次年度に私がどのような業務の担当になるかは現時点では決まらないのであるが,諸々の選挙の結果のいかんに関わらず,私は部内の業務にはかかわらなくなる,という見通しを持っている.そこで,2月中旬以降から,現在の業務の引継ぎにかかることになるだろう.
いくぶん厄介なものが3つある.
第1は採択された院の教育プログラムの件である.この作業は将来計画の一環であるから,次の執行部の担当者に引き継いで行くことになる.問題は,次の執行部がこの教育プログラムを将来計画に位置づけられるかどうか,という点である.位置づけられなければ,今度の年度の変わり目に,採択されたものを返上する,という結果になるかも知れない.この点は次期執行部の判断いかんだろう.
第2は初修外国語問題である.この件は全学と学部との間で協力の約束があるので基本的に現状が維持されるはずである.が,教養学部の方で○○○ミズムが強くなれば,話は御破算になるかも知れない.次期の教育企画室側も,○○理事や○○副機構長ほど寛容ではないかもしれない.
第3は,文化科学研究科も加わった4大学院連携である.この点では次期執行部はネガティヴであるか no idea の何れかだと思うが,それでも組織を作って始めてしまったことをどう処理してゆくかについては,定見を持たなければならないだろう.
ある意味,楽しみな面がある.
昨夜は結局、センター試験疲れで、猫トイレの掃除をし、明日の朝の授業準備をさっさと済ませて2時頃に寝た。眠くて仕方なかった。今朝はやはり6時に起きた。
暗い。猫たちに食糧をあげる。
昨夜は雪が降るとの予報があった。しかし降らなかった。曇っている分、暖かいと感じた。シマ子たちが見えない。そのうちにあらわれて来る。
授業プリントを打ち出しておく。7時半より後に家を出て大学に向かう。
大学に着いたのは9時少し前。印刷室で授業プリントを印刷する。
1・2、3・4と実習。
昨夜は多少寝たけれども、それでも眠く、立っていても寝入ってしまいそうになる。
昼休みにローソンに行ってパンとお茶を買ってきて食べる。
急いで次の授業のプリント作りをする。ギリギリで印刷する。
7・8が概論。
多少の雑用。研究室の紙資料を整理し、少なからず廃棄する。ずいぶんと雑用をしたものだと思う。
無駄な日々だった。この間になすべきことができなかったのはまだよい。しかし母が亡くなると分かっていれば、もっとそばにいるべきだったろう。そのことだけは悔しい。
母は亡くなる前の3週間ほど病院にいたが、その前は1年以上、施設にいた。その施設は私の通勤の電車から毎日、見えるのである。母がいなくなって1年過ぎたその建物を毎日眺めるのは奇妙なものだと思う。あるいは母は、こうして私が通う電車のそばにいたかったのかも知れない。私自身は別の場所の施設がよいといったのだが、母はこの場所がよいときかなかったのである。
18時半頃に帰路についた。帰宅は20時近く。
猫たちに食糧をあげる。