3/11 土曜 
 介護の問題が重くのしかかる。が、私はまだよいかも知れない。私の世代の同僚は介護問題を抱えている人が多い。介護というより看護の必要がある方も多い。子育てが重荷になっているケースも少なくない。
 今年度私はいろんな仕事で多くの人に仕事を頼んだ。その際に分かったのは、この種の問題を抱えている方が実に多いということである。例えば大学院説明会を時間外で2回行ったが、2回ともに出席できたのは、関係委員の中で私1人だけだった。どうしてもいろんな事情で、時間外で仕事をするのが難しい。
 現状の業務体系は何とかならないのか。業務の整理ができずに段々と増えてゆく。しかも人員が減ってゆくから、このままでは教員は潰れてしまう。実際は教員より事務方の方が深刻である。
 現在の業務は、少なくとも一部の人は何の病気もせず元気でいられることを前提にして初めて稼動できる状況にある(部署もある)。この前提が充たされるかどうかは運の問題だ。
 大学のスタッフの構成自体を見直すほかないと思う。同時に、業務のダウンサイジングを考えるべきなのだろう。

 おきたのはまた、10時過ぎだった。日がよく照っており、猫温室の中は暑いくらいになった。食糧をあげようとするも、猫たちはあまり食べそうにない。
 メールを見ると結構来ている。返事を書く。
 昼過ぎに母のもとにカミさん、息子と向かう。行きがけにモールの長崎屋で母のための帽子を買って行く。しかし母には気に入られなかった。
 私が傍にいることはよいことなのだろうと思うけれど、必ずしもそうではないと思うこともある。私がいれば気を許して愚痴を言う。その愚痴で自分で落ち込んでしまうような気がする。
 夕方過ぎに帰宅した。帰る途中、近くの石丸電気で現品処分のラジカセを買ってきた。猫に食糧をあげてから、その間のメールに返事を書いていて、時間が経ってしまった。

 朝、このブログに大学の業務に関するコメントがあった。そのため、また業務体制のことを考えてしまう。
 私は部内業務しか知らないが、いろいろと自分でやったり人にお願いしながら感じるのは、やらないでよいことも多いということである。ただ、権限がなければ「止めよう」とはいえない。だからそのままやり続けて次の担当に渡す。そんなことがよくおきているのが日常的な光景だ。ここは権限のある者がちゃんと見て判断すべきだろう。
 ただ、単なる節約で財政再建がなった試しがほとんどないように、この種の業務点検だけで業務が顕著に減らせるとは期待できない。目だった変化が生じるには「構造」の変化が必要になる。
 法人化設計時点でのこの種の構造変化とは、(そのような言葉はなかったと思うが)全学への業務の一元化であった、と私は理解している。大学はもともと、業務の重点は部局にあった。しかし似たような業務を各部局で個々にやっていたのでは効率は悪い。各部局の、負荷の高まった業務の結果を全学本部に受け渡すとすれば、本部は負荷が高まり過ぎてパンクする。部局にはなおも重要な業務は残るにせよ、業務の多くを本部機能で集約する構造の変化があるはずだった。
 にもかかわらず大学の基幹業務はほとんどそのままに部局に置かれたままに思える。基幹業務が今のままなのに「事務の一元化」だけをしようとするから、事務の一元化の意義が分からなくなってしまう。例えば、学務を一元化するというなら、教育業務の流れそのものを全学に一元化するべきだったろう。全学教育企画室は全学の教育業務を司る組織として、元来は設計されたはずである。
by Larghetto7 | 2006-03-11 00:15 | 日記風