2012/09/20 木曜
 YahooのGyaoで中国の歴史ドラマを見られる。むろん基本は有料なんでしょうが、無料で見られるのがあります。『三国志』もところどころ見られ、確かによくできていますな。ただ、『三国志』の方は筋を知っていますので、知らない話の方がより興味がある。その意味で、『大秦帝国』というのが面白いです。1回から14回まで観たところであります。
 この話は、秦の始皇帝が出るよりかなり前、秦の孝公が主人公で、この孝公が衛鞅(後の商鞅)を迎えて改革する、という話なんですね。ですから、三国志の500年くらい前でしょう。最初の1~2回は戦場スペクタクルみたいなんですが、そこから後は外交、内政、謀略へと中身がシフトする訳であります。
 日本の時代劇だと、これほど内部の政争を描くことは少ないですよね。あえていうと秀吉政権の内部、くらいでしょう。描けば面白いとは思いますが。それをまあ、そんな昔の話から、こうやって政権内部のごちゃごちゃした政争まで描く訳ですから、まあ、中国のメンタリティというか、文明の厚みは大したものですよね。三国志も同じですが、それだけ、昔からそういう点に着眼していた訳ですな。
 朝鮮の歴史ものだと、所詮はローカル政権だから大した宮廷があったとは思えないし、どうせ歴史捏造だろうと思えて仕方ないですが、中国が作ると、あっそうか、と思わざるを得ないところがありますな。
 で、時代は諸子百家ですから、結構有名な人もチラリと登場します。13回目だったか、孟子が出てくる。また、衛鞅とともに法家の実務家になった申不害というのも出てくる。斉の学問所で衛鞅が孟子に挑み、好評を博する、という場面がありました。そのときのテーマが性善説と性悪説な訳です。まあ、すごいドラマですよね。

 で、そいつを見ながら、ああそうか、と思ったことがあるのであります。

 まあ、私も、高校の歴史教科書程度の知識しかないので勘違いはあるでしょうが、性善説というのは、人間が本来は善なる特質を持つ、それをどう磨くかという話に行くのでしょう。人としての修練、修業という観点からすると、確かにこの考え方は優れていますよね。ところが、衛鞅ら法家の方は、そういう、個人がどうのという発想がそもそもなく、近代の社会科学の政策論に近い発想をしていたのではないか、と、ドラマを見ていて思いました。
 儒教の考えを政策論に結びつけると、焦点は個人の内面になりますから、やることといったらお説教になる。お説教だけならまだいいですが、行き過ぎると思想改造、整風運動、文化大革命というところに行きつかざるを得ないでしょうね。「お前の心が許せない」という世界です。昔の新左翼も、それで内ゲバで殺し合いをしたんでしょう。
 ところが、法家の方は、個人は問わない。どうでもよい。まあ、良い人もいれば悪い人もいるだろう。が、そこを直すために人間の内面はコントロールの対象としない。コントロールするのは社会システムであり、善くても悪くても、それに従うような制度を設計して、そこをコントロールする、という発想なのではないか、という気がしました。incentive compatible なシステムを作る、ということを考えている。
 ですから、修身の範としては儒教、政策論では法家、という使い方になり、実際、それを実践してきた訳でしょうな。
 まあなにせ、三国志の500年前でしょ。その頃から、かなり高度なことを理論化して来た訳ですよね。そこが凄いですよね。
 日本を考えてみると、花鳥風月を愛でる芸術家は沢山出ていた訳ですよね。『源氏物語』の時代に、同水準の作品が世界にあったかというと、なかったかも知れない。しかし、思想家は、ほとんど教わらなかったですね。いなかったんじゃないの? 熊沢番山とか、名前は上がるでしょうが、それがなんぼのものだったか、でしょうね。藩政改革者とか、いた訳ですが、それが単なる心得ではなく、思想として理論化されることは、ほとんどなかったんじゃないですかね。
by larghetto7 | 2012-09-20 23:45 | 日記風