カテゴリ:日記風( 1977 )
2017/01/23 月曜
地味な展開のときの悪い予感

by larghetto7 | 2017-01-23 23:45 | 日記風
2017/01/05 木曜
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                子猫の白三毛

 この猫は母親のマルピョンと一緒に拙宅の庭の一隅の縁台の下に棲みついていた子猫です。寒くなったのでマルピョン母子用に縁台にシートをかけ、猫ベッドを与え、湯たんぽを運んでいました。母子一緒なので保護をしませんでした。しかし元日頃、ずっと母子でいたのに、親のマルピョンがいなくなってこの子猫だけになっていたんですね。まずい、猫は身体をくっつけていれば体温が保てるけれども、子猫一匹だけでは生きて行けないと思い、保護しました。実は2日後に母のマルピョンが現れたので近くに子猫白三毛を置くと、白三毛はマルピョンに近づくのに、マルピョンは「あっち行け」の仕草なので、そのまま子猫の白三毛を家に置いています。
 白三毛は普通の猫より毛が長く、ふっくらしているように見えましたが、触ってみると痩せていました。家で食べさせたので太って来ました。動物病院に連れて行くと風邪とのことで、もらって来た抗生剤を与えています。今は私の家の居間でそれなりに満足そうに生活しています。
by larghetto7 | 2017-01-05 23:45 | 日記風
2017/01/01 日曜 謹賀新年
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by larghetto7 | 2017-01-01 23:45 | 日記風
2017/01/01 日曜 初詣
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 毎年のように、大晦日の23:50頃にカミさんと一緒に家を出て、近所の千勝神社に初詣に行ってきたのであります。
by larghetto7 | 2017-01-01 23:45 | 日記風
2016/12/31 土曜
年末所感 → 役員がダメでもウチの大学は潰れない

by larghetto7 | 2016-12-31 23:45 | 日記風
2016/12/29 木曜  年末のベートーヴェン
 年末にベートーヴェンの一続きの作品を聴くのが私の習慣になっている。交響曲全集とか、ピアノソナタ全集とか。世間で年末にベートーヴェンの第9をやる、という習慣の個人版のようなものである。世間にせよ私にせよ、なぜベートーヴェンか、と人は問うかも知れない。いろいろ考えてやはりベートーヴェンかな、と思う。まあ、ハイドンとかモーツァルトならよいかも知れませんよ。しかしロマン派以降だとダメではないか? 交響曲でいうと、まあ曲はよいとしれも、何か暗くなるでしょ。例えばブラームスですよね。交響曲の1番と2番はいいんですが、3番、4番と段々暗くなるでしょ。チャイコフスキーも、ブルックナー、マーラーとかも、なんか、晩年のものって、諦観に浸ったり、消え入るように終わって行くとかね。なんか、来年まで生きていてはいけないような気になるではないですか。
 だからやはりベートーヴェンでしょうね。常にポジティヴ。ジャンプじゃないですが、努力、友情、勝利です。
 という訳で今年はベートーヴェンの交響曲全集にしました。CDで全集をいくつか持っていますが、今はApple Musicに契約しているので、取り交ぜてみたのです。指揮がカラヤン、ハイティンク、懐かしのブルーノ・ワルター、そしてチェリビダッケ。
 ざっと聴いてみて、まあ実は特にベートーヴェンを聴きたい気分ではなかったのでそんなに感動はなかったです。強いていうと最後に聴いた、チェリビダッケ指揮、ミュンヘン交響楽団の第9ですね。まあこの曲は、ミサ・ソレムニスのついでに作ったという話があって、そんなに力を入れて作曲していないかも知れないのですが、私はどの楽章も好きです。別のことをしながら聴いているのですが、第3楽章辺りから聴き入るようになりました。この第3楽章はベートーヴェンの曲の中でも特に美しい曲の1つと思いますが、チェリビダッケの演奏では音が重なる構造が見えるようで、大きな曲、例えばブルックナーのアダージョ楽章を聴いているような気になってきました。そのまま最終楽章に入り、ゆっくりしたテンポで、飛んだり跳ねたりせず、大きな構造を聴かせながら進むのですが、フィナーレはフルトベングラーの第9みたいに盛り上がってみせる。凄い演奏ですね。
 という訳で、最後にちゃんと感動を受け取った、という気になって、年を越したいと思います。
by larghetto7 | 2016-12-29 23:45 | 日記風
2016/12/27 火曜
 近所のニトリで本棚を注文したのは先週の半ばである。その本棚が昨日届いた。搬送の業者が取り付けもしてくれて、簡単だった。
 事情を話せば、本棚を買ったのは今度の3月で私が大学を退職することに由来する。大学に置いてある私物、多くは書籍を撤去しないといけない。撤去する以前に受け入れる自宅の体制を整える必要があったのである。
 私の自宅には屋根裏スペースがある。体積で言えば私の私物など、その中に入るだろう。だから私も焦らなかった。しかし書籍などの重い物を屋根裏スペースに置くことにカミさんから反対が出た。屋根裏スペースはそれほど頑強にはできていない、ということである。
 そう言われればそうだ。と思って思案を巡らせた。
 結局、床に信頼のある1階の居間スペースに本棚を置くことにした。居間に本棚は既にあるのであるが、より多く入る本棚を追加で買うことにしたのである。
 しかし、予想としてはこの本棚程度で間に合わないだろう。そこで、軽い本、例えばコミック本などは屋根裏スペースに移すことにした。家にあるコミックのうち、まず横山光輝の『三国志』全60巻を屋根裏に運んだ。それから、いしいひさいちやら『What's Michael』などを運んだ。大学には、『北斗の拳』全巻、『魁男塾』全巻、いしいひさいちのコミック、などがあるはずである。
 それと同時に、不要な本は捨てることにした。例えば、一時自宅で買っていたNational Geographic などである。写真が多いから重いし。
 かくして、大学以前に自宅のスペースの整理が始まったのであった。

