4/9 日曜
 10時頃にやっとおきた。よく寝たと思う。けれどもまだ眠い。
 晴れているけれど風が強い。猫たちは外に出払っているように見えた。が、そのうち多少集まってくる。
 本日、たぶん8日ぶりに母のもとに行く。このところ用が詰まっていた。午後に出かける。帰ったのは18時半頃と思う。
 また小雑用が溜まってきた。こいつをボチボチこなして行くか、とも思うが、そんなことばかりしていてよいのか、という疑問も残る。実は「大きな仕事」も沢山ある。

 部局内を眺めていると、一時に比べて(研究や教育でない)「業務」をやる気力が全般に失せているように思う。一つには業務自体が段々と複雑化している面がある。が、それだけではない。確かに一部の人はよくなさっているけれど、限定的である。
 仕方ないなぁ、と思う。以前は教員には包括的な身分保障と権利を与え、その下で教員に組織への忠誠心を求めていた。しかし、給料や資源配分が成果主義、ということになって来た。そのこと自体は直接的にはよいとしても、何かをするのに報酬が出るというシステムは、人々の内発的動機づけを挫いてしまう。だから「得になることならするけれど」という話になってしまう。では「得だ」と思えるだけの報酬が出るかといえば、出そうにない。そうなると、やらない方がいいや、ということなる。
 そういえば、成果主義がより徹底していそうな某K大の研究科長(もう任期が終わったころと思うが)が以前に言っておられた。特に若い人は、委員会の仕事はハッキリ断るという。まあ、仕方ないんだろう。
 この辺のことは、名目上は同じ「国立」であっても、大学によって事情が大きく異なるように思う。重点化大学(旧帝大など)では機会自体が拡大しているから、大変な面はあっても、「やってられない」という気分はないと思う。しかし末端の国立大学の場合、資源がないところで背伸びすることを強いられている。ヒラの教員には「そりゃ無理だよ」という気分があっても、声は届かない。
 結果として何が起こったか。1つは「上」の役職に着きたい人が減ったことだろう。また、以前に比べると「どこか私大に逃げ出したい」という本音が増えた、という説がある(直感的には正しいように思う)。給料ベースで良いところが多く、授業負担自体もむしろ私大の方が少なくなりつつある(ただし入試業務は私大の方が多いと思うが)。私大の場合、授業を多く負担すればその分は給料に加算される。しかし国立だと、原則給料割増放棄の「裁量労働制」になっているから、授業を多くしても給料が増えることはまずない。
 段々と、私大の方が相対的に「国立大学的」になりつつあるのかも知れない。
by Larghetto7 | 2006-04-10 00:20 | 日記風