品そのものを表していないところが、やまっがみたつひこらしい飛躍と考えてもよいかも知れない。

 この漫画のストーリーは、むろんここでは書かない。漫画は漫画として、そのコマ割を見ながら判断すべきものである。
 余計な論評をするなら、やまがみたつひこの作品は純粋形式のギャグであり、そこに人間としての愛おしさとか、人間性とか、友情のような貴ぶべき価値は一切登場しない。登場するのは内面的にも外見的にも醜悪な主人公たちであり、彼らはこの上なく下品であり、人としてもつべき美点は何もなく、良心からの拘束を何も受けず、ただ衝動的に、しかも短絡的に行動する。やまがみたつひこの作品はこの原則をストイックなまでに突き詰める実験のようなものであり、その純粋さを称賛するのがやまがみたつひこのファンなのだろう。
 久しぶりにいくつかの作品を見ながら感慨を覚えることがある。今日の基準では「差別」などといって書けないことを平気で書いていることである。同じことは「いしいひさいち」にも言える。当時、これらの作品は教科書とか朝日新聞などのメインストリームの権力に掲載されることはなく、ただひたすら思うままに作品を作っていたように、今からは思える。当時の社会状況が一瞬、表現の自由を許す時代を出現させたんだろうな、などとふと考えた。


by larghetto7 | 2014-09-20 19:31 | 日記風
2014/09/15 月曜 Ghost in the Shell
 本日、幸か不幸か休日だった。休日だと生活のリズムが狂って、朝まで起きていたり昼間寝ることがよくある。昨日は日中に寝ていたせいで、今朝まで起きていてそれから寝て昼近くにおきた。
 家でiPadやらウルトラブックのノートPCをいじっていると、YouTube などを観てしまう。時折昔のTV[番組を検索すると出て来るので見ることもあるが、そうこうしているときに一昔前にやっていた Ghost in the Shell というのが出て来て、しばらくその昔の番組を見ていた。それまで全く見たことはなかったが、主人公の草薙素子の映像はバブルの頃に見た覚えがある(それはAppleseed だったかも知れない)。
 26回で完結するシリーズが2つあり、それ以外にもストーリーがあって、最近はArise としていくつかDVDも出ている。だからそれなりに人気があった(ある)のだろう。
 眺めながら感心した。基本的に電脳オタク、軍事オタクの嗜好を反映していると思う。2030年頃を舞台にして、人間が脳を以外を義体化している、つまりサイボーグのようになっていることが前提である(むろん生身の人間もある)。その割には武器の体系は現在に近く、主人公らの公安9課も銃弾の武器が主流であり、拳銃が基本的な武器として登場している。核大戦と非核大戦を経て東京など東日本の都市は水没しており、日本の中心は西日本に移っている。一時的な首都が新浜というところで、正式な首都は福岡になっている。
 基本的なテーマが当時の複雑系周りの概念に依拠しているのが驚くところである。ゴーストというのは機械化した人間、ないしサイボーグに宿る意思のようなものであり、その出現はネット上の意図せざる情報の集合に基づいて、人工生命のように生じることを想定していることである。独立した、共通の意図を持たない分散したエージェントが相互作用によって一定の意思を持つがごとく動きえることが背後のテーマになっているようである。最初の26回シリーズのテーマは「笑い男」であり、共謀がないにも関わらず情報の交流によって複数の独立した犯人が一定の方向での犯行に及ぶ。次の26回シリーズのテーマが「個別の11人」であり、やはり個別の自我が同様に同じ方向で行動を起こすことが描かれる。
 2つ目のシリーズの話はその個別の11人を背景にして日本に押し寄せた難民の独立問題という展開になって行く。その在り方もちょうどパレスチナ問題のようで、よくもこんなストーリーにしたものだなぁ、と思ってしまった。
 それにしてもこの草薙素子ですが、大人の戦闘美少女のようで、オタク的にはたまらないでしょうね、こういうの。バブルの頃の士郎正宗の絵だと、その当時らしく柴門ふみの登場人物みたいな顔でしたよね。
 社会心理学的?に言えば、ですね、美人顔には通文化的に2つのパタンがある訳ですよ。1つは成熟した美人顔で、こちらは顔のつくり、部品が全般に大きい訳ですね。もう1つは可愛い顔。こちらはコミックの主人公がだいたいそうですよね。草薙素子を実写版でやろうとすると、配役になりそうなのはキャラ的に、米原涼子とか、篠原涼子になると思います。この辺は成熟した、本格的美人顔。コミックのヒロインでも結構、見つかるパタンです。しかしアニメの草薙素子は可愛い顔のパタンですね。目が大きくて口が小さい。このアニメを見る層の嗜好を反映しているんでしょう。草薙素子にはフィギアが販売されているんじゃないの、と思ってネットを探してみたらすぐに出てきました。まあ、そうでしょうね。私も欲しい気がしますが、フィギアを見ながらニヤッとしているところを家族に見られる訳にも行かず、諦めました。まあ、タチコマのフィギアでも買いますか?
 Ghost in the Shell は最近もいくつかシリーズされていて、草薙素子の顔もモデルチェンジしています。でもやはり、可愛い系列の顔ですね。前の方が私はよいと思います。
by larghetto7 | 2014-09-15 23:45 | 日記風