11/02 教育的情熱
 以前、アメリカの大学での教授歴が長かった元同僚から伺った話では、「アメリカの教授は、論文を書くことと良い学生を獲得することだけ考えている」とのことだった。「良い学生を獲得する」のが重要というのは私には意外に思えたので、「なぜ?」と質問してみた。「良い学生」とは優秀な大学院生、つまり研究者になるような人らしい。そう聞いて納得した。
 優秀な学生とは、ある意味、共同研究者である。共著で論文を書くことが多い。優秀な学生がいればいろいろプラスなのはよく分かる。ちゃんと研究者になれば、自分の論文を引用してもくれるから、なおプラスである。
 日本でも「重点化大学」なら同じだろうと思う。そうした大学なら、教育的な努力は研究面で報われる。結果として自分の業績につながる。
 大学の先生には学生を自分の研究のために「使いたい」という欲求がある。それが本音であり、私も同様だ。
 しかし残念ながら、幸か不幸か、そういっては悪いが、あてに出来るだけの学生は私は見出せない。出来る学生はいるけれど、研究に使える、というのとはちょっと違う。それは当たり前の話で、学生さんが簡単について来られる水準の研究でよい訳がない。
 同じことはこの職場の他の先生方にも当てはまるはずだし、この点は重点化大学ならぬわれわれの宿命のようなものである。
 にもかかわらず、この職場の先生方の多くは、教育上の情熱を失わない。この点は立派なことだと私は思う。

 本日、午後に演習と院の授業があり、卒論の協議も入っている。私としてはまだ寝たりないので、早めに寝たい。
 といって、昨夜は早めに寝た。今朝8時過ぎにおきる。少し前まで慢性的に寝不足だったけれど、このところ楽をしている ―― というより、平均的に無理のない睡眠時間はとっていると思う。
 今朝起きたらよく晴れていた。夜は寒くなったけれど、日中の気温は適温であり、日に当っていると暑くも感じる。しかし週末は雨が降るらしい。
 本日、卒論の学生がある程度来る予定。7・8が演習で9・10が院授業。
 大学には12時半頃に到着。
 陽気が良く、座っていると眠り込みそうになる。
 7・8の演習は淡々と終わる。9・10の院の授業は、院生が来なかったでんがな。まあ、卒論演習として行う。やはりいろいろ考えるところがあります。
 19時近くに帰路につく。バスの中でM先生の旦那と一緒になり、北浦和駅ホームまでご一緒する。駅コンコースの無印良品店でA4ファイルと糊を買う。
 帰宅は20時20分頃。途中のコンビニでなぜか息子のYの小さなおもちゃとチョコを買って帰る。猫たちに食糧をあげる。夕食は21時過ぎ。
by Larghetto7 | 2005-11-02 00:53 | 日記風 | Comments(2)
Commented by ホホホホ at 2005-11-04 15:55 x
先生にとって理想な院生は世の中いません。
Commented by 高木英至 at 2005-11-04 22:27 x
私だったらこう言います:所詮、あなたに見合った学生しか集まりませんよ。
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