11/07 また、卒論
 どうもこのところ、一日一小言、という展開になってきた。いやまあ、どこかでガラッと変えますって。

 さて、またも(よせばよいのに)卒論の件である。
 学生さんにとり卒論を書くのが難しい事情はよく分かる。就職活動を続けて卒論にかかるのは難しい。時間があったとしても、卒論について考える頭になれないだろう。実は我々も同じで、雑用をやりながら学生の卒論のことを考えたり、研究をしたりは、時間があっても頭が切り替えられず、出来ないものである。就職が決まらなければ卒論どころではなかろうし、決まっても雇用前から平然と企業研修が入るようだ(研修をするなら雇ってからにすべきなのだが)。
 ただ、就職がなかなか決まらない、という事態は、今に始まったことではない。就職事情の良い年、悪い年とあるけれど、半分くらいの年度では就職事情は今までも悪かった。実際になかなか就職が決まらない。それでも卒論を書く人は立派に書くのがここの先輩だったのである。年を越してやっと就職が決まったような人でも立派な卒論を書いていた。

 で、それはよいとして、社会心理学って、卒論を書きにくいのではないか、という気がする。この点は、演習での議論が難しい、ということにもつながっているような気がしている。
 私は院の授業で「研究プレゼンテーションワークショップ」という授業、何のことはない、プレゼンをやってみましょうという授業をここ何年か負担している。そこでいろんな領域の院生さんのプレゼン(主に修論)に触れる。歴史、哲学、文学、社会学、地理学、人類学…である。けれども、正直、聞いていて理解できない話はほとんどない。要するに facts を集めて並べているだけように見える。あれでよければ簡単に書ける、テーマも決まる、と思う。
 ところが社会心理学が問題にするのは facts ではない。facts 間に成り立つ法則である。だから事実に refer して書こうとすると、体系的なデータを得る以外にない。課題が難しくなるのである。
 同じく「法則科学」であっても事例で逃げることが容易な分野もある。例えば経済学である。経済学は所謂文系で最も体系的な理論を持つ領域であるけれど、その理論を事例に適用して話をまとめるという手を使って卒論、修論を書くことが出来る。理論を現代メキシコに適用するとどうかとか、環境経済学の理論を米州機構に適用できるか、といった話で逃げることである。社会学で、社会運動の理論を取り上げて公害問題の具体的な運動に適用してみる、で逃げるようなものである。しかし社会心理学の場合、社会的認知のある効果を、3丁目の鈴木さんに適用しても仕方がない。
 だから演習で議論を出すこともやや難しいような気がする。抽象的な法則を問題にする中で話のネタを出すことは、結構難しい課題になっているように思う。(むろんプロには容易である。)
 少なくとも、テーマを考える、演習で議論のネタを言い出す ―― そのためには「考える時間」が必要だ、とはいえそうに思う。

 と、上ではやや高いハードルを設定してしまったかも知れない。実は今年度、今となっては「本読み」で卒論を書く以外にない人が結構沢山いる。その場合、どのように書けとアドヴァイスするのに困っている。no idea。どなたか良いアイディアはないでしょうか?

 さて、本日は weekday であるけれど、「むつめ祭」休校日であるので「自宅研修」を決め込む。朝起きるのが遅かった。9時過ぎ。昨夜までの雨は止み、よく晴れている。ただしあちこちが濡れて湿っている。冬に備えて猫の毛は伸びてきたように見える。みんなコロコロしている。
 今日は某大学院説明会用のプレゼンファイル作りで過ごした。すぐに出来るかと思ったけれど、細かいことを確認しないといけなかった。公文書類はすべてウェッブに出しておいてくれれば持ち歩いていなくても仕事ができるのだが、そうはなっていない。可能なところは電話で確認した。

 大学というのは奇妙なところで、いろんな合意やら申し合わせを作ってゆくのであるが、その申し合わせを文書にしていても、そういう文書は放っておくと見つからない。それらの申し合わせが多くなると、相互に整合的かどうかも分からなくなる。そして1年もすればみんな忘れるのであるが、たまにそういうのを覚えている人がいて、実はこうだ、という話になる。だからそんな詰まんないことを覚えている奴が「偉い」ということになる。
 笑い話もある。文書類を保管しているのは事務であるけれど、過去の成績に関する資料は、ファイルと紙でとっておく。が、誰かが過去の成績について調べようとして事務方に言うと、文書はとってあるがファイルは捨てたという。そりゃ逆だろう。事務方にしてみれば、たぶん、文書の保管規定はあったけれどファイルの保管規定がなかったので、ファイルの方を捨てたのだろう。
 以前私が学部の将来計画委員長をしていたとき、ファイル類を一括して保管する計画を作っておいたのだが、後を継いだ奴がアホだったのか、そのままになっている。ファイルなら検索できるけれど紙の文書など検索しようがない。

 本日、自宅の部屋にいて異様に猫のオシッコ臭かった。モモちゃんがどこかにオシッコをしたのだろうと部屋の中を探すと、押入れの中でオシッコの跡があった。押入れの中を取り出して掃除をした。おかげで私も全身、オシッコ臭くなり、夜に風呂に入って何とか抜け出せた。猫の道は険しい。

 娘が買えというので、Amazon.com でスクリャービンのピアノソナタのCDを注文した。しかし私は、そういうのは好きじゃない。
by Larghetto7 | 2005-11-07 01:52 | 日記風 | Comments(2)
Commented by aloha at 2005-11-07 13:47 x
私は、自分でデータをとらない(とれない)学生には、文献研究プラスJGSS等の公開データの2次分析で書くことをすすめています。
Commented by Larghetto7 at 2005-11-07 23:56
うーん、そりゃいいですね。でも目下の状況への対応としてはもっと水準の低いトホホ話でないと…。
 2次データを使わせるとよいのですが、やろうとするとそのための授業が必要になるかも知れません。学生さんにもよりますが、「データ、あるよ、やればぁ」で済む人は、少なそうです。
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