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2011/03/28 月曜
 本日、手術して入院していたポメラニアンのPちゃんが退院する予定。
 さても、いつものように家を出ていつもの電車に乗って大学に出た。ワタシ的には部局のHPの原稿書きに忙しい(シラバスもまだ書けない)のであるけれど、大学の学事日程がどう決着するかが主要関心事であるのは仕方ないことだろう。他大学がどうした、という知らせが入る。同時に、学内の動きについてそれなりの情報をもらう。昼頃にはほぼ、話しの行く末は安定したように思う。
 どう決まったかはここでは書かないが、妥当な線で落ち着いたように思う。仮に他の結論であった場合、これから対応に時間を費やすことになったろう。むろん、この結論でも何もしないでよい訳ではないけれども。
 実は本日、招集がかかるかと思ったが、結論が既定方針だったために、招集はかからなかった。
 昼過ぎ、しばらくしてから大学のHPにその結論が表示され始めた。
 それから部局のHPの原稿書きに専念し、ある程度は進んだ。進んだところで業者さんに連絡を入れる。
 本日、予定していた会議を1つ伸ばした。ほかの会議も設定しようとしたが、毎度のこと、なかなか返事はなく、日程は決まらない。
 家に戻ったのは21時20分頃か。Pちゃんが戻っていた。猫たちに食糧をあげて回る。
by larghetto7 | 2011-03-28 23:45 | 日記風
2011/03/27 日曜
 福島原発の件で私にも予想外だったのは、ことの推移が不明確なままだったことである。地震があったのが3月11日。しかしその2、3日後には既に、放射能汚染の懸念は人の口に広く上っていた。いろいろ考えるべきことはあるが、良い方向でも悪い方向でも、3月末になればハッキリしてくるだろう、と思っていた。しかしまだハッキリしない。結果として、ものを決めるにも決めにくい。

 さて、本日は10時頃におきた。晴れて日差しが強く暖かい。猫たちに食糧をあげて回る。
 多少のメール応答。その後、大学のHPについて検討、エクセルでページ構成を記録する。この作業が終わって関係者宛に打診のメールを出したのが13時半頃。
 15時頃、近所の動物病院へ、犬のPちゃんの面会に出かけた。ケージにいて点滴をしていたPちゃんは私の手や顔をなめる。元気になってきたのだろう。
by larghetto7 | 2011-03-27 23:45 | 日記風
2011/03/26 土曜
 今、次学期の日程についてギリギリの検討が進んでいるのだと思う。各員、ベストは尽くしている。どう転んでも問題は残るし、どちらに転んでもリスクはある。決まったことを前提にそれぞれの部局で最善の対応をする以外にないだろうと思う。

 さても、夕べも疲れてドドーッと寝た。今朝起きたのは9時半頃と思う。晴れてはいたけれど風が強い。この時期、風が強いと、放射性物質がどうか、と心配してしまう。
 猫たちに食糧をあげて回る。
 午前中は学事日程にかかわるメール応答。その後でやや面倒な件に関するメールを書いて、送る。
 午後になると学部HPに関する業務メールの応答。
 昼過ぎ、カミさんは息子を連れて母さんのいる施設に向かう。靴を届けるのだというが、帰りにどこかに寄って来るのだろう。
 本日、ポメラニアンのPちゃんの手術があった。17時頃に動物病院に電話すると、手術は終わっているという。面会はどうかと聞くと、今日は術後なので明日がよかろうとのことだった。

 宵の口、後期の入学手続き状況について報告を受ける。
 今気になるのは、学事日程の件がどのようになったか、である。どう転んでも4月は大変なことになるな、と考える。
by larghetto7 | 2011-03-26 23:45 | 日記風
2011/03/25 金曜
 正直言って福島原発の件はどう考えたらよいのか分からない。
 地震後の事故報道があり、しばらくはマスコミの論調は平静を促すものだった。結果としてそれで良かったと思う。しかしその間、外国メディアの論調は厳しいものだった。本学部の教員に外国から届く連絡も一様に厳しいものだった。あるいは外国は、ヒステリックになっているのか、との観測もあった。しかし今朝の朝日新聞では、堂々と、「レヴェル6」と出ている。当初「4」だったものが、である。日本のマスコミの報道でも、3つに1つは厳しい論調を含むものになった。おおまかにいえば、国内の論調が海外の論調に近付きつつあるように思える。
 役所は基本的に何かを保証はしない。言質を取られるな、が基本である。状況が厳しいと言って後で非難されるのを避けようとする。安全だとも言わない。安全でなかったときの責任を取りたくないからである。その上、誰も今後どうなるかを述べない。結果として、何やら訳の分からぬところで、あれこれと現実の対応だけは迫られている、という印象を受ける。
 安全だと言えない者が、誰かにここに来いと言える訳がない。
 交通がどうなるか、停電がどうなるか。事故の直接的影響は軽微としても、物流は保証されるのか? 安全に水や食料が供給されるのか?
 あくまで一般論であるが、判断できないならできないで、上で判断を促すよう、組織の長が働きかける他はないだろう。
by larghetto7 | 2011-03-25 23:45 | 日記風
2011/03/24 木曜
 考えてしまいますね。ウチの大学がどうとは言いませんが、首都圏の私大のうち、次の大学が授業開始を5月に延期するようですな。

