2018/01/16 火曜 更新したMS Office 365 で数式エディタが使えなくなった件
 1/13にPCに表示が出て,MS Office 365の期限が来たので更新しないと使えなくなるという表示が出た.更新しないといけないのであれば仕方ない,と考えてすぐに更新をクリックすると,自動で更新された.そこまではよかったのであるが,昨日,数式エディタで書いたテキストを編集しようとしたら,編集ができない.パワポないしワードでオブジェクトの挿入を選んでも,これまで選べた「数式エディタ」が出ない.
 本日になって先ほど,MSのサポートに電話をかけた.長いやり取りをした.結論は次である.

1) 数式エディタはセキュリティの脆弱性に問題があるので,使えないようにした.
2) (英語版のofficeでも使えないのか,と私が聞くと確認してくれた.)英語版でも使えない.
3) 今後,対応があるのか?という点は,答え無し.使えるようになったらサイトに書くような話であったが,個別には連絡をくれない.

もともと数式エディタは第3者の作成したソフトであるらしい.それが,今回使えなくなった,ということである.これだとアカデミック関係者への影響は甚大であろう,と電話の相手に申し上げたが,済みませんという返事だけだった.

 実は昨夜,PCをいじっていろいろ試した.どうもMathTypeというソフトをインストールすればよいらしい.30日無料お試し版,というのをダウンロードしてみたら,ワードやパワポで数式エディタと同じように使える.問題ないし,数式エディタより良さそうに感じる.だから30日間はよいのであるが,そこから先が….
 30日経ったらまたダウンロードすればまた使える,ということがあればよいのであるが,そうは甘くないように思う.先ほどネットで調べたら,mathTypeの新しいバージョン6.9が販売されている.しかし安いところで,パッケージ版で27,00円(ダウンロードで25,000円)ですね.高いな.どうしよう?

# by larghetto7 | 2018-01-16 18:09 | 日記風
2018/01/14 日曜 センター試験
 既に退職したのでどっちでもよいのであるが,そろそろセンター試験が終わる時刻であると思う.昨年までの経験だと,センター試験が終わり,答案の点検が済むと監督者の教員は帰ってよい.しかし事務方および管理側の教員はまだ仕事があり,しばらく試験場にいなければならない.試験場の配置を元に戻すのも厄介な仕事である.まだしばらくは帰れないだろう.

 昨日,つまりセンター試験の1日目は,全国的にこの冬で最も寒い朝だった.センター試験の頃が最も寒い日だよね,と私はずっと記憶していた.実際.昨日の朝は外では厚く氷が張った.庭の水道が凍って水が出なかったのはこの冬で初めてである.センター試験の日は,まさに寒さの特異日である.ただ,昨日も日が昇るにしたがって暖かくなったから,結果的には試験日和だったかも知れない.

 このブログは,例年,センター試験の前日くらいから若干,アクセスが増える.たぶん,センター試験という文字列の入った日記風の記載があり,ググるとひっかかるのだろう.ただ,「監督で大変でした」といったことしか書かないので,アクセスする人には失望を与えているだろう.

 私も入試管理委員やらアドミッションセンター員をして初めて知ったことであるが,世間の人が考えるよりもはるかに周到な準備をして,センター試験は実施される.よくこんなことができるなぁと思ったし,それをちゃんとこなす事務方(と若干の教員)は,実はかなりすごいことをやっている.これまであちこちから話を聞く範囲で考えると,埼玉大学はかなり厳格に,まじめに仕事をしているように思う.ほめられてよさそうに思うが,失敗があると非難されるにせよ,上手くやってもほめてもらえないのが入試の常である.

# by larghetto7 | 2018-01-14 17:55 | 日記風
2018/01/12 金曜
文理融合

# by larghetto7 | 2018-01-12 18:20 | 日記風
2017年の病気:振り返ってみると(2018/01/10)
 ここまで,昨年(2017年)の病気関連のことを書いてみた.「大変でしたね」と考えてくださるか「大しことない」と考えるかは人によるだろう.一方で命にかかわることはなかったという意味では,大したことはない.しかし認知的エフォートを投入したという点では,私には大変だったと思う.
 私は何事も億劫がって手を付けない傾向がある.これまで,少なくともこの10年間,理由を付けて億劫がってやらなかったことを,やっと手を付けたという状況と思う.退職したからやったことであると思っている.

# by larghetto7 | 2018-01-10 21:21 | 日記風
2017年の病気(5):減量 (2018/01/08)
 1つ前の記載で,2017年の7月末から血圧への対応を始めたことを書いた.血圧の対応とほぼ同時に取り組んだのは減量,つまり体重を減らす試みである.

 2017年の7月24日に腎臓結石の破砕をしたときの事前の検診では,体重が75Kgあったのである.想定していたより体重が多い.次の日に内科の医院にかかった時にも全般的な検診をしたが,そのときの体重も(当たり前だが)同じだった.
 減量しようと考えた直接の動機は,内科医院での検診でエコーで検査した折,お医者さんが肝脂肪があることを話題にしたことである.肝脂肪があるのは十数年前から分かっており,検診がある度に指摘されていたので,今さらの話である.が,その折,お医者さんが「体重を減らせば肝脂肪も減る」と指摘した.実はこれまで,肝脂肪について私が医者から言われたのは「運動するとよい」という点だった.カミさんや娘は水泳に通っていたことがあり,彼らは水泳を勧めていた.が,在職中はプールに出かける時間を確保するのが,できない訳ではないが億劫だったのである.しかし内科の先生が指摘するように単に体重を減らせばよいのであれば,面倒ではないと思えたのである.体重を減らすなら,食べる量を減らすのが経験上,一番簡単である.

