今日はヒロシマの日であったか。
私は核兵器を持つことも選択肢の1つとすべきだと思うが、それでも広島、長崎という悲劇に対して、一種宗教的な敬虔さの念を抱く。キリスト教徒にとってイエスの受難と復活が、観たことはないのにある種の原体験であるように、理屈ではなく、広島、長崎は最も重い民族的記憶なのだろう。
昨夜寝たのは4時頃なのに、7時半頃にはおきてしまった。息子の具合が悪いということで、家の中が騒がしい。後で病院に連れて行って、風邪だということになった。下の娘、私、そして息子と夏風邪の連鎖である。
ともかく、猫たちのケアをする。
9時頃に総務係長から電話あり。財務課のNさんから連絡があったので、電話を入れてくれという。電話すると当然、例の件だった。
かみさんの運転でまた、野原医院に行く。現在、喘息の症状が残っており、明日のために薬をもらっておきたかった。私の知らない新薬が主流になっていたようで、その薬をもらってくる。保険証の本人であるため、支払い金額は安い。
ということで、11時近くに家を出て大学に向かった。大学には12時10分頃に到着。
まず、そのまま財務課に行き、そこである資料について話し合う。
13時頃に研究室に戻り、資料の手直しをする。事務室で数部、プリントする。
13時半から、わざわざ大会議室を用い、学部長、副学長殿と協議。2時間くらい続いたか。
研究室に戻り、また作業する。ローソンに行くと、お茶はあるが、食い物が売ってないやんか。仕方なくたこ焼きなどを買って帰り、部屋で食べる。
私の研究室、エアコンないんです。ビンボー。暑いのなんのって。部屋に入る人は暑さに驚く。
実験室では実習の受講者が何人か来ていて、最終課題を進めている。
資料を再度作り直す。メールで財務課Nさん宛てに送る。
17時頃に某所から電話があり、何点か指示を受ける。
資料を再再度手直しして印刷し、関係者に届ける。
18時近くに教育機構棟の学部長の研究室に行く。おらず。少しして、受け持ち授業での期末試験を終えて学部長が戻ってくる。資料を渡す。
同じ資料をまた本部某課に持ってゆく。そこでさらに何点か指摘を受ける。研究室に戻ってまた手直しし、メールで関係者に送る。
学務係に行き、ある件を資料を調べる。
気が付くと19時になっていた。某先生と少し世間話をする。19時40分頃に帰路につく。
帰宅は20時55分頃。
猫たちに食糧をあげて回る。資料ファイルを関係者に添付で送る。
作業はまだまだ続き、風邪は治らない。