早稲田大学、大東文化大学、成城大学、大正大学、桜美林大学、常磐大学、明治大学、立教大学、慶應義塾大学、駒澤大学、国士舘大学

首都圏の国立大学でも、一橋大が少し、授業開始日を遅らせるようです。うーん。
 他方で、停電の中、決死で授業日程を守り抜くぞ、という大学もありますし。
by larghetto7 | 2011-03-24 23:45 | 日記風
2011/03/22 火曜
 本日、事務方の異動について情報を得て、一安心する気分だった。すぐには異動はないようだ。実はこの点がずっと心配だった。今、息せき切って何とか仕事をつないでいるけれど、突発的な事情が重なった、この大変な時期に、事務職員を異動させられると仕事が途切れ混乱もおきる。その点が心配であったけれど、当面は最小限の異動にするようである。全学の方もお考えくださったのだろう。
 という訳で気分が楽になったけれども、本日は18時20分から計画停電であり、残っていても仕事にならない。という訳で、そのちょうど18時20分に帰路についた。
 バスも電車も混んでいた。おまけに最寄駅の階段は明日から、またも半分が使えなくなる。うんざりしますね。あれ、工事、ほんとにやっているのかね? 何もこんな停電のときにやらんでも。そうでなくても電車があまり来ないで、駅を降りると階段で大渋滞になるのに、そのうえ階段を半分にして、どうなるの?
 小雨の停電の街並みを歩いて家に着いたのが20時頃だったと思う。
 幸い、停電は早めに終わった。

 さて、現時点でどうにもつらいのは、今後の見込みが万事、はっきりしないことである。まず原発の件は政府からはっきりした見込みは伝わらない。停電が、というより電力事情がどうなるかも、はっきりした見込みがないままに停電を強いられている。この状況が今後どうなるのか、その点はお役人は、責任が生じるから言質をとられないようにするのだろう。しかし、こっちはつらいよね。
 そのうえ、今後の学事日程がどうなるか、未だによく分からない。もう3月も後半になるというに。本日、なにやらの会合があったので、明日あたり伝わるのかも知れない。現状では私もいろいろ問合せを受けるけれども、答えられないのであります。
by larghetto7 | 2011-03-22 23:45 | 日記風
2011/03/21 月曜
個人的意見  →  小役人大学

 本日、休日。という訳で昨夜(今朝)は遅くまでおきていた。本日、輪番の停電もない予定。
 もっと寝ていてよいのに9時半頃におきた。予報通りに雨である。空が暗い。外に出ると煙るような小雨だった。
 雨のせいか、庭猫たちは猫部屋にいて、外には出ない。食糧をあげる。他の猫にも食糧をあげて回る。
 11時台、いくつかメールあり。うーん、という話で、返答。
 本日はWebシラバスへの入力を考えないといけないのだけれど、アクセスできなかった。
 16時頃、近所の郵便局に行ってお金を下ろす。その足でセキ薬品に行って買い物。
 シラバスの準備をしようとして進まず。そのうち、いくつか、判断を要するメールが届く。
 20時台に夕食。

 以前に買ったPilotの月夜という万年筆用のインクを、Lamy Alstar に入れて、昨日から使っている。Private Reserve のMidnight Blue は、インクが濃くて、Lamy Alstar ではインクフローが悪くなるんですよ。まあ、月夜でも悪くはない。考えようですな。なんとなく、色がターコイズのように感じる。