 多くの人は年齢とともに太って来るように思うが,私の場合,体重の変遷は特異である.どの時点の私を知っているかによって,私が太ったと思うこともあれば,やせたと思うこともあるだろう.
 中学生時代は,私は学年の3デブの1人だった.というか,3位である.1位と2位のデブは追随できるようなデブではなかった.ただ,私が3番目としても,同じくらいのデブは他にもいた.だから地位が危ない3位だったのである.何とか3位をキープしようと思い,その頃,大食いに励んだものである.当時の中学校は,1クラス55人ほどで1学年が11クラスあった.少し上なら団塊の世代でもっと多かったろう.当時は,勉学にしろデブにしろ,上位に来るのは競争率が高かったのである.
 高校に入ってからも順調に体重だけは伸びた.高校3年次の健康診断の公式記録では,私の体重は88.5Kgだった.非公式にはもっと重かったときがあるかも知れない.ただ,相撲部にいたので,それはそれでよかったのである.身長が低いのに体重が多いが,筋肉もあったので,不健康なデブではなかった.
 大学に入って少し経過した頃に,意図的に体重を落としたのを記憶している.その時は徹底的に食べなかった.たぶん色気がついたからだろう.体重の変遷がどうだったかは記録にないが,たぶん大学院にいた頃が一番体重を落としていたと思う.埼玉大学に着任したのが31歳である.その頃は体重は65Kg前後だったと思う.
 たぶんその65Kgが最も体重が低いときだったろう.その後,太ったりやせたりの細かい変化はあったが,それほど大きな変化がなかったと,ベルトがほぼ一定だったことから思う.しかし長期的なトレンドとしては次第に太って行った.といっても,40歳台で68Kgくらいだったはずである.
 私が目立って太ったのは,50代半ばで学部長になってからである.その頃,以前の服が着られなくなって,背広や礼服を作り変えたのである.簡単に言えばストレス太りだったろう.慢性的に寝不足のうえ,かなり忙しかったのである.主観的には,自分の健康に配慮する気持ちの余裕はなかった.学部長が大変か楽かは「やりよう」であるが,私はよせばよいのに,目いっぱい,大変にやっていたところがある.
 退職後であるが,たぶん,家にいることが多いので食事の量も増えた可能性がある.外に出れば人目もあるので1人分しか食べない.しかし家にいると明らかに2人分は食べている.

 話を戻そう.ともかく,75Kgは多過ぎる.この体重を減らすと,肝脂肪にもよいし,たぶん血圧にもよいし,腎臓結石にもよいはずである.そこで,血圧の問題をきっかけとして減量することを考えたのである.
 経験では,減量する方法は食べる量を減らすしかない.そこで食生活の切り替えを考えた.私は濃い味を好むし,脂っこいものが好きである.今後を考えると,なるべく糖尿病患者の食事のようなものを,より少なく食べるのが良いはずである.
 そこで,食生活を一瞬のうちに変えた.簡単に言えば,これまで1食を2人分食べていたものを,1人分(実は1.3人分くらい)に減らしたのである.刺激の強いものも避けるようにした.象徴的には,朝食をコーンフレーク(ないしグラノラ)+牛乳に切り替えた.
 9月になる頃には明らかに胴回りが細くなった.そこでベルトをかなり短く切ったのである.9月末から非常勤の授業で埼大に行くと,会う人から痩せましたね(言外に病気ですか?)と聞かれたものである.いや,食事の量を減らしているんですよ,と説明した.ただ,その頃,近所のドラックで一番安い体重計を買ってきて測ったのであるが,体重はなおも70Kg強あった.胴回りは(外見も)細くなったはずであるが,体重はせいぜい5Kgしか減らない.70Kgはやはり多いのである.優しい人は「筋肉が多いんでしょう」とか「骨が重いからよいことだ」と言ってくれるが,この身長で70Kgは多い.
 簡単にいえば,体重は食べる量と運動量の関数である.私のTheoryでは,運動量はほどんと効かないから,体重は食べる量で決まる.食事量を減らせばその量に見合った体重で均衡するが,その均衡値より低くなることはない.減らした現在の食べる量を維持したら現状の体重のままである.70Kgを割るためには,さらに食べる量を減らす必要がある.
 さらに減らすとすれば,食事の中では重い夕食の量を減らすべきであるのは明らかである.そこをやるかどうかの問題であろう.
 正月前後に,体重は70Kgを割り始めた.40代の68Kgに近づいて来た.しかし当面の目標の65Kgにするためには,やはり夕食をより軽くする必要があるように思う.

# by larghetto7 | 2018-01-08 22:48 | 日記風
2017年の病気(4):高血圧 (2018/01/07)
 1つ前の記載で,2017年の7月24日に腎臓結石の破砕の「手術」をしたと書いた.実はそのときの手術前の検診で,血圧が異様に高かった.この血圧問題が2017年の後半の最大の健康問題と化したのである.

 これまでも血圧は,治療の対象にはならなかったものの,検診するとやや高めではあった.が,そのときの血圧の値はそれまで経験したことのない高さであり,私も驚いた.そのときの「手術」も,実は降圧剤(急に血圧を下げる方の薬)の投与を受けて行ったのである.
 この手術は1泊であり,次の日の昼には退院した.電車に乗って帰宅してからすぐに,午後の受付が始まる頃に,近所の循環器内科の医院に駆け込んだ.その医院はよく行っている医院であり,いかにも博識そうなお医者さんでよく説明してくれる.そのお医者さんが循環器内科の専門医であると知ってすぐに受診したのである.

