2012/07/07 土曜  石丸死す
 猫の石丸が今朝の11時頃に死んだ。

 石丸とは、自宅の私の部屋のケージで暮らしていたオスの大猫である。石丸という名は、近所の石丸電気店舗(今はない)の駐車場で私のカミさんがよく見かけていたことに由来する。その石丸が私の家の庭に出没するようになったのは、2010年のはじめころである。石丸は大声をあげながら餌とメスを物色しているようであった。目を大きく見開き、顔の輪郭がはっきりしている。オスの強い猫にはよくあることだが、野良であるのに人間を恐れない。というより、私などにはいたって愛想のよい猫であった。カミさんが気に入って、家で飼ってもよいと口にしたことがある。私は、捕獲できる野良猫は捕獲して去勢ないし避妊手術をすることにしている。人を恐れぬ石丸を捕獲するのは容易だった。去勢手術のために動物病院に連れていった。その際の検査結果では、石丸は猫エイズと猫白血病の両方に感染していたのである。
 感染した猫を私はずいぶんと見てきたが、エイズと白血病の両方に感染した猫は、石丸がはじめてだった。
 その石丸を飼うかどうかが判断だった。私は、家で飼うことにした。石丸がかわいいというより、両方に感染した猫を外で放っておけば、感染が広がるのは明らかだった。そのうえ、外におけば何れ病気が現れる石丸は無事に過ごせるはずはなかった。
 家で飼うといっても、感染した猫を他の猫と接触させる訳にはいかない。だから、私の部屋の、内部が三段になったケージに閉じ込めて暮してもらうことにした。記録では、私の家に石丸が住み始めたのは2010年の2月19日である。だから石丸とは、2年と5カ月、一緒に暮らしたことになる。
 エイズと白血病の両方に感染しているのは、かなり危険な状態である、というのが私の認識だった。だから石丸は長くないと思った。この種の猫の定番として、腎臓を悪化させて死ぬだろう、と思っていた。

 その石丸は、食事をあげるとよく食べた。もともと身体も大きいのであるが、こんなに食べる猫は見たことがなかった。丸々と太り始めた。最初に捕獲したときに病院で測った体重が6kgである。だからたぶん、最盛期は7Kgか8kgあったろう。
 トイレの猫砂を取り替えるとき、石丸をケージの外に出して身体を拭いてあげるのが常だった。身体を拭く間、その太った姿を見ながら、私自身がうれしい気持ちに浸っていた。エイズと白血病に感染しているのに、こんなに太っているんだぜ、こんなに幸せそうにしているんだぜ、といって人に自慢したい衝動に何度もかられた。

 しかし、時が経つにつれて、石丸が食べる量は減っていった。それでも普通の猫よりは太っていた。歳もとってきたろうし、と思い、さして気にはとめなかった。
 たぶん、今年に入ってから、徐々に体重を落としてきたろうと思う。
 我が家では他の病気猫に強制給餌をしている。その強制給餌用の食糧は栄養価が高いので、5月頃から強制給餌用の食糧を石丸に与え始めた。そのうち食べる量がさらに減ったので、強制給餌をし始めた。
 石丸を動物病院に連れていったのは5月27日である。このときは血液検査をした。良くない数字は出ていたが、それだけでは特段の病気という訳ではないと言われた。脱水があったので、その日は点滴をしてもらって戻った。
 同じような状態が続いていたが、ある夜、石丸の息が荒いことに気がついた。翌朝の6月4日に、石丸を動物病院に連れて行った。
 呼吸の音が悪いと分かった。レントゲンの結果、胸水が溜まっていると分かった。すぐに入院し、胸水を抜くことになった。胸水のため、肺と心臓が圧迫されている、とのことだった。
胸水が溜まっていたということは、猫感染性腹膜炎である可能性が高かった。猫感染性腹膜炎は、猫エイズや猫白血病より強い感染症であり、致死率は極めて高い。検査の結果、コロナウィルスは陽性で出ており、症状からして、たぶん猫感染性腹膜炎だったのだろう。猫白血病の感染が猫感染性腹膜炎を誘発しやすいらしい。その時点で、石丸の余命が短いことは分った。

 石丸は1週間ほど入院してから家に戻ってきた。戻った当初は自発的によく食べるようになった。以前の様子に戻ったのである。しかし退院後一週間すると、やはり食べなくなった。体力を維持させようと、強制給餌を続けた。朝は早く起きて強制給餌をしてから出かけた。夜、戻ってから寝る前に強制給仕をした。どの猫も強制給餌は嫌がるけれども、特に石丸は嫌がり、私がシリンジを口に近付けると左手(左の前足)で爪を立てて私の手を遮った。そこを無理して強制給餌を続けた。
 全く食べない訳でもなかった。だから何を食べさせようかと、いろいろ考えた。缶詰、レトルトにせよ、固形食糧にせよ、猫には好みが少しずつ異なる。石丸が好きそうなものを切らさないように買い物をした。
 時折、動物病院に連れて行くが、ステロイド剤を与える以外はすることはない。脱水が進むので点滴をしてもらうのが主だった。
 強制給餌のためケージを出して石丸を膝に乗せる。しかし合間に石丸は出歩く。それを引き留めるのに苦労してた。しかしこの数日、私の膝の上で、石丸に力がないと感じた。次第に弱ってきていると感じた。この2、3日、石丸は長くないのではないかと、私はカミさんに漏らした。
 しかし他方で、石丸はケージの中の段を、死ぬ直前まで跳び上がっていた。それだけの元気はあった。だから、長くないと思う反面、まだ持つのかも知れない、とも思っていた。

 土曜の今朝、私は9時頃におきた。心配で2階に石丸を見に行った。中間の段に、長方体の爪とぎを2つ並べて置いていた。昨夜のように、その上で石丸はしゃがんでいた。
 10時頃、家猫がマタタビが入ったセロファンの袋でじゃれていた。そうか、これがあったか、と思い、残っていた粉末またたび入りのセロファンの袋の一角を切り、またたびの匂いが少し出るようにして、石丸が座っていた爪とぎの脇にテープで付けておいた。先日、石丸がマタタビの匂いを嗅ぎまわるのを見ていたのである。
 庭や1階で用を済ませて、強制給仕をしようと思って11時過ぎに2階に行った。石丸は爪とぎの上で横になっているように見えた。近づいてみると様子がおかしい。急いで触ると、死んでいたのである。
 石丸は下の段に下りて猫トイレで用を済ませ、中の段に跳び上がってから死んだようだった。身体はまだ温かかったが、動きはなく、瞳孔は開いたままだった。
 石丸をケージから出して抱いた。濡らした布で身体を拭いてあげた。それから乾いた布で身体を拭いた。櫛で毛をすいてあげた。同じケージの上の段にペットシーツを敷き、石丸の身体を置いて、その上にタオルをかけた。いつもであれば顔もタオルで隠すのであるが、顔は出したままにした。

 カミさんが用から戻ってきた。石丸が死んだことを告げ、予定を確認した。東松山のペットメモリアルパークに電話し、明日の昼の火葬の予約をした。
 用があり、すぐに出ないといけない。カミさんには花を買っておくように頼んで出かけた。
 夜、家に戻ってから、カミさんが買ってきた花を石丸のケージの中に花瓶ごと入れた。線香を炊いて拝んだ。
by larghetto7 | 2012-07-07 23:45 | 日記風