BGM → シゲティの無伴奏ヴァイオリン
分からないように書くが、不義は不義であり、それを見逃して私が仕事を続けることはない、というのがやはり結論だ。
某氏と話していたら、認知的社会心理学は構成概念が多過ぎて、やっている方でも結果に対する確信度は低いのではないか、という感想が出てきた。なるほどな、と思う。私の僅かな実感でも、認知に関する結果は、いかにロバストでも、ちょっとした操作の仕方で結果が変わってしまう。その変化を理論上位置づけられるのか、本当だと確信が持てるのか、難しいところのような気がする。
調査も同じことである。調査地点で分割して結果を出すと重要な点で結果が異なることがある。その結果を単発で報告するなら何とか理屈は付けられようが、理論上意味のない分割で結果が変わると知ってしまうと、実は何なの、という疑問は抑え難い。
本当に意味のあることとは何なのか?
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未修外国語の手配の件で、某言語について調整を私がやらざるをえなくなった。といって、出来る訳でもないので、今日の15時に約束してH先生の研究室に相談にいった。結局、非常勤の先生方には郵送でご意向を伺う、専任については別個、事情を伺うことになった。まあ、進展は月曜以降である。
本日、割とよく寝て8時頃におきた。猫たちに食糧をあげること、いつものごとし。猫トイレの掃除に時間がかかる。さしたるメール無し。久しぶりに午前から授業の準備をする。
家を出たのは11時頃だったか?
途中、北浦和駅前の弁当屋でから揚げ弁当(安いし)とお茶のペットボトルを買う。
家のPCのデータがUSBメモリにコピィしていないことに気づいて、焦る。家の作業を続ける。
15時からH先生の研究室を訪問。1時間ほどで協議は終わる。その後で人を探すが、会えず。K先生と未修非常勤などについて立ち話する。
17時頃に帰路につく。帰宅は18時半頃。
例によって猫たちが庭に集まる。食糧をあげる。2階の猫の世話もする。
家では息子のYがテレビでアニメを見続けている。19時からはドラえもんで、私はニュースが見られない。