 前の日の血圧測定の記録は退院した病院の看護婦さんにお願いして書き出してもらっていた.その記録を見せて内科のお医者さんに説明したのである.受診すると最初に,測るときの様態によって血圧はいくらでも高くなる,という説明を受けたが,その場で測定しても確かに血圧は高い.血圧が高まるような病気が他にあるかどうかの検査から始まった.尿検査や血液検査,エコーなどをしたように思う(次の日までかかったかも知れない).特に病気はないようなので,「血圧は時間をかけて下げましょう」と言われた.血圧を下げる薬を渡され,少なくとも薬が切れる2か月後までには再診するように言われた.血圧の薬は5日くらいして効いてくるという.同時に,自宅で血圧計を買って毎日,朝晩,血圧を測るように指示された.『私の家庭血圧日記』という冊子も渡された.さすがに血圧に関してはよくシステム化されている.
 それで標準1日3回,血圧を自宅で測るようになった.記録をつけると確かに,降圧剤を飲み始めて5日くらいで血圧は下がってきたように思う.標準的には,最高血圧で110~120くらいに収まってきた.ただしあくまで薬を飲んでの話である.また,測定結果のばらつきが大きいというか,一貫性に疑問が出た.
 1月ほどして再度受診した.そのときは自宅の血圧計も持参し,測定の仕方がこれで正しいかを確認することが目的だった.
 測り方にまずいところがあるという指摘を受けた.まず血圧を測る前には十分休息する必要があることである.また,血圧計の腕帯を付け,できれば5分してから測るのがよい,と説明された.よく考えると,その医院ではそのように血圧を測っている.
 よく医院には待合室に血圧計が置いてある.その医院には張り紙があり,到着して20~30分休憩してから血圧を測るように,と書いてあるのに気が付いた.血圧って,よく,行列で並んで測定するではないか,と私が言うと,そういう測定だと正確には測れない,と説明された.
 血圧日記も持参し,お医者さんに血圧測定の経過も説明したが,その折に複数回測定した際の平均値の出し方なども教わった.
 さて,薬をもらって2か月して,薬がなくなった頃に再度その医院に受診した.その頃までには血圧はだいぶ安定した感じであったけれども,あくまで血圧の薬を飲んでの話である.弱い血圧の薬が出たけれど,血圧が継続して高い場合に飲むように,という指示で,血圧の薬は飲まないようにすることになった.
 実はこの受診のときに,お医者さんは血圧より,私の喘息症状の方を気にして私に注意していた.喘息症状の把握のために朝晩ピークフローを測定して記録することの指示があったのもそのときである.喘息の方が危険だという判断だったようだ.

 薬は飲まないことにはなったけれど,何週間か,もらった弱い血圧の薬を私は飲み続けていた.薬への心理的依存が抜けなかったからである.しかし10月の中頃には薬を飲むのを止めたと思う.
 薬を飲まなくなってから,案の定,家で測定する血圧は上がっていった.同時に,繰り返して測定したときに結果が安定しない,という現象も目立ってきた.
 なぜかと考えた.1つの可能性は寒くなったことである.血圧の薬を飲み始めたのは夏でそれなりに暑かった.暑ければ血圧は下がる.しかしだんだんと気温が下がってきたのである.その頃,いくぶん寒さに震えることがあった.夏が過ぎたのに薄着のままであり,しかも2017年の秋は雨の日が多く,気温が低かったように思う.
 そこで厚着をすることにした.もともと私は習慣的に薄着の方だった.亡くなった母は私に股引を履くようにうるさく言い,股引を私に渡す.その配慮は有難かったが,私は股引を履くことはずっとなかったのである.まあ,50を過ぎたら真冬には股引も履いたが,履く期間はごく最近まで短かった.それだけ元気だったのだろう.しかし加齢にともなって,身体も寒がりになったに違いない.厚着をする上に,11月には家に暖房を入れるようになった.
 厚着と暖房によって血圧も安定してきたように思う.同時に,血圧を測るときに呼吸を整えることが次第にうまくなった.夏に血圧の薬を飲んでいるとき程度に血圧は安定してきたのである.
 継続して測定していると,血圧は体温のようなもので,状況に応じて上下する,それは仕方ないと思うようになった.だからこれからも上がったり下がったりするかも知れないが,今測定している範囲で推移する限り,それほど心配することではないように,今は思う.血圧を日常的に管理する,という体制になったことで,問題の多くは解決したのではないか,という気がする.

 血圧については,調べてもいないが,正直,分からない面がある.
 第1に,この年の後半で血圧が高かったり下がったりしたのであるが,実態は何も変わっていないのではないか,という疑問も感じる.7月の手術時になぜ血圧が高かったのかは分からない.しかし病院に手術に行き,何をするかもわからなかった訳であるから,異様な興奮状態,ないしストレスを感じる状態であっても不思議はない.また,治療の過程で血圧の測定値は下がりはしたけれど,実態は同じで,単に血圧を測定するそのやり方がうまくなっただけではないか,という気もするのである.
 第2に,そもそも血圧とは何か,血圧の測定は一意的なのか,という疑問もある.まず,古典力学的には,「力」は構成概念であって直接は測定できない.「力 = 加速度×質量」であり,加速度や質量から力を定義しているだけである.血圧とは何の力であろうか? さらに,店頭に並んだ血圧計を眺めていると,血圧測定の方法は異なった特許によっており,本当に同一のものを測っているのだろうか,という疑問もある.私が家庭用の血圧計をお医者さんのところに持ち込んで,その場で,自宅の血圧計とお医者さんの血圧計の結果を比べてもらったのであるが,自宅の血圧計の方が,最低血圧が高く出るのである.機械は血圧を心臓の収縮音で判断するが,最低血圧の方は判断が難しい,という説明をその場では受けた.だからどうも,血圧測定結果も,一意なのかどうか,私には分からない.
 楽観的に考えれば,明確にひどい結果でない限りは,そんなに心配してもしょうがないということではないか,という風にも思えるのである.

# by larghetto7 | 2018-01-07 23:21 | 日記風
2017年の病気(3):腎臓結石 (2018/01/03)
 2017年7月の末に,病院に一泊して腎臓結石で手術をした.

 といっても2017年に腎臓結石になった訳ではない.腎臓結石になったのは30年ほど前である.2017年になって初めて手術をした,というのが正確である.手術といっても切った訳ではなく,外側から背中に衝撃波を与えて腎臓の中の石を砕く方法をとったのである.正式には体外衝撃波腎・尿管結石破砕術というらしい.
 この病気は,腎臓で酢酸カルシウムなどが集まって石になり,その石が砕けて尿管を通るときに尿管を傷つけて痛みを生じる(尿に潜血も出る),というものである.石ができるのは腎臓で,痛くなるのは尿管であるから,腎臓結石といったり尿管結石といったりする.化学的な理由は分からないが,尿酸値が高まるとなりやすいという.尿酸値が高まると通風になるので,当初,医者からは通風対策を指導されたように思う.幸い,痛風は経験せずに済んでいる.

