ここでも何度か書いたが、この週末でYahooのGyaoでタダで見られる中国のドラマ『孫子大伝』の最終の2回分が配信された。この何週間かで配信されたのは、呉越の争いの話になるので、ストーリーはよく知られた範囲である。この時期だと、ドラマの主人公の孫武はどうしていたか、記録には出てこない。だからここで孫武が出てくると言うのは完璧にフィクションなんでしょう。いったんは隠居した孫武が仕方なく呉の夫差に仕える格好になるのであるけれど、呉の対楚開戦に伍子胥とともに反対する。ここで伍子胥は死んでしまうが、歴史で伍子胥の死に至る経過はもっと複雑であり、ドラマではストーリーを省略していた。実際は、伍子胥が自害させられるのは対楚戦の後に中原に呉が挑もうとするときであり、ドラマでは呉がすぐに越の勾践に滅ぼされるけれど、滅ぶのはもっと時間がかかっているはずである。
主人公の孫武は、伍子胥の死の後にうまく逃げて隠居する。最後に孔子や老子と会うというのは出来過ぎた作り話で、今の中国の公式のナショナリズムの高揚のようで、いくぶん引くけれども、まあ、第2次大戦前の日本もそんなものだったのだろう。
ドラマの終盤での見どころは、孫武の内的な葛藤と、伍子胥との友情であったかも知れない。友情ということなら、最後に楚の申包胥をまた登場させてもよかったのかも知れない。
実際は、呉はなぜ滅びたのか? 歴史物語としては、腐敗した側近の下で王がアホだった、という描かれ方をする。実際のところは歴史をちゃんと調べないといけないけれど、ドラマを見る限りは、実力もないのに諸国の会盟を主催する覇王になろうとしたことにあるように思える。imperial overstreatchとも違う。というより、領土拡張がいずれの方面でも不十分なまま、覇王を目指してしまったことにあるのかな、と思う。うーん。まあ、よくある話でありますな。
さても、週末は自転車操業で次の週の授業準備(ppt作り)をしている。他の授業はよいとして、問題は今学期初めて行う『紛争解決理論』という授業である。行きがかりがあって作った授業であり、同じような授業を他大学でやったことがある。しかし別にゲーム理論の授業も持っており、内容的にはゲーム理論の話しとかぶるので、今まで開講しなかった。今年は仕方なく開講することにした。
まだ最初であり、この火曜には社会学と社会心理学におけるSocial Conflictの扱いについて講義することにした。その関連で、Resoure Mobilization Theory のことなど、確認しながら講義のpptを作っていたのが時間を食った。ただ、おかげでこの辺の内容を確認できたのが、良かったかも知れない。少しずつ以前の頭の中身に戻ろうとしているように思う。