 本来、大学に私物を置いてはいけない。大学で必要なものは校費で買い、置いておくのが正しい。退職の際はそれを置いてゆくだけだから、この理屈通りなら簡単なはずである。
 しかし現実にはその理屈通りではない。
 研究上必要とあれば私物の書籍を置いてよいことになるのだろう。
 それより、一般にはもっと重大な理由がある。
 校費で購入した書籍は図書館登録するのが原則であり、図書館登録によって大学の所有物であることが確定する。図書館登録していない書籍(消耗品扱いの書籍)は、大学の管理から外れる。だから私物として扱ってよいことになる。
 問題というのは、少なくとも一時、図書館が登録をせず消耗品扱いで本を買うように推奨していたことである。なんと、登録作業が追い付かない、というお粗末な理由であったらしい。
 そこで、たぶん、消耗品扱いで校費で買った書籍は、私物として持ち帰ってよい、という理屈になるのだろう。退職者が出る度に書籍の引き取りに手間取るのはそのせいかも知れない。
 実際は、私を含め、同僚は私費で本を購入し、大学に置いておく。校費で買った上に同じ本を私費でも買うこともある。そこで、この本はどの素性の本かが分からなくなる恐れがある。実際、そうなのだろう。なにせ、図書館登録をしていなければ、記録はないのである。

 まあそれはともかく、私の場合、持ち帰る物がどれほどになるかは、まだよく分からない。私の場合、本ではなく、論文等のコピィが多いのである。日本の学術誌の場合、既に無料でネット公開されていることが多いので、物によっては捨ててよいだろう。しかし海外の雑誌の論文のコピィは、アクセスできるかどうか分からず、その点を確認しているとえらく面倒である。そう考えると、ああ大変だなぁと今さらながらに思ってしまう。
by larghetto7 | 2016-12-27 23:45 | 日記風
2016/12/22 木曜
本日の近況コメント → 私の大学の教養教育がダメであるのには102番目の理由があってだな

by larghetto7 | 2016-12-22 23:45 | 日記風
2016/12/19 月曜 
今日のComing Soon  →  私の大学の教養教育がダメであるのには101の理由があってだな

by larghetto7 | 2016-12-19 23:45 | 日記風
2016/11/25 金曜 昨日、雪
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 昨日は我が家の近くでは明け方から雪になった。午後にかけて降る雪を見ながら、ボタ雪だなと思った。予想に反してしっかり積もった。ただし道路に雪が積もるほどではなかった。東京では雪が多かった、と下の娘が言う。

 夜になって雪だるまを5個作った。
 一昨日がカミさんの誕生日であったが、ケーキを食べるのは昨夜になった。消した後のケーキの蝋燭を家の外で最後まで燃やそうと思った。思い付きで雪だるまにケーキの細い蝋燭を立てて見た。

 面白いことを見出した。蝋燭が雪だるまの雪の中に沈んでゆくと、雪の中から光が浮かび上がることである。
 まあ、言ってみれば雪灯籠ですな、と口にして、雪灯籠という言葉が既にあるのではないか、と思いついた。ネットで調べると米沢の上杉雪灯籠祭とか、弘前城雪灯籠祭、といった言葉が出て来た。まあ、あるんですな。
by larghetto7 | 2016-11-25 23:45 | 日記風