5/15 月曜 授業の日
 かけた目覚ましで6時半におきた。庭に出ると猫たちに出会う。食糧をあげる。いつもの朝だった。2階にいって3匹の猫たちに食糧をあげる。
 睡眠時間は3時間より少ない。眠りが浅かった。
 7時半に家を出る。途中、バスが遅れたのか、大学に着いたのは8時45分頃。
 1・2~3・4が実習。前半が社会的ディレンマの解説、後半が実験法。途中で時間が来る。
 昼休み、持ってきた弁当を食べる。多少の雑用をこなしたら13時になる。急いで授業プリントを作る。
 プリントのコピィついでに、N先生の部屋に入って某委員会について話そうと思う。いないので隣のS先生の部屋を訪れ、14時まで話し込む。
 7・8が入門の授業で大教室。
 研究室に戻って16時から第1小会議室で某会議。19時近くまでかかるも、時間の割に軽い会合だった。
 研究室に戻って、教育協力会の役員会の件でY先生宅に電話し、ご都合を伺う。支度をして帰路につく。
 20時頃の普通電車に大宮駅で乗り込む。帰宅は20時半過ぎ。
 帰ると玄関先に猫たちが現れる。食糧をあげる。大白たちはまたも、猫部屋に入らず、猫温室にいる。
 夕食。多少のメール応答。
 猫の黒子が現れまいかと、暗闇に何度も佇む。

 今この、部内雑用の元締めのような仕事をしながら、自分が何を求めているのかが頭の中で次第に整理されてきたような気がする。埼玉大学を普通の大学として残す、そのことを考えているんだな、と思えてくる。普通の大学、つまり普通の学問を普通にやれる、そういう大学ということなのだ。この奇妙な、さしたる資源もない中で行っている愚かな「申請制」の中で、大学研究の基盤、組織のバランスがガタガタになろうとしているように見える。
 残るのは食い荒らされた残骸だけではないのか。
 普通の大学という姿を持続可能なサイクルに何とか乗せられないのか。欲望のシステムによってではなく、大学のコミュニティが内蔵する生成力によって制御できるパスはないものなのか。
by Larghetto7 | 2006-05-15 23:10 | 日記風