昨日が卒論の提出締切日であった。本日、卒論(の一部)を家に持ち帰って目を通す。というか、提出者にファイルでの提出を求め、pdf化してiPadで読んでいる。
今年は低調だった。というのも、今まで私の卒論は社会学専攻の学生の卒論であり、大半は、学生対象の調査データを分析する、という形式のものだった。しかし今年は、私が着任してたぶん初めて、卒論用の調査をやっていない。社会学の学生の担当は(そう言っては申し訳ないけれど)居残っている社会学専攻の学生が主である。
先年、専修をGGに移ったのはよいけれど、GG専修は国際法学、国際政治学、国際経済学をディシプリンとするところであるから、例外を除いて、卒論指導は私は関係ないのである。正直、私はいるだけ無駄な状況だった。私が専修を現代社会に戻してもらったのもそういう事情による。
さて、そう言っては申し訳ないけれど、そういう訳で、今年の卒論は、例年のような指導のレールの上での卒論は1つもない。従来のレールの上の卒論指導であれば、データを取って分析する過程を知っているので、中身は読む必要もなく把握している。しかし今年の卒論は、事前には中身を把握していない。
卒論の出来については、ここでは論評しない。
もともと私は、卒論という制度そのものに疑問を持っている。卒論を書くに十分な授業を提供していないと思うからである。私の授業だけではどうしようもない。教員スタッフの集団で対処するしかないのであるか、そういう対処は、これまたそう言っては申し訳ないが、十分ではない。この点は教育の実質化の問題でありましょう。
とは言いながら、少なからぬ学生が毎年、卒論において努力と見識を示すことは、頭が下がる思いである。
今年はどうでありましょうか?