10/02 学生調査
 先日、某委員会の席上で、大学院生を対象とする調査をすることを私が言い出した。実は昨年の5、6月にもやっている。その調査で大学院生の要望を吸い上げ、教育課程の設計に活かすためである。この調査結果に基づいて実際にいくつかの措置を決め、実施に移している。趣味で調査をやった訳ではない。
 この種の調査をやることに賛成する人は多い。しかしいつも「じゃあ誰がやるんだ」というところで頓挫してしまう。だから今回は「そりゃぁ、私がやるんですよ」と申し上げた。そうでないと進まない。
 さらに数日前、学部の進路指導委員会の代表に、学部生(1~4年生)を対象にした調査をやるようにハッパをかけておいた。この委員会の前身は学生就職支援委員会だった。2001年度、私が最初に委員長であったとき、学生を対象にした調査を行っている。同様に、学生の要望や学生生活、就職活動などの実態を把握するためである。学生の要望はある程度把握できためれど、その折には具体的なアクションにはなかなか繋げることはできなかった。私は毎年、少なくとも1年おきに調査をすることを申し送ったけれど、後の委員には興味がないらしく、調査は行われずに終わっている。今回調査を行えば、事情は少しは変わるだろう。
 個々の調査を実施することが重要なのではない。調査を定期的に行い、教育課程の改善、負担できる範囲でのサーヴィスの向上をするという回路を確立することが重要だと思っている。

 今まで、大学は教員の都合で動いてきた。極論すればであるが、表向きはいろんな理屈が付くにせよ、大学入試は個々の課程で教員の都合のよい形で学生を確保できるように設計されている。入学時点から細かく学生の専攻を決めるなどは、外国には滅多にない。その点でウチの教養学部は、学生のことを考えている方だといえる。特に理系がひどい。また、教育課程は国際的な標準を逸脱しながら、やはり教員の福祉を高めるように設計されている。特定の課程に学生を囲い込んでいるのは、学生を教員が支配しやすくするためである。この傾向が強い理系や教育学部では、全国的には、セクハラが多い。囲い込んでいるからやりやすいのだろう。
 授業はやはり、極論すれば教員がやりたい授業、やりやすい授業を開いているだけであり、学生が何を学ぶべきかなどは眼中にない。この点では教養学部も他学部に伍している。むろん、極論ではあるが。
 埼玉大学がちゃんと生き残るためには、学生の要望を定期的に吸い上げて教育課程の設計に役立てるような回路が必要だと思う。
 むろん一方で、教育は学生の都合に合わせるだけでないことも明確に提示すべきだろう。嫌だろうが何だろうが、勉強しなければならないことはあるのである。そうでなければ大学教育で付加価値はつかない。付加価値なしでは卒業生も大学自体も、淘汰されるだけである。
 大学側は楽をします、その代わり学生にも楽をさせます、という従来の教育をどう克服するか、なのだと思う。

 ニュースでは日本各地で真夏日になったという。確かに今日は日差しが強く、暑かった。またも随分と蚊に食われた。
 大学院生用の調査票の案が送られてきたので、私の方でも調査票案を作って送り帰した。できれば明日中に決着したい。
 学長の馬鹿話についていくつかメールを書いて送る。余計な時間を使っている。
 骨折で入院中の猫の黒子について、動物病院に電話で問合せた。手術後の経過は順調という。退院は火曜か水曜という。しかし抜糸までは室内においておいた方が良さそうだとか。
 夜、頭が飽和状態になる。風呂にでも入ろうと思う。
by Larghetto7 | 2005-10-02 00:19 | 日記風