 ことは,私が30代の半ばに1年近くアメリカに行っていたことに遡る.アメリカは外食しても食物の量が多い.また肉(牛肉)が日本より安いから,家でもホイホイと肉を多めに食べていた.おかげで滞米中にかなり太った.帰国後,人間ドックにかかったのであるが,そのときに「腎臓に石灰化の兆しがある」との指摘があった.石灰化というのは,たぶん結石になりかけているということだったのだろう.ただ,すぐにどうこうすることはないような説明だったので,気にはしたけれど,特にアクションはとらなかった.
 それから1,2年後のある日,私は教養学部棟の5階資料室で雑談をしていた.5階資料室というのは,当時,宮原先生,小松先生,霧生先生,安達先生,あるいは阿部先生などがよくとぐろを巻いていた場所である.以前なら「5階資料室」といえば「ああ,あれ」と了解されたが,現在の教養学部在職者には分かる人はいないと思う.ともかく,その5階資料室で雑談をしていたら,突然,激しい腹痛に見舞われた.そのときは何喰わぬ顔で過ごしたが,夜に帰路についても腹痛は続いたのである.
 そこで,北浦和駅近くにある大きい病院(埼玉社会保険病院といったか? 今は埼玉メディカルセンターといっている)に夜間で駆け込んだ.当直医からは,夜間であるのでちゃんとした検査はできないと説明された.最初は,心配事でもあるんじゃないですか,といった軽い対応をされたけれど,簡易で行った尿検査で潜血があったらしく,おそらく腎臓結石である,泌尿器科にかかるようにとの指示があった.
 次の日か間が空いたかは覚えていないが,ともかく最速で,その病院の泌尿器科にかかったのである.検査の結果,やはり腎臓結石と判明した.上記のように,当初はお医者さんは通風になることを心配して,ともかく尿酸値を下げるよう薬を処方されたのである.その薬はウラリットとザイロリックといい,定番の薬であると後で知った.今はジェネリックの薬で名前は変わったけれど,実質は同じ薬を,この30年間,ずっともらっていることになる.

 腎臓結石で何が問題かというと,石が尿道から排泄されるときに痛いことである.痛いときの頓服薬もあるにはあるが,通常は薬は使わず,水を多めに飲んで石が出やすくする.最初の何年かは,夜も眠れないほどの痛みがあることもあった.救急車で病院に行ったこともあり,行ってから結石が原因と分かったこともある.
 しかし,ある程度慣れてしまうと予測ができるので,何となく深刻さは薄らぐのである.腹痛があると石のせいだろうと考えるが,100%当たった.腹痛の数日後には尿と一緒に石が出るのである.腎臓そのものの機能とは別であるため,結石があること自体はそれほど気にならなくなった,というのが正直なところである.そのようにして30年間,2か月おきに同じ病院に今も通って,同じ薬をもらっているのである.
 深刻さの欠如によってこの病気が長引いたといえるかも知れない.毎回,2か月分の薬が処方されるのであるが,実は本当に薬を飲んでいたのは2か月のうち2日だけ,つまり通院の前日と当日だけだった.前日と当日薬を飲めば,診察時の尿検査でそれなりに良い結果が出ることを学習したからである.という訳で,家には買っただけで飲まない薬が溜まっていった.そのうち医薬分業になったので,処方箋をもらってもほとんど薬局に持って行かないようになっていったのである.
 それでも,30年間,2か月ごとに通院していることにはメリットもあった.毎回尿検査をして一応の検査項目を調べるし,たまに血液検査や,レントゲン,エコーの類をやるものだから,簡易の健康診断を定期的に行っているようなものだったことである.

 で,2017年に入って1月か2月に病院の泌尿器科にかかったときのことである.担当医から腎臓にある石を体外衝撃波破砕術で砕く「手術」をすることを勧められた.今までは良かったが,高齢になって大きな石が尿管に降り,ひっかかって化膿したりすると重篤になる恐れがある,今のうちに処理しておいた方がよい,ということであった.退職して暇になるので,次に受診したときに手術の手筈を決め,春にでも手術をするつもりになった.
 ところが,その2か月後というのが,まさに帯状疱疹になったときであり,泌尿器科どころではなくなったのである.病院の予約も流して,通院は帯状疱疹が収まってから,と決め込んだ.
 実際に泌尿器科に次に行ったのは6月26日月曜だった.それでやっと手術の予約を入れた.手術日は7月24日で1泊である.実は日帰りでも良いのであるが,事後処置が必要になる可能性を入れて1泊するという話だった.

 7月24日は朝早く病院を訪れた.一応の検査の後に事前処置(麻酔?など)をし,昼頃に30分ほど施術があった.薬も入ったので2,3時間はぐったりと,病室で横になっていた.施術の直後は見たこともないような血尿が出て心配したけれど,そのうちに収まった.次の日,簡単な問診だけで帰宅したのである.
 1泊の入院中を含め,その手術の後の2か月くらいで10数個の,大小の石が尿から出た.だからこの手術によって体内にある石はかなり出たのだろう.
 その後の進歩の1つは,薬を指定通り毎日服用するようになったことである.毎日服用するのは,退職して暇になったから,という理由もあるように思う.
 ちなみに,この手術の費用は差額ベッド代などを含めて9万円程度だった.申請したら社会保険で6万円くらいの還付があったから,保険制度というのは手厚いのだな,とそのときに感じた.

