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9/20 「盛り上がる」
本日、朝から大学で某業務がある。とはいっても何をするのだか、私にも判然としない。ともかく朝が早いというのは辛いとですたい。
このところどうも気になる言葉使いがある。「盛り上がる」である。答案を採点しているとこの「盛り上がる」という動詞がやたらと出てくる。「恋愛が盛り上がる」とか「人間関係が盛り上がる」とか「偏見が盛り上がる」とか。なんじゃこれ、と思っていたところ、少し前に某先生が書いた某文書を見ていたら、なんとかの運動が「盛り上がる」と来たから、学生だけの用法ともいえない。まあ、気持ちは分かるんですね、何らかの水準が上がる、というイメージを表そうとして、うまい動詞が見つからないと「盛り上がる」を使うんでしょう。アクセシビリティによって語彙の探索がショートカットされるんでしょうな。でもカッコ良くないですわな。 何が拙いかというと、感覚だけで言葉になっていることだろう。「運動が盛り上がる」ではなく、運動を担う組織の数がそれほど増えたとか、参加者がどれほどだとか、集まった寄付が何年前の何倍だとか、そのように「事実」で書くのが正しい。「恋愛が盛り上がる」にしても、恋愛関係の段階(よく学者が作っている)が上のレヴェルになったということか、当事者の感情が高まったのか、はしゃぐ行動が目立つようになったということか。 最近の歌謡曲というのかJポップというのか、またにテレビで耳にすると、曲は良いのに語彙がえらく少ないので、ちょっと馬鹿みたい。 買ってきた『ヨハネ受難曲』をかけているけれど、重たい作品だなぁと思う。インターネットで調べると、『マタイ受難曲』は最後の晩餐辺りから始まってイエスの死で終わる。『ヨハネ』の方はいきなりイエスの捕縛から始まってイエスの復活?辺りまで入る。まあ、ストーリーは同じでも切り取っている期間が異なる、ということのようだ。ペテロの「否認」や、ユダヤ人群集がイエスの磔を求めるところなどはどちらも入っているようだ。 イエスの代わりに釈放されるバラバというのが両方に出てくる。『バラバ』という映画があったよね。昔テレビで観たのを覚えている。これでもかという暗い話が続く映画だった。 キリスト教というのは、本質的に快楽追求的な東洋の文化とは違うのかも知れない。 10時から某業務の会合がある。早く終わると思ったら時間がかかった。少し研究室で過ごしてから不二家レストランに食事に行く。13時半からまた会合。やや辟易する。誰も読みはしないだろうが、大学の先生というのは、正常とは言い切れない方が多いような気がする。ウチの学部は割りとまともだ。 今日は雲って涼しかった。日中、小雨が降る。終始、傘はささず。 その間に業務メールがあるも、急を要するのみに答えて帰路につく。 大宮駅で降りて、駅ビル4階の無印良品店に入り、文具を買う。帰宅は18時頃なりや。 業務メールを書いて出す。こんなことに時間を使う。夕食後、猫のチーコのご機嫌をとっていたら、そのまま寝入ってしまった。おきたのは0時頃である。眠かったのだろう。
by Larghetto7
| 2005-09-20 01:11
| 日記風
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Comments(5)
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一介の卒業生
at 2005-09-21 01:58
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自分がド素人なのは棚に上げて言いますが、東洋が「本質的に快楽追求的」だと言われると、仏教や儒教はどうなるんだということになりませんか。両者とも、初期にはかなり禁欲主義的だったのではないでしょうか。キリスト教との違いは、「創造主たる神」という特異点の有無であり、それに伴う来世への関心の有無ですね。
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一介の卒業生
at 2005-09-21 02:21
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追記。
>大学の先生というのは、正常とは言い切れない方が >多いような気がする。 まあそりゃ、自説を押し通して頑張っちゃうのを生業にしているようなものですからね。反証可能性はあるけど、簡単に自説を変えたら「一貫性・独自性がない」となりますから。それに大学ってもともと、一般社会とは価値観が違っててもいい(むしろ違ってるほうがいい)という社会的合意の上に成り立った治外法権領域でしょう。今はその「合意」が成り立たなくなってるから大学と大学人は厳しいんでしょうね。
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Larghetto7 at 2005-09-21 03:53
私もドン素人の話ですから割り引いて考えてもらいたいですけど。
キリスト教と同等のものが日本の仏教の中にあったら、相当の過激派だったんだろうと思うんですね。道徳の中核にこれだけ禁欲を置くものは少ないと思えます。 仏教や儒教の「初期」が何を指すか分かりませんが、仏教は元来が魂の救済の技法であって、欲を超越することは考えるでしょうが、欲を否定する必然性があるとも見えない。儒教は身の修め方、社会秩序の哲学のような話で、社会秩序のために欲を出すなとは言う程度のことのような気がします。 キリスト教というのはある種圧倒的なものを感じるとともに、自分とは異質なものだ、というのが私の直感です。まあ、直感に過ぎませんが、同じようなことは昔から日本人が感じてきたことのような気がする。芥川龍之介というのは、キリシタン物を書いていますが、『西方の人』なんてのを見ても、結局、キリスト教を理解しませんよね。
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Larghetto7 at 2005-09-21 04:11
日本の仏教美術と西洋の美術を素人判断で比べてみると、精神の気高さを描く点で日本の美術は傑出しているような気がするのです。西洋で最も繰り返し素材となったマリア像などは、我々にも理解できる。しかしキリスト教はあれだけ長い期間、磔で苦悶に耐えるキリストの姿をずっと拝み続けたという、理解しがたいことをやっている。磔というのは生殺しの刑ですから、相当残酷なんですが。結局、キリスト教の原点は、他の一神教とは異なり、キリストの受難と復活にあるようだ。
ただ、全く理解できない訳でもない。日本人にとって最も大きな、宗教的「体験」らしきものは、広島であり長崎であるような気がするから。 バッハの受難曲は西洋音楽の頂点としばしば言われる。モーツァルトでもベートーヴェンでもワーグナーでもなく、バッハ、しかも宗教曲なんですね。ここんところがどうにも、理解に到達できないところです。
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Larghetto7 at 2005-09-21 04:19
大学の先生話は、まあ、下らないレヴェルのことですよ。大学コミュニティが正常に機能すれば、大学が一般社会と大きく乖離することはないと思います。
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