10/10金曜には年に1回の代議員会(教授会の代用)があった。代議員会は事項が限定されているので、代議員会終了後、専修代表などにも参加を呼びかけて次年度の非常勤枠の部内配分について協議した。協議といっても事情の説明が主だった。要するに削減になる話であるから、大枠は学部長から提案して各専修課程で協議して頂く、ということにした。
今回の件がややこしいのは、本来は「原則3」での非常勤配分の話であったはずが、基盤科目(ウチの教養教育科目にあたる)の非常勤配分まで入り込んでいることである。不明点があり、全学教育課の担当者がその日代休をとっていたということもあり、その日のうちには決着できなかった。
非常勤削減は「大学に金がない」という話から出てきたことである。その通りなら仕方ない。しかし、先日の17大学人文系学部長会議で紹介された他大学の雰囲気と、ウチの大学とはえらく異なる。他大学は基盤教育(教養教育)部分をどう設計し、どう資源(人員)を投下するか、という報告をしていたが、ウチの大学にはそれほどの余裕感はない。そんなにウチの大学は貧乏なのか?(そうかも知れない。) あるいは、学士課程、しかも基盤の部分に投資する気がないのか? 私には判断する材料はない。
上記の代議員会後の会合が終わった後、基盤教育に関して多少の立ち話をした。不思議だね、と話した。基盤教育について、科目の手配に苦しむなら、なぜ「全学開放方式」(学部の専門基礎科目を全学学生に開放する方式)を止めるのか、という点である。基盤科目の約半数はウチの学部の専門基礎科目を開放すれば済むし、それなら基盤での非常勤枠の配分も楽になるからである。非常勤枠を削減しょうとするときに、さらに苦しむ方法をあえて選んでいる。
教養教育科目(今の基盤科目)の全学開放方式は、かつての兵藤学長時代の末期に設計した。国立大学が法人化する、まさに直前のことである。協議するWGの座長は後の加藤(元)理事、後の理工研科長の水谷先生や私が加わっていた。元案は例によって私が書いている。全学開放方式には「理念」と「本音」があった。理念は、米国大学(正確には大学による)の General Education の方式による、ということである。私が米国のとある大学のキャッチコピィを模倣して作文した。本音とは、要するにその当時から非常勤枠の抑制が要請されていたことであり(非常勤枠の抑制はかなり昔からの年中行事であった)、その方式なら非常勤枠を抑制できる、ということである。
ちなみに言えば、その時点で、4学期制の導入も私は提案していた(反対が多く途中で消えた)。私の提案は常に、10年か20年早いのである。時間が来れば私の提案を、結果として、採用することになるだろう。
今回の件でさらに理解し難いのは、次年度のための基盤科目の改訂をしておきながら、「理念の協議」をその後にやる、といっていることである。理念を決めれば科目も変わるのが普通である。ということは、卒業要件が特殊な学年を1学年(次年度入学者)作ることになる。必然的に学年によって卒業要件が異なる3制度が並行することになり、ややこしくなるだけのことである。
今の大学運営は短期的な判断をつなげているところがあり、一定期間を見据えた設計はない。それだけの余裕がない大学である、ということであれば、それも仕方ないことかも知れない。