# by larghetto7 | 2018-01-03 19:06 | 日記風
2017年の病気(2):帯状疱疹 (2018/01/02)

 2017年に患った病気のうち,最も病気らしいというか,派手な病気は帯状疱疹だった.帯状疱疹は喘息とともに,退職直前の3月後半に現れた.
 日記を見ると,退職を10日後に控えた3/20頃から喘息の症状が強くなり,3/21火曜に喘息で医者に行っている.後から考えるとこのときに既に身体に痛みがあった.3/23には脇腹の痛みで夜も眠れなかったのである.当初は帯状疱疹という概念は私にはなく,ちょうど大学で実験室の整理をしながら肉体労働をしていたので,ある種の筋肉痛か,神経痛のようなもの,と考えていた.だから痛みのある個所に湿布薬などを貼っていた.我が家は私が最高齢であり,帯状疱疹の経験者はいなかったのである.帯状疱疹という可能性が思い付き,3/25土曜の夕方,受付終了間際にたまたま,皮膚科の医院に受診してみたのである.そのときは,帯状疱疹ではないよね,ということを確認するつもりであったが,受診するとすぐに帯状疱疹ですと言われた.湿布薬など貼ると悪いのですぐに取るように指示された.帯状疱疹はさすがに皮膚科のお医者さんだとお定まりの病気らしく,飲む薬も標準化されているようで,その薬をもらって帰ってきた.
 土曜の夕方にたまたま皮膚科にかかったのは幸運だった.もしそのときに医者に行かなければ,日曜日は休診日だったので,早くても月曜まで真の病名が分からず,状態を悪化させていたはずである.
 発症した患部は右脇腹を中心に背中とお腹であった.ある意味,月並みな帯状疱疹の場所である.顔に帯状疱疹が出ると大変で,お腹でよかったねと,3人のお医者さんから言われたものである.
 帯状疱疹はそれで死ぬというものでも(たぶん)なく,対処方法や薬も標準化されている.後で話をすると患った方も結構多いと分かった.だから,軽症でも死ぬことのある喘息に比べれば大したことはない,というのは終わったから言えることである.当初は未知の病気であり,しかも身体になかりの痛みがあるので深刻に感じた.
 けれども,私は退職までに,つまり3月中に研究室と実験室を整理しないといけない.普通なら待ってもらえるが,実験室の方は,ウチの社会学のグループは2月中にも出ていけという感じであったので(時の学部長執行部にガバナンスがないせいもある),私としては意地でも3月中に整理して実験室を空けておくしかなかったのである.本来なら発症した当初は安静にすべきだったが,身体に無理を強いてそのまま実験室の整理という力仕事を続けた.3月31日でも終わらず,4月1日と2日の週末にも大学に来て大学の部屋の整理をしていたのである.
 だから私は,しみじみと退職したのではなく,痛みと喘息をこらえながらやっと部屋を整理して慌ただしく退職したのである.4月2日になんとか整理が付き,夜に帰るときには,これでやっと退職できたと安堵したほどだった.それから数日,家で寝ていた.
 私が医院でもらった帯状疱疹のパンフレットでは,4~8週間で治るとあった.3月後半に始まった訳であるから,5月の連休の頃には全快しているであろう,という目算だった.ところが思ったより長引いた.何もしないでも痛みがある状態は4月の中頃には終わったように思う.しかし身体を動かすと皮膚と服の間で摩擦があり,そのために痛みがある状態はずっと続いた.だから右腕は使いづらかった.5月を過ぎ6月になっても皮膚の違和感は続き,7月に入る頃まで薬(次第に弱い薬にはなったけれど)を飲み続けていた.皮膚の違和感がなくなったのは秋に入る頃ではないかと思う.科学的な根拠はないけれど,発症した初期段階での処置が拙かったこと,に加えて無理に身体を動かしていたことが悪かったように思う.

 私の帯状疱疹は,今から思うと喘息と一緒に出ていた.だから(科学的根拠はないが)根は一緒なのではないか,という気がする.免疫力が落ちたところで喘息と帯状疱疹が発症したのだろう.免疫力が落ちたことの原因はむろん老化である.ただ,その間のストレスが発症時にピークに達していたように思う.
 退職する直前ではあったが,私の授業などの業務は人と変わらない.年度末には授業の処理も普通にある.卒論指導も普通にやっていたし,修論については,留学生の修論指導・審査を5つ抱えていた.入試業務も,退職を控えた教員としては例外的に多かったように思う.人のやりくりが大変であり,退職する人の中では私に信頼感があるのは(自分でいうのもなんだが)仕方ないように思える.むしろ仕事があるだけ有難いと思うべきと感じた.
 通常でない要因は研究室,特に実験室の整理をしなければならなかったことである.実験室については,前に退職した人の荷物まで抱えていて,私が自由に処置できればまだ楽だったが,後から現れて自分で整理すると言ってきた人がいた.私に処理を任せてくれと言ってもだめで,ご自分でやると聞かず,しかも案の定その方の作業が長引いたので(しかも面倒な荷物は残したままであった),私の作業自体が遅れたのである.
 もう一つ,アーカンソー州立大学とのダブルディグリーのプログラムのまとめが,やはり私がやってしまう他ない状態だった.2月から3月にかけて,実験室の整理を遅らせてその作業に集中した.プログラムについての学長説明をしたのが3月17日であり,それでやっと,大学の業務を終えた,という感じであった.喘息と帯状疱疹が発症したのはその直後であるから,その辺で一気にストレス負けしたような気がする.

 しかし,退職時に忙しかったのは悪いことではなかったように今は思う.もし仮に,退職前の半年くらい,大学の業務が免除され,静かに退職を見つめながら生活することを求められたらどうだったか? 逆に退職ブルーに見舞われ,うつ状態になったかも知れない.その方がストレスが大きかったろう.だから,退職時に忙しくさせて頂いたのは有難いことだったのだろうと今は思う.