 
 
by larghetto7 | 2011-03-21 23:45 | 日記風
2011/03/20 日曜
 昨日の土曜は入試の判定の教授会があり、しかも別の会議もあって、朝早く家を出る必要があった。教授会の議事録に急いで目を通し、終わったのが3時過ぎ、それで6時半に起きた訳だから、当然寝不足であった。朝からいくぶん、頭痛があった。
 何とか大学には9時30分より前に着き、急いで資料を打ち出して会議の別冊資料を作る。それから、私が議長で研究科全体会、修士分科会、学部人事委員会。昼近くに入試判定の原案作りの会合に加わり、その後、アカデミック・スキルズ担当者会合に顔を出し、また教授会別冊資料作りをして、教授会が終わったのが15時20分頃であったかと思う。
 紙資料の整理をした。
 まだ学務の職員は残っていたが、17時50分頃に帰路についた。
 しかしバスはなかなか来ない。京浜東北線も本数が少ない。大学を出てから1時間ほどで、やっと大宮駅で下り電車に乗れた。と思ったら19時頃に地震があり、電車はまたとまった。しばらくして動きだし、やっと最寄駅に着いた時には、帰宅疲れが出ていたように思う。
 それでもカミさんの運転の車でカワチに寄ってもらい、猫食糧などを買った。帰宅は20時頃と思う。
 という訳でかなり疲れて、風呂に入らずに布団にももぐって寝たのでありました。

 明けて本日、起きたのは9時50分頃であった。時間的にはよく寝たようで、このところの慢性的な疲れた感じはなくなった。けれどもまだ、疲れは取り切れていないでしょうな。
 猫に食糧をやったあと、学部HPに関する業者への連絡メールを書いて出したのが12時近く。
 2度、風呂に入った。
by larghetto7 | 2011-03-20 23:45 | 日記風
チーコの大病
 家猫のチーコが家で2度吐いたのは2月26日(土)のことである。チーコはこの所やせ気味であり、齢をとったのだろう、と家で話していた。チーコはもともと腎臓に難があり、腎臓を悪くした猫を何度も見ているので、その症状であろうと考えた。問題は脱水があるかもしれないので、明日は動物病院に連れてゆくよう、カミさんには頼んでおいた。
 次の日の2月27日は、日曜というに、関口先生の最終講義と記念パーティーがある。昼過ぎに家を出て、チーコのことはカミさんに任せていた。
 関口先生のパーティーが終わって帰り、カミさんにチーコのことを聞くと、なんとそのまま入院したという。膵臓が腫れていて肝臓の数字も悪く、リンパ節が腫れているらしい、という。明日、CTを撮り、開腹手術をするという。リンパ腫である可能性が高い、という。
 11月に抜歯したときと比べ、血液検査の数字がかなり悪い。

 チーコはもともと、庭に来たメスの野良猫だった。庭に入ってきて動こうとしなかった。娘たちが飼おうというが、私は反対した。明日までこの猫がいれば飼う、と約束した。はたして次の日、チーコは庭にいたのである。飼うことになった。私がその場で縁側の床を叩くと、そのままその場所にやってきたのである。
 それ以来、この猫は私の家で過ごすことになった。既に家族である。家に帰るといつもチーコがいた。時折、チーコのためにお土産を買う。何を買うとチーコが喜ぶかと、考えながら過ごしてきた。
 入院する少し前にも、私が食事をしているところにやってくる。しゃけや刺身があると私は自分が食べるよりもチーコに食べさせていた。

 いろんな病気猫を見てきた割に、チーコの具合が悪くなったことを見逃していた。いや、悪いけれども腎臓の慢性的な問題であろうと思っていた。
 2月28日にチーコは開腹手術を受け、悪い部分は取ったけれども、検体の検査に出したという。たぶんリンパ節の癌であるので、早めにステロイドの治療をするという。いつ死んでも不思議はない、との伝言を聞き、仕事場から家に向かった。動物病院で説明を聞いた。
 正確には検査によるが、まず間違いなくリンパ腫であり、いろいろ転移している、という。話を聞くと、治療してどうなる段階ではないように思えた。
 3月1日から朝、出がけにチーコを見舞った。3月3日と4日は朝から会議で動物病院があいていないので、早めに帰ってチーコを見舞った。
 その3月4日(金)に、思ったより早く検査結果が帰って来た。その旨カミさんから、携帯メールが入った。やはり悪性のリンパ節の腫瘍であるという。すぐに家の近くの動物病院に向かった。

 途中で考えた。これまでも何匹かの猫たちの死に立ち会ってきた。しかしいろいろ弄り回すことには疑問があった。チーコはこの家が好きで、この家で過ごすことが好きだった。だから、早く死んでも、私の家で過ごさせてあげるべきではないか。
 私の家族もまた、無理に生かすのではなく、少しの間でも家で一緒に過ごすことを望んだ。
 カミさん、息子と一緒に動物病院に行き、どうするかを話し合った。院長はすぐにも抗がん剤治療をしたい、という。リンパ腫には抗がん剤が効くようなので治療を頼んだ。一方、このまま家に連れ帰ることとした。プロトコルを変えて様子を見ながら治療をする。しかし無理な治療はしない、という方針を決めた。
by larghetto7 | 2011-03-06 21:26 | 日記風