まあなんです。現状でいろいろ無理な日程で動いている、これ、ほんとにこれで進むんですか、と私は今も疑問です。そのくらいですから、大学の執行部と、下々というか、例えばウチの学部の一般の教員との間の認識の差は大きでしょうね。私と皆さんとの間でも認識の差、というか情報の差は大きくなっているでしょうな、連絡する時間もないですから。
最近、大学の上層部の方とは少なからず協議をしています。今やっていることがよいかどうか、そこは、誰にも確信はないという気がします。しかしこうするしかないという、選択の幅が決められている中での判断だ、という言い方はよく聴くことであり、私は同じ考えではないですが、まあそういう考え方もあるんでしょう、という気はしています。
で、話は飛んで、新聞というかネットニュースを見ていると、この連休でそれほどの話はないけれど、例のTPPでは結構、話は進んでいたようだ、というのが大きな情報かなと思います。
例の小保方さんの話しも、他人事という立場で考えると、世間の方々が望む方向の話になって来たような感じではありますね。小保方氏に責任はあるんでしょうが、何か1人に責任を押し付けたような感じが残る所に、世間の目は向いてきた。ここでいろいろ指摘が出て、今日のニュースでは「STAP問題で理研、全研究者の論文を自主点検」と出ていた。
うーん、面倒な話になりましたよね。本当に点検するんでしょうかね? それで仕事になるんでしょうかね?
指摘というのが、多くは、画像の問題でしょ。私が分からんのは、画像って、そもそも大きな問題なんでしょうか? ということ。画像は事例の例示に過ぎないでしょ。心理学実験でいえば、統計処理した結果がどうか、という点は問題になっても、個々の実験参加者の反応を示すことは一般には求められない。それって証拠にはならない扱いですよね。
何かある度に手続きが面倒になって、肝腎なことが出来なくなって行きますよね。大学の経理処理と似ていますよね。小保方論文にしても、再現実験で評価すればよいだけなんじゃないの?という気がします。
心理学実験の例で言うと、再現できない結果というのは結構、あるんですよね。それで後になって、この効果が出るのはどういう手続きに従ったときだけだ、ということが分かる。それは1つの進歩ですから、そういう風に進めればいいんじゃないの? 1つの論文の真偽が1つの真理の真偽と同じという扱いでは、そもそもないでしょう、という気がしますわな。