# by larghetto7 | 2018-01-02 20:11 | 日記風
2017年の病気(1):喘息 (2018/01/01)
 2017年は私の退職の年であった.が,現実には,退職云々を考えるよりも病気のことを考える方が多かったように思う.結果から言えばそれほど深刻にはならなかったけれども,主観的には大変な思いがあった.
 まず喘息(ぜんそく)である.

 私は20年ほど前,40代の時に喘息がひどかったことがある.それまで,医者に行って喘息といわれたことはなかった(子供のころに小児喘息といわれたことはあったかも知れないが,記憶もはっきりしない程度である).それが,風邪が抜けない,息苦しい,ということがあり,病院に行ったら簡単に「喘息」と言われた.医師が私の肺のレントゲンを見て「ひどいね」と言っていた.それで,少なくとも1年は通院して薬を飲み続けていた.その頃は別の病気のこともあり,一時期,何も手がつかなかったことを覚えている.大学で入試管理委員を年度途中で降りたのもその頃だった.
 その後の20年間,喘息が問題だったこともあったかも知れないが,特段の対応をしたことはなかったと思う.だから「以前,喘息を患っていた」くらいの感覚だった.
 喘息が再び活性化したきっかけは,2017年に入った1月の25日に風邪症状が出たときである.次の日に体温を測ると37.5°だった.症状からするとインフルかと思ったけれど,医者にいくと,その程度の熱ではインフルの検査はできない(しても陰性になる)とのことで,風邪としての処理になった.この風邪がなかなか抜けなかったのは,喘息の症状を伴ったからである.その頃から医者から,シムビコートという,今はよく普及した粉末吸入用の薬を処方されたと思う.この文を読む方の中にもシムビコートを持っておられる人がいて不思議はない.
 以前に喘息だった頃との違いは,現在はシムビコートがあることである.呼吸が困難になってもシムビコートの吸入で症状は緩和できる.こんな便利な薬は20年前にはなかった.ただ,私はシムビコートを頓服薬と思って使っていた.
 とはいえ,喘息はなかなか抜けなかったのである.喘息の症状は2月になっても出た.ひどかったのは3月20日頃からであり,3月21日に医者に行っている.この時にはシムビコート以外に,胸に貼るパッチのような薬ももらったけれども,効果の点でシムビコートの方が明らかだった.
 ただ,喘息はその後も断続的に続いた.梅雨に入る前の時期に雨が多かった.その時期にも喘息の症状は出たと思うし,夏になっても喘息は続いたのである.
 転機が訪れたのは8月に,別の病気のために循環器の内科医を受診したときだった.医師は目的の病気のことより,私の喘息の方を気にした.そのときに指導を受けたことで進展があった.
 第1に,ピークフロー(吐く息の強さのようなもの)を朝晩測定することを勧められた.ピークフローを測る器具(筆入れ程度のサイズ)も渡された.その測定結果をグラフで記録するピークフロー日記なるものも渡された.だからそれ以後,ピークフローを日常的に測るようになったのである.呼吸の困難さがピークフロー値で現れる(値が低いと悪い).この測定によって,喘息の状況が(以前よりは)客観的に,自分で把握できるようになった.
 第2に,シムビコートは,頓服薬として使うのではなく,常用すべきという指導である.私にはどうも,貧乏性か,薬は飲まずに我慢できれば我慢しよう,という頭がある.一般論として薬には副作用があるだろうという思いもある.ただ,シムビコートは頓服薬ではなく喘息を事前に抑えるための薬である,ということだった.
 第3は,水を多く飲むようにという指導があった.
 症状が軽い喘息でも年間に結構多くの方が死んでいる,ということがあり,軽くは考えずに対処した方がよい,ということであった.
 基本的に以上の点を守ることによって,現在は喘息はコントロールされた状態にはなった.確かに喘息の症状は出るのであるが,それほどひどいことには,今はならなくなった.
 喘息がよくなった訳ではないのだろう.ただ,自分で状況を把握するようになった,コントロールするようになった,という点が変化のように思う.

# by larghetto7 | 2018-01-01 18:35 | 日記風
2018/01/01 月曜 年賀
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明けましておめでとうございます.

# by larghetto7 | 2018-01-01 13:07 | 日記風
2018/01/01 月曜 元日
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 年が改まる時刻に近所の千勝神社にカミさんと初詣に出かけた.例年のごとくである.息子は今から鷲宮神社まで行くという.初詣用の電車が夜半に出ているようである.

# by larghetto7 | 2018-01-01 00:44 | 日記風
2017/12/31 日曜 年末のベートーヴェン
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 例年,年度末には一塊の楽曲を聴いている.ベートーヴェンの交響曲全集を聴くことが多い.あまり考えたくなかったので,今年も同様にした.

 以前だとCDを続けてかけていた.が,最近はApple Musicに入っているので,ネット経由で聴いている.あえて,ブルーノ・ワルター指揮でコロンビア交響楽団による,昔の演奏を選んだ.

 ワルターは私が10歳くらいのときに亡くなった大指揮者である.その何年か後に,レコード屋さんでレコード(LP)を買う,という習慣を私は始めた.だからレコードを買い始めた頃は,ワルターは決して過去の指揮者ではなかったのである.当時,カラヤンは歴史的な録音を既に残していたけれど,それほどの権威ではなかったように思う.まだ,フルトヴェングラー,トスカニーニ,ワルターらの存在は大きかったように思う.

 ワルターという人は,ナチスの台頭とともにヨーロッパからアメリカの避難した音楽家の1人である.クレンペラーとともにマーラーの弟子として知られる.アメリカではコロンビアが彼のためのコロンビア交響楽団というのを作り,レコード録音を残すことになった.だから,ワルターは晩年の円熟期の,良い状態の録音が残っている指揮者である.

 ワルター=コロンビア響のベートーヴェンのLPを,今から半世紀くらい前に,何枚か私は買っている.だからApple Music 経由で聴く今回の演奏も,ある意味で懐かしい.よく聴いた6番田園の第2楽章などはしみじみ美しいように今回も感じた.

