10/22 また、attachment
 昨日はなかなか滅茶苦茶な展開だった。気をつけて頂きたいのは、ここでは私は全てを書いていないことである。埼玉大学では今、すぐに「処分」に発展する可能性がある。

 一昨日、attachment について書いてみた。attachment を決める重要な次元に self-esteem と trust がある。trust については、真実が何かはともかく、ある程度理解できる面がある。では self-esteem はどうなのか?
 self-esteem について成り立つのは upward bias なのだと思う。進化的に考えたとき、自己愛がなければ遺伝子は生き残れないのだから、この upward bias は自明なことのような気もする。しかし、自己愛と自己認知の upward bias は同じことではない(自己愛があるからといって、自己認知を歪める必要はない)。upward bias といっても全く非現実的な認知をするということではなく、ちょっと上、という歪みだろう。そうした歪みがなぜ存在するのか?
 「社会的」な説明が可能であれば面白いと思う。こんなことも考えた。人には「相手を選ぶ」局面がある。この相手選び(いろんな相手があるが)では結果としてmatching という原則が成り立ってしまう。とすれば、人は最初から matching を戦略とするかも知れない。仮にそうだとすると、人は絶えず自分と相手を比べることが必要になる。社会的比較の機制はそれゆえかも知れない。しかし仮に自分をいくぶん overestimate すれば、やや上の人と結ぼうとして、結果として得をすることになるかも知れない。「やや上」とは、「やや下」になる結果を防御するという意味もあるし、機会があれば得ができる、ということである。(全員が「やや上」を得ることはできない。)このとき、当人が matching を戦略とするなら、「やや上」狙いが合理的であることになる。
 確かめもせずに言えば、「やや上」bias は「集団主義的」社会では抑制されるかも知れない。なぜなら、集団にのめりこんでいれば「相手を選ぶ」余地が少ないからである。こう考えると、「個人主義的」社会で self-esteem の高さが際立つ、と予測できるかもね。
 この種の関連が仮にあると面白い、その所以は、「自己」が個人だけでは現象せず、社会の存在をまって可能になる、という点だろう。
 まあ、行き当たりばったりで書いていることですから、勘弁してください。
by Larghetto7 | 2005-10-22 01:31 | 日記風