10/20 attachment
 学部演習では昨日から、Baron & Byrne の Social Psychology の Chap.8 close relationships に入った。その最初の方に書いてあったのが、家族との関係で attachment が発達するという件である。attachment は self-esteem と trust を意味する。trust の方でいえば、家族と secure な関係を作れれば人一般に対して trust を発達させる、つまり母親への trust が世間一般への trust に般化する、という議論である。
 この trust の attachment 説は確か、山岸&山岸の論文が自らの立場と対比させていた立場だったような気がする。
 正確に覚えていないが、私自身の考えから逆算して勝手に推論すると、山岸&山岸の立場は、closed な関係の中に埋没することによって外集団への不信が強化される、つまり attachment を発達させるような環境でむしろ、一般的信頼は低下する、という考えだったような気がする。
 林さんには異論があるかも知れないけれど、私のシミュレーションから考えると、私自身の考えは(ちょっと違うのだが)山岸&山岸に近い。つまり、open な協力関係を作るための適応反応の一部として、高信頼が進化する、権力があるか裏切り誘因が低いことによって安心状態になると高信頼は生まれない、という考えである(信頼適応説とでも言おうか?)。
 ただ、信頼適応説と attachment説は矛盾すると考える必要もないのではないのか?
 私のあるシミュレーションでは、協力を発達させるための適応反応として、裏切り誘因がある状況で高信頼が進化した。しかし、そうなったのは、エージェントの反応に協力するか否かしかなかったからではないか? 仮に「攻撃」などの反応が可能であったなら、高信頼が必ずしも適応的ではないかも知れない。
 猫を見ながらそう思う。野良猫は一般に、人間への trust が低い。そのような環境にいたから、低信頼こそが適応的だったのではないか、という気がする。
 どこかにスイッチがある。戦略(ないし遺伝子)が同じでも、生まれて間もなく「信頼して大丈夫だよ」というシグナルがあれば高信頼になり、「信頼すると大変よ」というシグナルがあると低信頼になるようなスイッチが進化するのではないか? そのような遺伝子/戦略であれば、どのような状況でも生きてゆける。
 生まれたばかりの環境で、親から保護が受けられる環境であれば高信頼でスイッチが入る。その方が結果が良いからである。しかし保護が得られない環境であれば、低信頼にスイッチが入る。そうでないと生きてゆけないからである。
 attachment 説がいっているのはこのスイッチのことである。対して、信頼適応説が考えているのは、PDのように、基本的に協力が有利化をもたらす余地が大きい状況での適応なのではないのか?
 こんなことを書いていると、さっきからかけていた『ヨハネ受難曲』が終幕を迎えようとしていることに気がついた。

 12時頃に大学に向かった。7・8から数名の卒論の学生が実験室に来て作業をする。その脇で私が、S君、U君と修論の協議をする。何点か指示するが、まだまだ問題が多い。
 17時45分から某委員会の会議を第3会議室で4人で行う。18時42分に終わる。19時15分頃までその後の情勢について雑談する。
 研究室でファイルと資料を整理してから帰路につく。帰宅は20時半頃。
 学部長から電話があったので折り返し電話をすると先方はまだ帰っていなかったらしい。後で電話をもらう。依頼があったので、その件を別の委員会のMLに流す。私自身はやる気がない。別件で、模擬講義の依頼メールを書いて出す。
 布団で横になったらそのまま寝入ったらしい。23時頃のことである。
by Larghetto7 | 2005-10-20 00:52 | 日記風