 Apple Music は経費が高いという話もある.しかし,退職した今は起きている時間の半分くらいはApple Music をかけているから,もとは十分とっているように思う.Apple Music の欠点は日本の歌謡曲に偏りがあることである.著作権の問題であろう.例えば,山口百恵はまったく聴けない.だからたまに,iTunesで山口百恵をダウンロードしなければならない.松山千春も,ほとんど聴けるのであるが,なぜか「人生の空から」は対象外になっている.だから百円くらいで「人生の空から」を買った.最近では,下田逸郎の「銀の魚」をAmazonの中古CDで買って,iTunes経由で聴けるようにしたものである.

 という訳で,いつもクラシックを聴いている訳ではない.クラシックもかけるが,歌謡曲もかけており,ジャズも時間的には聴いている.

 で,この年末,Apple Music 経由で初めて知ったのが,上の写真にある First Aid Kit という,冗談のような名前のスウェーデンの姉妹である.スウェーデン出身ではあるが,アメリカのカントリーから入ったようで,ぼんやり聴く分にはカントリーのような気がする.声が心地よい.まったく違うと言えばその通りであるが,亡くなったオリガというロシア人歌手がアニメ『攻殻機動隊』の主題歌を歌っていた.個別の11人の話の頃である.高音部の響きがそのオリガのような感じがした. 

# by larghetto7 | 2017-12-31 17:11 | 日記風
2017/12/29 金曜
相撲協会の件

# by larghetto7 | 2017-12-29 23:23 | 日記風
2017/12/28 木曜 風邪をひいている
 今,風邪をひいている.
 12/23土曜の夜8時過ぎ,熱がありそうに思えて体温計で体温を測った.38.4°あった.私としては高熱である.すぐに近所の,休日夜間診療所に駆け込んだ.
 インフル検査もした.陰性だった.風邪であろうということで数種類の薬をもらった.ただし休日夜間で出せる薬は2日分だけである.直らないので,月曜に普通に医者にかかった.ふたたびインフル検査をしたが,やはり陰性だった.風邪をこじらせたんだろう,ということで,やはり数種類の薬が処方された.主となる薬は大きな錠剤の抗生剤である.治療は今どき,インフルの方が簡単なのである.
 現在,まあ良くはなってきた(のだろう).

 振り返ると,2017年は1月の終わり頃に風邪をこじらせた.今から思うと,それが2017年における数々の病気の始まりであったように思う.そして年末,また風邪をこじらせてこの1年をしめくくることになる.
 この2017年は,確かに退職した年と特徴づけるべきかも知れないが,ある意味,病気の年であった.よせやい,という気もするのであるが,どんな病気に見舞われたかにつき,記録のつもりでこの年末年始にまとめてみよう.

# by larghetto7 | 2017-12-28 17:39 | 日記風
2017/12/19 火曜 家の猫:ピョン吉
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ピョン吉

 ピョン吉は成猫になりかけたオスの子猫である.母親がマルピョンという野良猫で,家の庭によく来る.そのマルピョンが子供を産むのであるが,マルピョンは子育てがダメというか,本人が病気を持っているのか,子供はうまく育たない.軒並み,子猫の目が悪くなるのである.このピョン吉も途中までは元気そうだった.しかしやはり目がやけに悪くなり,そのままでは生きていけないので家に引き取った.
 この写真では分からないけれど,ピョン吉は両目とも完全ではない.右の眼の角膜に皮膚との癒着があり,視界が完全ではない.左の眼がずっと悪かった.一時は目が腫れて角膜の部分が突き出たのである.獣医師に診察してもらったところ,目が見えなくなるにしろ,眼球を保持するために手術しよう,という.そこで角膜を切除し,瞼を縫い合わせてふさいだ.その状態で一か月以上,縫い合わせた目の隙間から目薬をつけて治療したのである.幸い,瞼を戻すと眼球は保護されており,視力もあるようだった.しかしまだ角膜に白濁が残り,視界は完全ではない.
 大きくなるにしたがって長毛のような風貌になった.写真では分からないが,毛が長いので尻尾が長くて太く見えるのである.よく外国にいるような猫に見える.ただ母親からして,遺伝子型としては雑種である.
 体調も上がったり下がったり,である.早く元気になってほしい.


# by larghetto7 | 2017-12-19 21:45
2017/12/18 月曜
人文系学部長会議共同声明2015

# by larghetto7 | 2017-12-18 18:54 | 日記風
2017/12/15 金曜
教員養成・文系部局の削減

# by larghetto7 | 2017-12-15 19:29
2017/12/01 金曜
学長任期6年

# by larghetto7 | 2017-12-01 17:56 | 日記風
2017/11/22 水曜
2007年の学長選考(下)

# by larghetto7 | 2017-11-22 22:12 | 日記風
2017/11/20 月曜
2007年の学長選考(中)

# by larghetto7 | 2017-11-20 00:56 | 日記風
2017/11/17 金曜
2007年の学長選考(上)

# by larghetto7 | 2017-11-17 21:16 | 日記風
2017/11/09 木曜
秋の北浦和公園
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# by larghetto7 | 2017-11-09 21:40 | 日記風
2017/10/20 金曜
サマープログラムはいかに鍛えられたか(下)

