今日はここまで静かに時間が過ぎている。大学に来て卒論の学生を待つも、誰も来ない。来るべき人は既に来て、今は話すことが無いのだろう。相談可能時間を公示し、来るというメール連絡をしてきた者がいるときだけ窓口を開くべきかも知れない。院生が1人だけ来ているけれど、他の院生は見えない。
今日は15時から会議があり、期せずしてその会議を待つだけとなった。事前資料に目を通すも、詳しく読む価値はない。
MLで言及があった論文をインターネットでダウンロードし、目を通す。国際政治哲学のような話である。特に目立ったことは書いていないけれども、反論したくなるようなことも書いていない。その意味では影が薄い。この、議論の抽象性が心地よい。
bgmでチェンバロの平均律をかける。特に感情にのめりこむこともないこの抽象的な音楽。
今欲しいのはこの抽象性なのかも知れない、と感じる。具体的な話にはうんざりしている。
学生が抽象的なことにはついて来なくなったことを思い出す。今の学生にはそれなりの違った考えがあるのか、何も考えが無いのか、その辺はまだ見えない。
と考えていたら、約束の相談時間が終わる14時半近くになって卒論の学生が来た。卒論の方向性を変えた方がよいと思えた。4階資料室の文献の論文を渡し、読んでおくように話す。
15時からナントカの委員会。今日は私は某先生の代理で出ているに過ぎないけれど、その割にはしゃべくる。会議が終わったのは18時頃。
研究室でファイルの整理をする。チェンバロ演奏のフーガの技法をかける。この曲は熱いぜ。