11/05 むつめ祭
 4日の午後の会議の途中、ふと外を見るとテントの類が立ち並んでいる。そうか、明日から埼玉大学的学園祭、つまり「むつめ祭」なのだと、そのときあらためて認識した。
 私はむつめ祭には行かないし、行かない同僚が多い。学生も同様ではないかと思う。どうも町内会の夏祭りのようで、イマイチね。山車でも出ればと思いますが。
 本日、休みとはいえ、母のもとに行くという予定があるので、自分の時間はあまり使えそうにない。なるべく睡眠をためておきたいと思う。

 朝起きたら晴れていた。暖かい。
 昨夜からノートPCのHDの「掃除」をしていた。Cドライヴが満杯になっていることに気が付いた。ファイルを移してHDでデフラグをかけて昨夜は寝た。おきてデスクトップのHDを見ると、HDの容量がノートとは格段に違うことに気が付いた(どちらも同じ頃に出た安物なのだが)。デスクトップの感覚でノートを使うことは出来ないな、とあらためて思う。
 このところ作業がたまり、それ以上に業務(雑用)関係の文書が溜まっている。目下やらねばならない作業ごとに文書をクリアファイルに入れて整理した。とりあえずクリアファイル4つに整理した。目下の課題が4分類される、ということである。
 どうしても時間的に「待った」が出来ないことを優先して時間配分してしまう。まず、日程が決まった業務を優先する。次に、同じく日程が決まった授業を優先する。卒論・修論の指導はその後になるので時間があまり取れない。研究の方はさらにその後になるので、現状では全く時間が取れない。睡眠を削る以外にない。

 卒論・修論の件であるが、私はもともと、現状の卒論・修論のシステムが良いとは思っていない。面白いことに、卒論、修論を書けない状態にある人でも、授業の単位は取れてしまっている。授業の単位が取れていれば、その時点でレポートの書き方などが分かっているはずであるから、卒論、修論を書くことに困難は、本来はないはずであるように思える。
 現状のシステムは、簡単に言えば次の前提で(事実上)成り立っている。①授業の単位を取るのは簡単だ。授業の単位が取れていても、教育が成ったことにはならない。②卒論を書くことで教育が出来たと見る。
 このシステムは教員も学生も楽である。学生にとっては、簡単に単位を取って「得意分野」だけで卒論を書けば卒業できる(目下の問題はその「得意分野」もなくなっていることだろう)。教員にとっては、手間のかかる日常的な授業で手を抜いて(あるいは自分の得意なことだけを授業でやって)、その穴埋めを卒論で出来る。卒論は基本的に学生にやらせるものであるから、授業の手間はあまりかからない。
 このシステムのまずい点は①を放置し、結果として教育すべきことを教育していないことである。日本の大学生は、入学時点では諸外国より優秀でも(と以前は言われていた)卒業するときにはパーになっている、ということの所以といえる。
 私の考えでは、卒論はその単位数相当のことを求めればよい。要するに授業2コマ分である。卒論以上に通常の授業で、教えるべきことを教えないとうまく行かない。そういうシステムに、全体がなっていない(教員が一人で頑張っても学生が逃げるだけ)という点が問題だろう。
 通常の授業でやるべきことをやっていれば、授業の単位が取れていて卒論が書けない、などということは起こらない。
by Larghetto7 | 2005-11-05 02:08 | 日記風