# by larghetto7 | 2017-10-20 23:45 | 日記風
2017/10/09 月曜
サマープログラムはいかに鍛えられたか(中)

# by larghetto7 | 2017-10-09 23:45
2017/10/07 土曜
サマープログラムはいかに鍛えられたか(上)

# by larghetto7 | 2017-10-07 23:45 | 日記風
2017/10/03 火曜  井の頭自然文化園
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 本日,カミさんと一緒に井の頭自然文化園に行ってきた.
 先週,葛西臨海水族園に行った.その折,東京ズーネットというのがあって,上野動物園,葛西臨海水族園,井の頭自然文化園,多摩動物公園の4つで構成される,と知った.じゃまあ,このズーネットの他の施設にも行ってみようか,という興味が沸いて,井の頭自然文化園を選んだのである.
 私は大学生の1,2年次に,京王井の頭線の永福町駅から歩いて10分ほどのアパート(下宿という方がよいかも知れない)に住んでいた.永福町より少し先に行けば井の頭公園になる.駅で「井の頭公園」というアナウンスは頻繁に聞いていた.けれども,私は井の頭に行ったことはない.下宿の周辺と大学の構内以外はほとんど足を運んでいない.
 私は,永福町,東池袋,田端と,東京都下に10年くらい住んでいたと思う.ではあるが私は東京はよく分からないし,親しみも感じない.特に山手線の西側には距離感がある.私とは違う人種が住むところ,という感覚がある.
 今日は,晴れれば井の頭,雨なら池袋のサンシャイン水族館,と決めていた.予報の雨にはならず,晴れ間もあったので,井の頭にしたのである.
 東京駅経由の熱海行きの電車に乗ったので,東京駅で中央線に乗り換えた.湘南新宿線の電車に乗れば新宿乗り換えだったので,その場合よりは吉祥寺に着くのが遅れた.カミさんは吉祥寺駅で降りたことがないらしい.私は,あると思うが,よく分からない.歩いているうちに緑地が見えたので行ってみると案の上,井の頭公園の池の辺りだった.来たことはないが,「ろくでなしブルース」で前田太尊が葛西との決着をつけたのがこの井の頭公園だったんですよね.
 歩いて自然文化園の入り口にたどり着いた.入場料は大人400円であるが,私は高齢者割引で200円だった.入ったところの茶店で,私はなんとかのサンドイッチ,カミさんはポテトチップを飲み物付きで食べた.
 動物を見て回った.この公園は象のはな子だがいたという栄光に輝くのであるが,今は大きな動物はおらず,リスやタヌキなどの小動物が中心である.動物園としてみた場合,私の現住所の近くにある東武動物公園にははるかに及ばない.
 しかしこの自然文化公園をあるいていて,地方国立大学の構内を歩いているような感覚にとらわれた.あくまで親方日の丸で,もらっているものでやっているだけですから,いろいろちゃちいし,人を呼べるようなものはないですよ.でもこの贅沢な空間の使い方.世間とは別の時間の流れ.それを楽しめばよいのではないですか.そんな風に言われているような気がした.
 着いたのが遅く時間もないので,水生物園には行かず,本園の動物園で休んだ.さっき食事した店で飲み物をたのんで飲んだ.
 閉園が近づいたところで園を出て吉祥寺駅まで歩いた.新宿まで中央線快速,新宿から埼京線の通勤快速に乗り,大宮で宇都宮線に乗り換えて帰った.

# by larghetto7 | 2017-10-03 23:45 | 日記風
2017/10/02 月曜
続・非常勤は必要か?

# by larghetto7 | 2017-10-02 23:45 | 日記風
2017/09/24 日曜
非常勤は必要か?

# by larghetto7 | 2017-09-24 23:45
2017/09/22 金曜 葛西臨海水族園
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 6月にすみだ水族館に行ってから,しばらく水族館巡りが止まっていた.夏が近づいたので人で混雑すると思ったから,避けていた.9月に入り夏休みが終わったけれども,今度は雨の日が多い.せっかく海の近くに行くのであれば晴れた日を選びたいと思った.そんなこんなで水族館巡りが止まっていた.先日は,せっかく晴れたのであるけれど,都合で流れてしまった.
 天気の良し悪しは気にせずに行ってみようと,本日,カミさんと出かけるように調整した.行きやすいところで,葛西臨海水族園に行くことにしたのである.
 結構,散々だったように思う.まず私が寝坊して出かけるのが遅れた.しかも,電車が都内に入る辺りから雨がパラつき始めた.
 葛西臨海水族園は京葉線の葛西臨海公園の中にある.水族館といわずに水族園というのは,館内だけで生物を展示するのではなく,野外に展示する部分が多いからであろう.ネットで調べると建物部分は特徴的な形をしている.
 東京駅で京葉線に乗り換え,10数分でJR葛西臨海公園駅に着いた.駅を降りると目の前に葛西臨海公園がある.なかなか立派な公園施設だなと感じた.
 公園内のレストラン(学生食堂風)で夫婦でスパゲッティと飲み物をとってから,水族園に入った.料金が大人700円,しかも高齢者(65歳以上)の私は半額の350円である.他の水族館に比べてえらく安い.私は当初,この施設は江戸川区のものと思っていた.が,行ってみると東京都の運営であるようだ.ただしこの公園内にあるホテルは江戸川区の運営らしい.
 ここで最後の「今日の散々」に出くわした.チケットを見せて園内に入ろうとすると雨が強く降り出したのである.しかもいつもは持ち歩いている傘が,今日は私のリュックの中にない.雨の日が多いので家で傘を使い,リュックに戻すのを忘れていたのである.雨足が弱くなるまで待ってから園内に入った.水族園で屋根のある建物に行き着くのに結構距離があるので辛かった.ただ雨ごときで慌てる訳にはいかない.
 さてこの水族園であるが,この料金を考えるとコストパフォーマンスは高いだろう.イルカショーのような見世物はやらないようである.ただ展示はそれなりというか,大洗のアクアワールドのようには行かないけれども,すみだ水族館の程度には揃っている.すみだ水族館の目玉が金魚であるとすると(金魚でいいですよね?),葛西の方はマグロである.この辺でマグロを捕る訳でもないだろう,と思うけれど,まあよい.
 晴れた日であれば,水族館ならぬこの水族園はもっと楽しめたように思う.建物が洒落ていて,水辺に囲まれて建物があるように設計されている.周辺を散策するのもよかったろう.安近であるので,晴れた日にまた来てみたいような気がする.

# by larghetto7 | 2017-09-22 23:45 | 日記風
2017/09/06 水曜
教養教育は養成する人材像次第である

# by larghetto7 | 2017-09-06 23:45 | 日記風